朝顔の蕾 | 睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

朝顔のもう一株が咲きそうになり、朝の蕾を撮っておきました




もうだめかなとか思っていたけれど、どうなるかはわからないもので、諦めないで待つことかなとか。


音楽、今年はすごく変化があって、音が好きだからやっているということがわかって。


いいのかはわからないけれど、喜んで面白がってくれる人が一人でもいるなら、ありがたいことなのです。


弾き語りのひとりのとき、特にここ10年くらいの違和感。


音楽の目的が自分の気持ちを表現するという人もいれば、音楽で友達作りたいという人もいるけれど、押し付けられてイヤになってもう無理かと思ったところで即興で音が好きとわかる。


弾き語りもそういう感じで。変人扱いされることが少なくなかったけれど、もともと始めた頃は私より変人しか周りにいなかったので音にこだわるのは当たり前なとこでした。


年末に、友達作るためにやってる人に会わないといけないかもと思って考えていたけれど。


むやみに友達作っても仕方ないかなとは思って、やってみたこともあるけれど、何かリスペクトする要素のある人を優先しておかないと、トラブルになりなすい。


これ、言ってきた人自体が何かの人格障害なんで気にしても仕方ないですが。。。


で、あ、結局音だったなって。音の世界にはそれこそ私と同じ頃別のライブハウスでやっていた人もたくさんいるので話がズレなくて。


何に悩んでいたんだろうって思うけれど、やっぱり弾き語りに戻るとその傾向をいまだに感じたりして。


だから。私がやりたいのは音ですと言えるような根拠ができたのはよかったって思います。


潜在意識の話を聞いていると、神様に祈っているうちにその神様は自分の中にいたという内容が出てきます。神様の話にシフトしだしたのはそういうことかもと思います。


最初は讃美歌の起源を考えて神様への捧げ物の歌にシフトしたのだけど、それは自分の内側に歌っていて、それを周りの人たちにも捧げ喜んでいただくことなのかと。


おいしい食事や宝石、咲いているだけで美しい朝顔と一緒。神様に捧げて感謝できるものを、音を作り出すイメージでいる。私にとっては声も音。言葉がわからなくてもいい音楽と思ってる。


そうなんです。突然咲いてくれた朝顔が私へのご褒美なのと同じように、私は私の歌を歌う、それをいいものと受け取ってくれる人が少しずつでも増えてくれたらいい。


それは。雷のように美しい音を出す人に出会えたからかもしれないです。


感謝。