今年の5月
愛鳥が虹の橋を渡っていった
その一週間後に家の前で人が亡くなっているのを
見つけるというデンジャラスな5月だった
その一連の話しはこちらから
↓↓
https://ameblo.jp/junkiyoshiro/entry-12902817816.html
人生で滅多にないことが
わざわざ悲しみにくれている時に起こった
ショックな出来事は
愛鳥が亡くなった悲しみを一瞬忘れさせてくれたが
ダメージは大きかった
一日だったか。。。仕事は休んでしまったが
いつも通りの生活を送っている方が
まだ気が紛れた
自分でも驚く強さで日常生活を送っている
もっと崩れても良かったのではないかと思うが
悲しすぎる強さを持ち合わせてしまっている
あれから半年が過ぎたが
いまだにあの日の事を時々思い出す
でもそれは
仕方のない事だと思っている
そんな5月に
ある仕事をしませんか?という話しがあった
愛鳥がいなくなった寂しさを
忙しさで紛らしたかった
というのが一番の理由で
引き受けようかと考えていた
でも。。。自分にできるのかと(体力的に)
珍しく迷っていたら
その場にいた同僚が
「やりましょう、出来ますよ」
と言ったので
「そうですねやりましょう」
と、あっさり引き受けたのだった
物事は深く考えるより
パッと思う事の方が色々スムーズに流れて行く
自分のちっぽけな脳みそでああだこうだ考えるより
流れに任せる方が上手くいく
なので、パッと答えが出ない時は
一旦考える事をやめる事にしている
話しを戻そう
5月にいつもの仕事の他に
もう一つの仕事を引き受けた
その仕事を
先週、自分の分を終わらせた
そのまま終了でも良かったのだが
仲の良い方が
仕事中に自分の部署にやって来て
「pinocoさん。。。。終わりそうもないんです。。。手伝ってもらえませんか」
と可愛い口調で頼まれた
もちろんOKして
今日、その手伝いに行ってきたのだった
無事に終わらせる事ができ
ホッとしている
5月はあんなにつらい事が続いていたのに
その悲しみもいつの間にか癒されている
まだふと思い出すし
その瞬間が消える事はないとわかっているけれど
人には喜怒哀楽があって
どれも必ずあることで
それは当たり前のことだと思っている
防衛本能の為に
悲しみをフォーカスしがちだけれど
悲しい事ショッキングな事があった事は
事実なのだから
思い出して悲しいと思う事は
当たり前のこと
悲しかったよね
ショックだったよね
とまずはその気持ちを受け入れて
そして次の感情に移ればいいと思う
その繰り返しで人は生きていると思っている
それにしてもよくやった
頑張った
と自分で自分を褒めてあげよう

いただいたので
まだ使っていなかったのだが
はやく使いたくてうずうずしていた
カットして使えば良いんじゃん
ということに気づき
自分へのご褒美を兼ねて
早速使ってみたが
スペシャル優しい石けんで
身体も心もホッとする
友人がこの石けんを持って来てくれた時も
疲れ切っていたので
嬉しくて涙が出たっけ。。。
いつも
ありがとう
さて。。。。眠い。。。寝るか。。。
