母の通院───虹がかかったのに | pinocoのブログ

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巨大子宮筋腫、乳がんetc·····
何があっても自分らしく生きる七転び八起きの精神でユーモアを忘れず生きています。

母の通院は


急きょ外来で手術を行うことになった



母は今まで様々な疾患でびっくりするくらいの数の手術を行って来ているので


自分はもう驚かない


上手くいけば良いね



くらいの気持ちで話しを聞いていた




今日は母の通院が終わったら

母をタクシーに乗せ

自分は仕事に向かう予定をしていたが


これじゃあすぐには向かえない



自分の仕事は月初がとても忙しく

今月は訳があり、いつも以上に忙しい


まさに猫の手でも借りたいという時だったが

母の不調をほおっておくことも出来ない



いつもの外来なら一人で行ってもらっているが

今日はイレギュラーの外来だ


イレギュラーの外来で、さらに大学病院だ


母親は色々立ち回る事も出来ないくらい老いてしまっている


もう致し方ないだろう


致し方ないが

今までどれだけ自分を犠牲にして来たかわからない


2015年には自分が病気になって入院して初めてゆっくり眠れるという

なんとも酷い有り様だった



仕事に行きながら

家の事、親の事の何から何まで朝から真夜中までやっていた自分に


友人のお母さんは

『Pinocoちゃんは女中さんみたいだね』


と言って笑った



本当にそうだな


とその時しみじみ思った記憶がある





その後行政に頼っているが

そのあり方はまだまだ現実とはかけはなれている

自分が楽になるのはいつの事なのだろうとずっと思っている





だからといって

自分の人生をもう犠牲にしたくない




2015年

大きな病気をしてから

もう家の面倒はみれないという宣言をして



家を出れば良いと思うだろうが


もちろん家を出た事もある


家を出ると細かい家の事が全く出来ないので

日々のトイレ掃除からキッチンの事まで

こまめにやれば大変じゃないモノが

こまめにやるという言葉は母の辞書にはのっていないため


家を出ていた時に家に帰ってみると


醤油さしに虫がわいていたというびっくりを通り越す現象が起きていた



当たり前だが

そのしばらく後に母親は敗血症で死にかけた



病院と実家と自分の家と職場と駆け回り

休む暇なんかなかった



まだ実家にいた方がマシだった


仕事もそんなこんなで辞めざるをえない状況になった事が何度もある






昨年、ガンが見つかってからも

身体がしんどいから前の様に動けないということを伝えているが


どこまでわかっているのかはわからない



結局自分の負担は大きいままだが



出来ない事は出来ないといって

断っている



今日は

イレギュラーな不調だったので

一緒にはいくが


帰りはタクシーで帰ってもらった



役場からタクシーチケットだっていただいているのだから


それを使えば良いのだ


そのタクシーチケットがまだあるのに

どうして体調が良いわけでもない娘を使おうとするのかは理解出来ない



本当に大切なものは何なのだろうと常々思うが

それも人によって様々なのだろう




薬局に行き薬をもらって

また大学病院に戻る時に

綺麗な虹がかかっていたのに


ゆっくり見る心の余裕などなかった



はやく母親から離れたいという気持ちでいっぱいだった


母とは

子供の頃から一緒にいて落ち着く事はない



自分が大人になって母親が老いて

手助けはするが一緒にいて落ち着く事はないのは今もずっと変わらない







おっと、、、愚痴になってしまった



話しを戻そう


もう自分を犠牲にしたくはない


なので仕事に行きたかった




上司は『疲れただろうから今日は休んだら』と

言ってくれたが

結局家に帰っても休めないのはわかっている


遅くなりそうだけれど仕事へ行く事を伝えた

忙しいのでもちろん歓迎してくれたのは言うまでもない



職場に着いたのは3時だったが


やはり行って良かった



仕事が忙しいからではない

自分の気持ちが整うからだ





なんだかんだと

へとへとになった



このままだとまた自分が倒れてしまう


寝よう