今日、生まれて初めての坐禅というものを体験してきた
正確には座ってはいなく、体が楽な横たわった状態でやらせてもらう
坐禅の前に精進料理をいただく
どうしてまずご飯なのかというと、
お腹が減っている状態では瞑想に集中出来ないからなのだそうだ
お腹がいっぱいだと寝てしまうんじゃないかと思ってしまうが、
余計な事をなんだかんだと考えていたので、無事(?)眠る事なく終了した
なんだかんだの余計な事とは・・・・
まず、精進料理をいただいている時のこと
人は生きるために毎日三度の食事をとる
その食事は野菜であったり、お肉であったり、穀物であったりと、様々なものの命をいただいている
その一つ一つに感謝をし、一つ一つを味わっていただく
食事に集中し、食事以外の事を考えない────
これが簡単なようで難しいものだった
普段の食事は何かをやりながら、誰かと食事をしたらお喋りがメインになってしまっている
食べることは体を作る事で一番大切な事なのかもしれないのに、食事だけに集中はしていない
何か考えごとをしながら、お喋りをしながら食べる事が多い
美味しいと思って食べているのに、食材だけに意識を集中して食べてはいないということを気付かされた
素材に集中して食事をするということは、意外に時間がかかる
余計な事が頭に浮かぶが、それをパッパと除けてまた目の前の食事に集中する
慣れた頃に、周りを見ると、もうみんな食べ終わりそうな感じだ
それをみてしまったら、あ、急がなきゃ、と思ってしまい、素材に集中どころじゃなくなってしまう
サササッと口に入れてしまってから、
「あ・・・素材に集中・・・集中だ!」
と、心ひそかに一人で気合いを入れるが、
こんな気合いを入れに来たわけじゃないぞ・・・と自分に可笑しくなってしまう
ろうそくの灯りの中での精進料理
静かに食べる心の中はまだまだ集中出来ていない

さて、次は寝た状態で呼吸に集中をする
「なんその法」というものらしい
体中の力を抜いて、息を吐いて吸う
吐いて吸う
吐いて吸う
ここまではよかった
普段から呼吸法で気持ちを整えたりしているので、体中の力を抜くことも、呼吸に集中することも割とすっと出来ていた
いつもと違うのは、目を瞑りきらないこと
閉じるのでもなく、開けるのでも無い
無ではなく、ありのままをそのまま認め、自分に入れずに流すのだ
いつもの癖で「無」になりそうになるが、目を瞑りきらないことで現実とつながっていく
ひと息ごとに数を数えていくところで事件が起こった
数を数えてくれているお寺さんの声が聞こえる
「ひと~~~~~~」
───ゆっくり一つ目の息を吐く
「つぅ~~~~~~~~」
────あれ、「2」がいきなり英語に変わったぞと思いながら息を吸う
じゃあ、次の「3」は何語で数えるのだろう・・・?とお寺さんの声に集中する
「ふた~~~~~~~~~~~」
・・・・・・・・・あっ・・・・
さっきの「つぅ~~~」は「2」(Two)ではなく、「1」・「ひとつ」の「つ」だった
自分の勘違いに可笑しさが込みあがる
体中の力を抜くはずが、可笑しいのをこらえるので力がはいる
さらに、長い時間の同じ姿勢で右下腹部が痛みだす
それでもせっかく来たのだからと、自分に言い聞かせ、どうにか呼吸に集中することが出来た頃にまた事件が起きた
呼吸に集中して数を1から9まで数え、それを繰り返す・・・ということをしているのに、ハッと気付くと14まで数えていた
「あ、14までいっちゃったよ・・・」
と思うと、また可笑しさが込みあがってくる
それをグッとこらえ、
ひと~~~つぅ~~~
ふた~~~つぅ~~~
みぃ~~~っつぅ~~~
と心で数えながら呼吸に集中する
調子よくやっている自分の耳に
「ひと~~~~~~~つぅ~~~」
と、お寺さんの誘導の声が聞こえてくる
「・・・・・」
「あれ?いくつまで数えたっけ???」
お寺さんの声に自分が数えていた数を全てかき消されてしまったようだ
気を取り直してまた1から数えてみるが、やっぱり途中でお寺さんの声にかき消されてしまう
そんなこんなを数回繰り返し、もう心中は可笑しくて仕方がない
さて次は坐禅だ
体が痛かったので、寝たままの姿勢で受けさせてもらう
今度はしっかり目を瞑る
ここからは自分の魂が体から離れていくのを止めることに必死だった
因みに、魂が離れるとは眠ってしまう事を意味するのではなく、魂が体から抜け出ることである
薄暗い部屋の中、目を瞑ると眩しい白い光が見える
眩しいので目を開けると薄暗い部屋が見える
また目を瞑ると白い光が眩しくて仕方がない
魂がこのまま自分の体を離れないように気をつけて、出来るだけ目を瞑り、お寺さんの言葉に耳を傾ける
バターのようなものをおでこに乗せるイメージをする(座っている方達は頭の上)
それが溶けて体中に行き渡る
そのバターようなものは体中を通り、悪いものを取り去っていく
こんな内容だったと思う
バターをおでこにのせるイメージをする
それが溶けて自分の体に入った途端に白い光がオレンジ色の光に変わって自分の体に広がっていった
白い光は以前からよく見るが、オレンジ色の光は今日が初めてだった
なんだかんだの面白エピソード満載の
初めての坐禅は無事に終わった
無になるのではなく、出来事をそのままそうだと認め流す事
これがとても難しい事だったが、
初めての坐禅はとても楽しい時間であった
自分で思っている以上に雑念だらけだと気付かされた
今日、坐禅を体験させていただいた妙法寺さん
ありがとうございます
