今日は1ヶ月に一度のリハビリ病院の診察の日
なんだかんだと忙しい
なのに二日前、なぜか急に思い立ちミシンで夏のパンツとガーディガンを縫い始めた
夏のズボンを一本新調し、同じ生地で作ってあったズボンを手直しし、カーディガンを一枚作り上げた
丸一日ミシンに集中した
結果、首が回らなくなってしまった
なので、今日はまず体のメンテナンスだ
リハビリ病院の前に整骨院へいき、いつものようにメンテナンスをしてもらう
その後、重い足取りで、リハビリ病院の診察へ向かう
リハビリ病院の担当の先生が嫌いなわけではないが、不調を訴えるとほぼ100%、
「僕、わからない」
と、答えが返ってくる事が苦手というか、医師として信頼出来ないポイントだ
たぶん「僕わからない」は、この医師の口癖でもあろう
なんのためにこの医師の顔を見なければいけないのだろう?この医師は何が診れるんだろう???といつも疑問に思っている
しかし、そんな医師だけれど、やっとの思いでかかることが出来たリハビリ訓練の病院だ
一番最初にかかったとき、子宮の手術をしたらそうなるのは当たり前だ、と言ってくれていた
そしてリハビリ訓練をしたら歩けるようになるとも。
しかし、月日がたち、そんなことを言ったことすら忘れているかのような対応をされる事もしばしばだった
訓練を受ける以上はこの医師の診察を受けないわけにはいかないので、1ヶ月に一度の診察の日は重い足取りになるのだ
さて、いつも通りたっぷり待たされたあと、診察室に呼ばれた。いや、いつもよりは小一時間くらいはやかったかもしれない
いつよばれるかさっぱりわからないので、いつも編み物をして待っている
夏のプルオーバーが良い感じに編み進んでいった頃、診察に呼ばれた
医師との今日のやり取りはこんな感じだ
医師:「こないだの心電図、危険なものじゃなかったね」
自分:「そうでしたね。よかったです。大丈夫な不整脈ってわかったから出ても気にしないようにしています」
医師:「自分でわかる不整脈は大抵危険性はないんだよね」
────ちょっと嫌な感じの言い方だ
自分:「そうですか・・・母親や祖父や、親戚で心臓疾患を持つ者が多くて、ちょうど今の自分の年齢くらいから不調が出始めていたんです。
結局病院では取り合って貰えないことも多く、死にかけてから対応してくれた事を側で見ていたので、自分でもちょっと神経質になりすぎていたかもしれません。
今回検査をした結果、以前の3倍近くの不整脈がでていたので自分で気をつける目安になりました。
でも、心配ないもので安心しました。検査をしてくださってありがとうございます」
─────心臓の既往歴は聞かれたこともなかったので、家族の事をここで始めて話した自分に医師は小さく頷いていた
医師:「実際に不整脈を止める為に薬で脈を抑えたり、心臓の血管焼いたりするらしいんだよ」
自分:「今年の春、母親がその手術を受けました」
─────医師は若干驚いた様子で、医大かい?とも聞いてきたあと────
医師:「今回は異常ないとでたけれど、これは今回の結果だからね、また変だと思ったら言って。検査するから」
自分:「ありがとうございます」
────お、今日は『僕、わからない』じゃないぞ、珍しく医師っぽいことを言ったな・・・
医師:「で、足だけれどさ、目をつぶって片足で立ってみて」
────ただあげるだけでもやっとなのに目を瞑ってあげれとは難易度の高い要求だ。いつもちゃんと出来ずにいるし、もちろん今日も同じく出来ずにいた
自分:「左側の足が力が入りにくいんです」
医師:「痛くなるって思うからあげられないんでしょう?」
─────この1年何度となく耳にした台詞だ。つまり、足が上がらないのは気のせいと言いたいのであろう(直接は言わないが、実際カルテにはその疑いがあると記載されている)
リハビリ訓練の先生とこの医師とは繋がっていないのだろうか?カルテにはリハビリ訓練の状況が記載されないのであろうか・・・?
今までこの医師にここまではっきりもの申したことはなかったが、いくら訓練の先生と体の事を話し合ったところで肝心のこの医師に伝わっていないようじゃ後で困るのは自分だと今までの経験で充分わかっていたので、目の前の医師にしっかり言うことにした
自分:「痛くて上がらないわけじゃありません。お腹に力が入らなくて足が上がらないんです」
医師:「足はあがらないんだね?」
────あがらなかったらどうやって歩くのだ・・・これじゃあまるで小学生の喧嘩だ。
こりゃダメだ、くだらない喧嘩をしに来たわけではない
医師にこう言った
自分:「足が上がらないわけではありません。この状態では上がらないんです。
そして、痛みで足が上がらないのではありません。お腹に力が入れられなくて足が上がらないのです。痛みは歩く時間と距離に比例して、強くなっていきます。
ですから痛みと足があがらないことは別です。
リハビリ訓練中に気付きましたが、右のお腹に力入らなくて左側の足が上がらないんです。
その時は痛くもなんともないんです。必死に左足をあげようと力を入れているつもりですが、実際右側のお腹には力が入っていなく、左足はあがらないのです。
右足があがるのに、左足はどんなに頑張ってもあがらない方向があるんです。
ただこれもリハビリ訓練の時に訓練の先生と模索してわかったことですが、角度によって上がるとか、手でお腹に手を当てて押さえたら上がりやすいとか、右足を曲げている状態なら、左側の足が上がるんです。
訓練の先生も色々考えてくれて、自分も頑張って家でも出来ることはやっています。
そして、今リハビリ訓練の先生と課題としていることは、長距離を長時間継続して歩き続けることです。
少しの時間の少しの距離は自分でもびっくりするくらい歩けるようになりました。
でも、それはほんの少しの距離で、時間にしてもとても短いものです。
少し歩いて痛みが出て車で休む。そして痛みが和らいだ頃また歩く。
その繰り返しでペース配分をしながら動いています。
だから、痛みと足が上がらないのとはまたべつの問題として捉えて下さい。
本当に模索しながら訓練の先生の指導のもと自分なりに頑張っているんです」
────医師はビックリした顔でカルテをあっちめくりこっちめくっていた。そして───
医師:「その頑張りが、今この綺麗な歩きに繋がりましたね。去年ここに来た時は車椅子だったもんね・・・」
自分:「はい、本当に歩けるようになったことは感謝しています。
でも、診察室の先生の前でちょっと歩くのは綺麗に歩けていますが、それが長く続かないんです。車での移動じゃない時・・・札幌まで行ったときなどてきめんで、痛みが出て足も前に出なくなり歩けなくなります。非常にキツいです。
だから、そこを今頑張っています。」
医師はカルテをまだあっちめくりこっちめくりしながら、若干目を白黒させている。そして
「リハビリ頑張って・・・」
とかなんとか言っていたような気がする
今日のバトルの様子はそのあとすぐのリハビリ訓練で担当の先生に伝えたが
「まるで子供じゃないですか」
と、自分が思ったことと同じ事を言い、笑っている
リハビリ訓練の先生に、こんな事もいった
「今まで症例がないから、『わからない』じゃなく、今まで症例がないんだから、どれどれ、どんな風なんだろう?ってちゃんとみて欲しいな・・・」
リハビリ訓練の若い先生は自分のこの言葉に大きく頷いていた
医師と患者は対等であるはず────
その前に医師も患者もひとりの人間で
人間 対 人間は相性の合う合わないもある
そこはお互い努力もする
人として互いに思いやりをもち
人として互いに尊重し合う
それぞれ言うべきことはキチンと伝える
そして、始めて信頼関係が出来るのではないだろうか
自分とこの医師は1年たった今、やっとこの段階の入り口までこれたのかもしれない
手術してくれた札幌の総合病院のスーパーマンS先生と手を取り合い涙を流して挨拶を交わした1年前のあの日をなんとなく思い出す自分だった────
スーパーマンS先生はどうしているかな────
余談だが・・・ぴのが最近太ったと思ってみていたが、自分も今日病院で体重を測ったら1ヶ月前の診察時より1キロちょっと増えていた
人のふり見て我がふり直せとはこの事だな・・・と思った瞬間であった─────