2016.12.22 子宮全摘術後の闘い70―喘息と痛み止めの関係―マイコプラズマ気管支炎 | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術を行ったその後の記録です

 

 

 

2016年12月22日に書いたモノです

 

 

 

 

昼過ぎに目が覚める

トイレにも行かず、こんこんと寝ていた


こんなに寝たのは体力が有り余っていた若い頃以来だったとおもう


眠りは色々なことをリセットしてくれる










マイコプラズマ気管支炎


二日前、いつも喘息でかかっている呼吸器科でこう診断された




二週間くらい前から、風邪かな?喘息かな?というような違和感を喉の奥の方で感じてはいたが、特に悪化するわけでもなく、リハビリで通っている病院の医師にも一応診てもらうも、風邪かな・・・きっとそうだね、流行ってるしね。という診断だった

 


咳がひどくなっていれば、迷わずいつもの呼吸器科へ行っていたのだろうが、多少出るくらいだったので、わざわざ行くこともなかった



今思えば
結果的にそれがまずかったのだと思う









三日前の朝、
足の付け根に違和感を感じた

階段の上り下りを繰り返したせいだと思い、休むことにしたが、一向によくならない



いつもの整骨院へいき、その後、病院へリハビリ訓練に向かう


歩けていない様子をどの先生も

「なぜだ???」

と、不思議そうにみている


階段の上り下りを無理してしまったことをいうと、
リハビリの先生は不可がかかる無理な運動をしたせいだねと言い、自分がまだまだなんだと思い知らされる



痛みもあり、15時に痛み止めのスリノフェン、それでも治まらず、19時にボンフェナック座薬を入れる


その後、横になっているが、どうも変だ


息が苦しい



喘息発作の前の気管支の閉塞感が強まり、息も荒くなってきた


薬だな…と思い、様子をみるも、二時間たっても胸の苦しさは変わらない


血圧をはかってみると、上が160ある

普段は100前後であがったとしても120ほどだとわかっていたので、自分にとって異常値である

熱はないが寒くて全身がガタガタ震えている


いつもリハビリでかかっている病院へいき、時間外で診てもらうと、痛み止めの投与がいけなかったと判明する


今まで知らなかったことなのだが、喘息と痛み止め相性は最悪なのだそうだ


今まで大丈夫だったのはむしろラッキーだったのだろう

その時診てくれた医師に、喘息はいつもかかっている呼吸器科で診てもらって、痛み止めに関してはここのいつも診てもらっている医師と相談して。といわれ、その日は終わった





翌日、下肢の痛みと息苦しい朝を迎えた

いつもの呼吸器科へ向かう


喘息の治療は、症状が治まっていても続けなければいけないものらしい



わかっているけれど、息が楽になり、咳もでていなければかかることもしなくなる


そうして、いつも悪化させてからここの先生に助けてもらっていた



いつもの事だな…と反省しながら、気管支の苦しさを訴える


「マイコプラズマじゃないかな…」

と、いつものかっこいいその女医は、喉をぐりぐりと綿棒で拭い、レントゲンの指示を出す



レントゲンを撮られながら、こわくてぼーっとした頭で

「また、被爆してしまったなぁ・・・」

と、いつもの様にくだらないことをふと思う
レントゲンやCTをとる度にそう思うので、また同じ事を思っている自分が可笑しいなとも頭の別の部分で思っていた


しばらくまたさせたあと、再度診察室に呼ばれ、自分のカルテに付けられていた

『マイコプラズマ(+)』

の文字がまず目に入った


この医師はいつも的確な判断をするなぁ
女性なのに院長先生よりかっこいいなぁ


と、またまたくだらない事を思いながら、喘息の息苦しさで弱った体に効くステロイド剤の点滴をしてもらう

幸いにも肺炎にはなっていない

マイコプラズマ気管支炎の診断だった



3日間分の抗生物質といつもの喘息の薬を処方してもらう


下肢の痛みは増していたが、マイコプラズマにかかっているなら、リハビリ病院へ行くわけにはいけないので、痛み止めの事も女医に聞いてみる

「アスピリン喘息っていって、喘息を持っている人は出やすいんですが、それが出てしまったのなら、もう痛み止めは何も使えません」


ほう・・・





「痛みがある時はどうしたらいいんでしょうか?」


と、当たり前の疑問をぶつけると、


「我慢してやり過ごすしかないです」


痛み止めは今の自分にとってないと困る薬だ


なのに飲んではいけないなんて



これは困ったぞと思いながら、この時はまだどうにか手段があると思っていた。

なぜなら、先日夜間にかかった病院の医師が
「痛み止めに関しては担当の先生とよく相談して──」
と、言っていたからだ


しかし、マイコプラズマにかかっているので今いくわけにはいけないとただひたすら痛みを我慢した

術後に炎症を起こしていた時と同様に、へそから下だけじんじん痛んだ

きつかった



一夜明けて、この痛みがどうにかできないものかと、リハビリ病院へ連絡をして、マイコプラズマにかかってしまっているが、痛みの相談をしたいことをいい、受診OKの返事をもらい、診察を受けることができたが、その診察はお粗末なものだった




二時間ほど隔離された状態で待たされて、痛みも熱もあった


やっと担当の医師が顔を出したと思うと、

「痛みは何も出来ないから」


といい、さらに

「マイコプラズマなんだね・・・
あまり外に出ない方がいいよ」


と、笑顔でいう



そんなことは承知の上だ
わかっているから何度も電話で確認を取っているのである



残念な言葉であった

この医師の言葉に呆気にとられながらも、何か違う痛み止めがないかときくと、



「喘息は全ての痛み止めが禁止されているから、何もないね」

と、何故だかまた笑顔でいう


さらに、

「自己責任で飲んでみる?」



だめだ・・・

この医師に対して全面的に信頼を失った瞬間だった



ダメだとわかったら次だ


ここは今後はリハビリだけでいいと判断し、痛みを診てもらえる病院を紹介して貰いたいというと、意思は、嬉しそうに、

「そうだね、紹介状をかくね」

といって、居なくなった



類は友をよぶ



紹介された病院へ行くと、時間外という理由で、受けつけてもらえなかった



それは仕方のないことだったとは思う


しかし、痛みが困っている自分は、この痛みの対処方がわからなくて困っていた



札幌の白い巨塔も頭に浮かんだが、今は痛みをどうにかしたい


あとは、夏に入院していた病院だ
電話をかける


こういうとき、冷静な連絡が有効だと学んでいた自分は、痛さと情けない気持ちでいっぱいだったが、今日の今までの理不尽な病院側へのことはとりあえず向こうへやり、有ったことを淡々と伝え、今の痛みをどうしたらいいか解らなくて困っていることを訴えた


当直の医師と直接話す事ができ、この医師の対応が素晴らしいものであった




まず、自分がリハビリでかかっている病院は旭川の中でも痛みに強い病院なので、そこでダメならここでも何も出来ないという



痛み止めを「自己責任でのんでるみるかい?」といわれたこといい、
それは、大丈夫なのか?ということを聴くと、



「一度アスピリン喘息が出たなら、今後も飲んではだめです」



さらに、それでは痛みはどう対処したらいいかきくと、薬ではない方法をいくつかおしえてくれた


さらに、喘息で飲んでいるアレルギーの薬でぼーっとした間は痛みも薄れていることをいうと、それは、あなたの痛みにも有効だし、長期服用も可能な薬だからとも教えてくれた



さらに、入院時のカルテもみてくれ、

「あなたの痛みは、内臓の手術の事も有るから、おそらく無くなることは無い痛みです」

と、はっきり言ってくれた



顔もわからないこの医師に救われた


わからないじゃなくて、今後の所見をハッキリつたえてくれ、
対処方を教えてくれた


中途半端な希望ではなく、今、どうするべきかがわかった




病気が教科書通り治っていかない患者をわからないからと全て精神科送りにする残念な医者が多いが、こういう医者もまだいたことに安心した




そしてこんこんと眠りについた










外は雪がしんしんと降っている


免疫力がすっかり落ちてしまったな…と思うことがおおくなった



そういえば、自分は以前病院に勤めていたが、内部事情や、患者に対する対応にがっかりしてやめたんだっけ・・・・

そんなことをふと思い出した




それでも前を向いて進んでいきたい






平和な師走の夜


キヨシローの独特な
『上をむいて歩こう』が頭に広がっている