2016/8/31 子宮全摘術後の闘い㊽―9ヶ月目  | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

 

2016年8月31日に書いたモノです

 

 

 

 

 

2016年8月30日(火)

札幌の国立病院婦人科外来の受診日



朝早い札幌行きの汽車に乗り込むことができた


今日は、主治医のO先生とソーシャルワーカーとの面談をしてくる予定だったが、旭川でトントントンと良い方向に向かっている事の報告以外何を言っていいのか、またそういうことすら言うべきじゃないのか、考えはまとまらないままだった

札幌駅でほしみ行きに乗り換え、琴似に着いた


迎えに来てくれていた女神の友人が、自分の様子を見て

「歩けてる~~良かった~~~」

と、嬉しそうに言ってくれる


病院につき、まずソーシャルワーカーのところへ顔を出す


「車椅子で来るかと思っていたから、びっくりしました。歩けるようになったんですね。良かった~旭川の病院から入院したと連絡は受けていたので、そのあとどうだったのかなと心配してました。良かった~
頑張りましたね」

この彼女がいなければ、あの時、自分がどんなに旭川でリハビリしたいと言っても、ここから直接はつながらなかったと思う

色んな想いは有るが、このソーシャルワーカーに感謝の言葉を素直に伝えた


ソーシャルワーカーとの面談を終え、婦人科のO先生の診察へ向かう

O先生は変わらず穏やかな口調ではあったが、自分が杖で歩いて居るのをみると、嬉しそうに

「良かった~歩けてますね」

といい、旭川での入院のリハビリはどれくらいしたのか聞いてきた


15日間入院して、1日お休みの日はあったけれど、あとは毎日リハビリがあったことを言うと、先生は

「いいねぇ~」

と、大袈裟なくらい、強く言った






病気がわかったとき、このO先生をめがけて旭川からこの病院に飛び込んで来て手術をしてもらい、入退院を繰り返してきた

その間、自分はしばしばこのO先生は2人居るような感覚に陥っていた


O先生は一人しかいないが二つの顔があった


一つはO先生の真意で話す時の顔


もう一つは

組織に言わされているだろうと思われる言葉を放つの時の顔だ

まるで性格が正反対の一卵性の双子の兄弟のようだった


今日は、大袈裟過ぎるくらい大喜びしてくれている先生を見て、どっちの顔だろう?と思った節もあったが、この先生に出逢わなかったら、自分はもっとこてんぱんにうちのめされていただろうし、そもそも自分の命はもう終わっていたのかもしれない


病院に対しては『白い巨塔』だと思う気持ちは変わらないが、婦人科の先生方には助けて貰った感謝の気持ちが消えるわけではない


そして、ソーシャルワーカーも、女神の友人も笑っていたことだが、旭川に入院して、

『ああ、逢いたいなぁ・・・』

と時々思っていたのは、主治医のO先生ではなく、『リリカ』を熱く勧めてくれたスーパマンS先生であった

ガツンと記憶に残る先生だった


ソーシャルワーカーも、女神の友人も、S先生の気性の荒さから、患者のクレームが絶えない気難しい部分がある医者だとわかっている

ソーシャルワーカーは、笑いながらこういった

「それをO先生に言ったら悲しいと思う・・・」


女神の友人も、可笑しそうに

「あの先生のことを思い出すくらい慕う人がいるんだねぇ・・・」

と、いっていた

そんな二人に自分はそれぞれ同じようにこう答えた


「だって、旭川の病院では『歩けるようになる』って当たり前のように最初から言ってくれたけれど、札幌の病院に居たときに、歩けるようになるって言ってくれたのはS先生だけだったの」


ソーシャルワーカーはなんとも言えない顔をしていた






S先生に逢いたいなぁ・・・と思っていたことは主治医のO先生には結局言わなかったが、歩ける様になったことをとても喜んでくれた
普段はどんなときも穏やかな物腰で話す先生がこんなに感情を表に出したのを見たのは初めてだったかもしれない

『頑張ったね』といってくれた先生に対してこう言った


「婦人科の先生達の中で精神科にかかりませんか、といってきた先生もいたけれど、違う意味で気持ちの問題は大きかったと思います

何人もの医者に、歩けないことはわからないとか、治らないとか、何もできませんという言葉を言われ、不安な気持ちで過ごしていた時期と、これは歩けるようになるよ、リハビリしましょう、ってスパッと言われて過ごす日々は、体は同じように痛くて歩けてはいないけれど、全然違うものでした

そして、結果的に良い方向に向かうことが出来たと思うんです」


先生は、大きく頷き、

「悩ましい時期もあって、どうなっていくかと心配したけれど、結果的に乗り越えましたね。すごいと思います
でもそういう気持ちのもっていきかたは大切だったと思います」


自分ははさらにこう続ける

「リハビリって素晴らしいです
痛いのをどうしようじゃなく、痛まないところを探してくれてるんです

全然観点が違うんです

婦人科でここの先生方が素晴らしいのと同じように、リハビリはリハビリの専門の先生たちが素晴らしいんです
しかも旭川で診てもらった先生のお母さんが自分と同じように術後苦しんだ事があったようで、すぐにこの状況を理解してもらえたんです」

O先生は、また大きくうんうんと頷いて、

「そういう先生に出逢えて本当によかった。この状況を理解出来る人のほうがまだまだ少ない現状だと思います
これから先に同じようなことがあったとき、その方に希望を与えられる良い実例に間違いなくなります」


自分は、思わずこういった

「先生、それはもちろん嬉しい事だけれど・・・・自分は本当にしんどい思いをしたんです。正直つらかった。もしまたこんな患者がいたらここまでの状態にならないような体制を考えてあげてほしいな・・・」


O先生は、うんうんと頷きながらこう呟いた

「本当にそうですね・・・」



2ヶ月後に予約をいれ、次にスキップ出来るくらいだったらどうしようね?という浮かれポンチ的な会話もしつつO先生の診察を終えた


その後女神の友人とランチを取りながら色々な会話を楽しむ

「今までは病院に来る度に何とも言えない複雑な気持ちになっていたけれど、今はそんなこともあったわよね・・・くらいな感じに変わってきたの」

と、女神の友人がふとこう言った

自分は

「今、自分もそれとおなじ様な事を思っていたの
今までここで自分が体験したことは、まるで小説を読んでいるかのように思えて、自分の事なのに自分のことじゃないみたいだなぁって今何となくおもっていたの」



友人と自分がこう思ったのはこういう事ではなかろうか

もう自分たちにとってここで病気で苦しみ闘ってきた事は『過去』であり、『今』ではない









歩ける様になって初めての遠出に不安はあったものの、どうにか旭川に帰って来ることができた


お腹から響く右側の背中の痛みが久々に強く出てきていた

左側の足の付け根にも痛みが走った

立ったときに左側の足に重心がかけられない
 

どうにか帰宅したが、痛みが出ない体制でただじっと時間をやり過ごす


また歩けなくなる


痛みと札幌までの受診の疲れもあり、一気
に不安に陥った




明日は旭川のR病院の二回目の診察とリハビリ訓練の日だ


少しずつでいい


9ヶ月かけて歩けなくなったのが急に歩けるようになったけれど、まともに歩けると思わない方がいい

ゆっくりでいい

でも確実に前に進んでいる