2016/8/29 子宮全摘術後の闘い㊼―鈴虫の声を聴きながら思う | pinocoのブログ

pinocoのブログ

巨大子宮筋腫、乳がんetc·····
何があっても自分らしく生きる七転び八起きの精神でユーモアを忘れず生きています。

 

  

 

2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

 

2016年8月29日に書いたモノです

 

 

 

 

 

昔からなんとなく思っていたことなのだが、さっき立て続けにポンと二つ頭の中に出てきたのでここに書こうと思う


一つ目

失敗は誰にでもあるが、失敗が許されない職業があると思っていた

人の命に関わる職種・・・例えば、乗り物の運転手だったり、手術をする医者だ

世の中のたいていのことは、「ごめんね」で済まされる事が多いが、命に関してはそれじゃあいけないと思う

自分がこう思うのは新聞だったりテレビで日々報道される事件や事故を観たときだった



ずっとそう思っていたが、今はちょっと違う気がしている


完璧な人はいないし、ミスも確率の問題だと思う
ノーミスが理想的ではあるが、色んな要素やタイミングが重なって、結果、ミスとなるのだと思う

ミスをする時なんてたいていそんなものだ


飲酒運転などの悪質なモノをのぞいては、わざとやったわけじゃないのだ


ただ、どんなミスでもそうだが、相手に何か多大な迷惑をかけたなら正直に言うべきだと思う
隠蔽はいけないと思うし、そんなことして、その時はごまかすことが出来ても、いつか自分に返ってくるのだ
ごまかしきれるものではない


と、そう思う


友人が、ぽつりとこんなこといった

「なんか失敗したなら正直に言ってくれたら良いのにね。」

自分は彼女のその言葉に共感してこういった

「そうなのよね、本当そうなの。
命を助けてくれたんだから、ちゃんと本当のことを言ってほしいだけなのにね
たとえ後遺症が残っても仕方ないことだで終わるのにね」


失敗は誰にでもあるのだ

起こってしまったことは無かったことにはできないが、それに対してどう向き合うかだと思う


自分は全てを受け入れ、前を向き歩いていく
誰も悪くはないと思うから


ただ、今後、自分と同じような目に遭う患者がいないことを願うだけだ






二つ目

人にものを伝えることは難しい

自分は割と得意なほうだと思うが、そうでない方が周りにたくさんいる


伝言ゲームをやるとよくわかる


簡単な文章や、単語でさえまったく別なものに変わって伝わる


これも誰が悪いとかではない


伝える側、伝えられる側、両方の問題だと思う

伝える側は、相手に合わせた伝え方をするべきだし

伝えられる方は、相手にアンテナをきちんと合わせる努力が必要だと思う


双方の相性の問題もあるかもしれない




窓の外から聞こえるスズムシの鳴き声に耳を澄ます

静かで平和な時間を過ごしながらそんなことをぼんやり思う