2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年7月29日に書いたモノです
2016年7月28日(木)──再入院12日目
前日の旭川の国立病院での転院受け入れOKの知らせで安堵していた自分のところに
シブい顔をしたソーシャルワーカーがやってきた
悪い知らせだという
ダメになったんだな…とすぐに察した
聡明なソーシャルワーカーが言ったことはこのようなことだった
昨日、口頭でOKを受けてはいたんだけれど先生方の紹介状などの書類を送り、それを読んだ先生が、そっちで検査してわからないものをこちらで何をするんだ・・・と、いうことらしい
外来で診てみるけれど、転院はできないリハビリも原因がわからないものをどうリハビリするのだ?
と、いうことらしい
ここ、札幌の国立病院での神経内科の検査はつまようじでちょんちょんとさわっただけ、それで巨大子宮筋腫からの神経損傷だとは思うけれど歩けないのはわからないという
そんなんで検査したっていうことに納得はいかない
紹介状を書いてもらうということはこういうことなのだ
ここにももう居られない
旭川での受け入れ病院は見つからない
旭川の国立病院の外来に一回はかかれるけれども、それも先生の判断で神経の検査をするか、さらにリハビリが出来るかどうかはわからないって・・・・
まるで生き殺しだ・・・
去年11月に巨大筋腫の手術をした
手術の前から左側の足の痛みや痺れはあった
婦人科の医師からは、神経のものは戻るかどうかわからない、神経が死んでしまったらもう戻らないと言われていた
手術すぐ、麻酔で右足がぶらぶらになっていた
鼠径部と内太股の感覚が弱くなっていたため
歩行器での歩行
その後退院し、12月は松葉杖での歩行
その後、術後の炎症があり、緊急入院
歩行器での歩行
年末に退院し、今年の一月、二月は松葉杖での歩行
自立歩行も出来ていた
職場にも復帰
痛みはあったものの、自立歩行をし
時々足が動かなくなっていた
6月、痛みが増し、入院
歩行器での歩行
二週間後退院、松葉杖での歩行
7月痛みで足が動かせなくなり入院
車椅子での移動
入院後一週間程で病室のトイレとシャワー室くらいの近距離の歩行は歩行器の歩行が可能になった
それ以外は車椅子だ
手術から8か月、明らかに下肢の状態は悪くなっている
ソーシャルワーカーは頑張って動いてくれていた
このもって行き場のないなんと表したらいいかわからない理不尽な現実への怒り
車椅子の状態が情けなく、けれどその気持ちをどこにもぶつけようが無い・・・
札幌の国立病院の正面入り口脇で暮れていく外の風景を眺めていた
ただただ自然界にこの感情を放出する
いつの間にか周りは真っ暗だった
力が抜けていた
消灯の時間も過ぎ、病室のベッドに戻り、なんだかわからない疲労感で寝てしまう
闘いはまだもう少し続くようだ