2016/7/27 子宮全摘術後の闘い⑲―うれし涙 | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

 

2016年7月27日に書いたモノです

 

 

 

 

 

 

2016年7月27日(水)───またの再入院11日目


昨日、S先生おすすめの「がつん」とくる『りりか』を増やすなら入院中に増やしてほしいことを主治医のO先生に伝えたところ、すぐ75ミリカプセルに変更になった

この病院は自分がしっかり主張しなくては治療が何も進まないと学んだ上の提案だった

これを一日二回飲む
やっと成人の初期量に頭を並べることが出来た



(25ミリ×2カプセル)×朝・夕 =100ミリ
      ⇩

(75ミリ×1カプセル)  ×朝・夕 =150ミリ


こんな感じに変わった


最初に2日間ほど起き上がれないくらいかなり『がつん』ときたせいか、周りが心配したようなふらふらの状態にはならなかったが、正直体はこわい

なんだか頭痛もする




それでも昨日の夢見のせいか、気分はいい

端からみると窮地なはずなのにどうにか何とかなると、何故か明るい未来をしっかり感じている


人はどん底までいくともう這い上がるしかないものだ


だめなものに固執することもいらない


明るい未来を考えているときに、過去をほじくり返しああだこうだ言うこともいらない


今までその場面その場面で一生懸命頑張って来たのだ


くだらないと思われる一つのことに固執する事はもともと好きではない
切り替えること、シフトチェンジは自分の得意技だ

 



オペ時の麻酔のことに関してはこの前頑張って麻酔科医と話をした

 


今はそれはそれでいい

少し脇においてその問題はもう少し後にまた考えて行くべき事だ



今まだ歩行器でやっとこ歩けていて、トイレやシャワー以外は車椅子だ


巨大筋腫のモンスターにやられた後遺症の神経障害らしいがどうやら病名が付いていないらしい

らしい、というのは、今日ソーシャルワーカーと面談し、そこでそうきかされた



旭川の病院でのリハビリを望んでいる自分の為に聡明な彼女は旭川の病院にコンタクトとってくれていた

そして、その途中経過として、今どこもまだ受け入れ先はみつかってはいないということだった


その理由が
病名がはっきりしないものに対してのリハビリをどうやってやるのだ、
今は何ともないというが、何かあったときにどうやって札幌まで運ぶのだ

大きくこの二点が受け入れられない理由らしい


それでも今までの経過やこの窮地の状況を理解してくれている彼女はできる限り頑張ってコンタクトを取ってくれている

仕事とはいえ、こんなに頑張ってくれ、一緒に色々な事を考えてくれる存在は自分にとって本当に心強い


「一件、旭川の国立病院がまだ返事待ちなんです
あそこならここと同じ国立だし、こことの横の繋がりも有るし、神経内科もリハビリもあるから
受け入れてくれるっていう返事が来たらいいですよね

でも、入院は一週間かな・・・それ以降は外来になると思うんですよ。ただ、旭川のつながりができたら、またそこから旭川での枝葉が広がって行くと思うんです


ただ、この状態で申請が通らないって・・・実際きついですよね・・・」


彼女は本当に今の自分の置かれている状況に寄り添いこう言ってくれる



自分は
「病院に関しては、もしかかれるなら旭川の国立病院にうつり、やはりこの歩けないっていう原因究明をしたいから、神経を診れる先生に診てもらいながらリハビリしたいと思っているんです
でも、色々なルールや決まりが有るんでしょうから、それはどうしようも無いことなので決まったらそこにいって歩けるようになることを頑張るだけです

身障者の申請が通りづらいことも、自分ではもうどうにも出来ないことなので、まずはそのことは受け入れます。ただ、この不自由な状態で良いわけもないし、実際生活が困るんだからそこの訴えはし続けます。

ただ申請が通ってから買おうと思っていた用品は、今とりあえずリースで何ヶ月かどこからか借りて、その実費負担はもう生活の為に仕方ないのかなって割り切って考えて、役場の方に料金とか聞いてほしいって昨日連絡を入れたところだったんです」

そう言うと、聡明なソーシャルワーカーは、

「そうでしたか、なんて前向きな考えでしょう。そうか、そこは私も気づかなかったです。そうですね、借りるって事で少し生活動作が楽になれたらまたちがいますもんね。安く借りれるところ知ってますから紹介する事出来ますよ。」

と、言ってくれた



自分はなんてラッキーなのだろう

リースは 杖→600円/月
     車椅子→1000円/月

思っていた以上に安く借りる事が出来そうだ




歩けない、でも、身障者の申請は通らない
それでもどうにか自分が今の状態から少しでも良くなるために考えたことはスッと現実になる





潜在意識の活用


チャクラの活性



話は少しズレるが

自然と小さいな頃から当たり前のようにやってきたこと


それが普通だと思っていた


ひとには見えないものや聞こえないはずの声も聞こえていた



それは自分にしか無いものだとわかってからはいちいち人に言うことをやめた




去年だったか一昨年だったか、以前の職場の上司と再会し、「経絡」と何とはなしに言った言葉から、チャクラの話しになる

その元上司と昔一緒に働いていたときはそんなことを話した事は一度もない


会社の中の温泉好きが集まり

休みの度にあちこち温泉にいってはビールをのみ、混浴風呂で湯を供にし、自分はというと、大抵そのままグーグー寝ていた


朝まで飲んでいたことも何度もあった


次の日は誰もがキリッと仕事をバリバリこなしていた


そんなに楽しい仲間だったのにこのことに関しては何も話したことが無かったのだ



元上司はこの頃からそういう力を持ちたいと一生懸命勉強し、訓練していたそうだ


一方、自分は力はあるが、それが何かなんて勉強したこともなく、コントロールする方法も知らなかった



以前の職場で上司と部下の関係だった自分たちは、同士となり、周りから見たら訳の分からない言葉が飛び交う会話を真剣にする不思議な2人になった



出逢いというものは不思議なものだ



最近また寝る前に額の目が開き
いつもの光が見える様になった


そういえばこの前はその上のチャクラが開き、お釈迦様と蓮の花が流れ出していた



太陽神経叢にエネルギーも戻ってきた


感覚が戻ってきた
後は自分らしく楽しい毎日を送るだけである




どんなことがあっても前を見ていく

思うだけじゃなにも叶わない

どんなに窮地にたたされても前を向き行動する





話を戻そう


聡明なソーシャルワーカーがそんな自分を見て、私も出来るだけの事は一緒に考えるしお手伝いはしますと言ってくれ、実際、彼女に今ものすごく助けられている


でもそれは自分の元々の頑張りがなかったら無かったことだと思っている



色んなことばが通じない先生に出逢って来ているが、このソーシャルワーカーにはツーカーで物事が通じる


出来ないことはごめんなさいと言うしかないけれど、私も一緒に考えるし、私に出来ることはしますからね


こう言ってくれる彼女も有言実行の方だった



このブログを書いている途中、18時頃だっただろうか、もう勤務も終わっただろうと思われる時間に、その聡明なソーシャルワーカーが病室のベッドに満面の笑顔でやってきた


「良いお知らせがあって、早く伝えたくってこんな遅い時間に来ちゃった」

といい、


「旭川の国立病院で転院受け入れOKの返事が来たの。ただし、良くならなくても入院は二週間ってことを条件になんだけれど。そこで神経の先生にも診てもらえるし、リハビリも受けれますって」


女神様に出逢えたようだった

何度となく立ちはだかる壁にぶち当たってもいつもその時々で救われる


今回はこのソーシャルワーカーに救われた




「嬉しい」という言葉を今日何度発しただろうか


嬉しいと思うことに素直に嬉しいと言う自分は

今日の嬉しい連発に、嬉しすぎて涙が出てくる


ソーシャルワーカーはそんな自分を見て、

「今までずっとつらかったですもんね
ずっと色々頑張ってたのに何も進まなかったですもんね。足も動かないし・・・わかりますよ、つらかったですよね
大丈夫ですよ、私も一緒に考えますから、一人じゃないですよ」

と声をかけてくれる




ずっと今まで動かなかった事が動き出した

良かった





下肢の治療はまだまだ手探り状態


これからどんな病院のどんな先生に出逢うか分からない


でも、どんな時でも今まで通り自分らしく歩いていくだけだ