2016/7/29 子宮全摘術後の闘い㉑―車椅子 | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

  

 

2016年7月29日に書いたモノです

 

 

 

 

 

2016年7月29日(金)───再入院13日目


昨日、聡明なソーシャルワーカーから、
「旭川の国立病院の外来までは繋げることは出来たけれど、そこがダメだったとき、次の病院を探すことはできないけれど、どうしますか?」

と、言われ、なんて残酷な事を聞くんだろうか・・・
と、心の中で思いながら

「もうどこにもつなげて貰えないなら自分で探します。自分の体の事ですから、これで良いとは思わないです。全国どこでも行きます。」

と、答えた





一晩ぐっすり寝て改めて考える



さて、どうしたものかなぁ・・・・



セカンドオピニオンしたくても病名が付いていないから不可能である




あたりかまわずあっちこっちかかれる体の状態でもない




自分でこれだけ考えてわからないものはいつまでたってもわからないままだ

そういえば、前に元の職場の上司が、ここに電話したらいいと言ってくれていたことがあったなと思いだし、ラインをさかのぼる


「北海道医療安全支援センター」という全国各地にそれぞれある医療相談窓口だ

昨日、親戚からもここに電話したらいいかもと、元上司と同じここを教えてくれていた



そういうところにかけても結局なにも解決する事はないという気持ちもあったが、今日は違った

今まで精一杯ここで頑張ってきて、いよいよ八方ふさがりになってしまった
あとは外部の相談窓口に相談するしかないな…


早速電話をかけてみる

電話先の相談員の女性は、自分の話しをうんうんと聞いている
ここに至るまでの経由を不思議だという


病院側は裁判とかセカンドオピニオンを怖がってるような変な感じも受けますね…と、自分がそういうことを言う前に言い出した


ここでも自分は救われた気がした

話しが通じない理不尽な事が多い中、この相談員に、スッと通じている



この相談員もここのソーシャルワーカー並みのかなり聡明な感じである


自分の話をきいて、

「結局、今、歩けるようになりたいから神経の先生に診てもらいながらリハビリを受けたいんですよね。訴えるとかの話しでのここへの相談じゃないですね」

と、そこも的を得ている


「ちゃんと病院内で話も出来ているし、ソーシャルワーカーさんもかなり良い動きはしてくれていますね。でも結果が今こうですから・・・うーんなかなか難しいですね。

一つ目の方法はセカンドオピニオンです

もう一つは新規の病院に飛び込みですね」



セカンドオピニオンは病名が付いていないから無理だというと

「じゃあ、やっぱり旭川がダメだったら飛び込みですね
新規だと、一からですが、病院に開示請求をしてカルテの開示をしてもらって行ったらいいかもしれないですね。
開示は時間も費用もかかりますが、開示委員会っていうものがあって、それを開示するにあたって病院側で話し合うので時間がかかるんです」

さらに、

「この相談されたことを病院側に電話して、動いてくれてはいるけれど、もう少しさらにどうにかなりませんか、と、病院側の上の方に言う事はできますが、どうでしょうか」

と、言ってくれた

もちろん電話をいれてほしいことをいい、相談窓口への電話を終えた


それと同時に、友人から「医療情報提供書」っていうものは普通にもらえるものだよと、メールが入っていた






昼前に手術着姿の主治医のO先生がやってきた
いつもと変わらず穏やかに話す

なかなか難しい自分の状況をわかってくれてはいる

 

ソーシャルワーカーとの話しも伝わっているようだ


先生は、こういった


「僕がこんなことを言うのもなんだけれど、旭川の病院がダメだったらもう自分で探して飛び込むことも良いと思うんだよね。
結局ここの神経の先生の書いてくれた情報をもとに紹介先の先生は動くからね。まっさらの先生にこの状態をみてもらっての方が実際良いかもね。
で、それにしても全くなにも持っていかないよりは宛先を書かない紹介状を書くことも出来るから、医療情報提供書っていうんだけれどそれがあったら受け付けは拒否られることはないから
次の外来でもし必要なら電話でも良いから書いてって言ってきて」

ちょうど、カルテを開示してもらおうか、医療情報提供書を書いてもらおうか迷っていたことを告げると、開示は時間もかかるし、カルテが現状のまま行くことになるので、あまり勧められないという


複雑な気持ちではあったが、今は信頼しているこの先生の言うように情報提供をお願いしようと思い、旭川の国立病院でダメだったらその時はお願いすることを言った


そして、思わずこう言ってしまった


「ここに来たときも先生めがけて飛び込んできて、先生に出逢えて、そこまでは良かったのになぁ・・・
先生にこうやって出逢えたように、神経の先生も、先生みたいな良い先生に出逢いたいなぁ」

O先生はそんな言い方が可笑しかったのか、笑いながら、

「縁ってあるからね、出逢えたら良いよね」

といつものように穏やかにいう



きっともう入院中は会えないと思い

「先生、ありがとう」

というと、


「なんかもう逢えないみたいな言い方だね。まだまだ逢えるよ」

と、笑っている



この先生と出逢えて本当に良かったと思う


大きな国立の病院での勤務なので病院側のルールに沿ってモノを言うこともある

そう言うときは先生の顔つきが違う


真っ直ぐな自分は誰にでもそうするように先生たちにも正直に何でも気持ちをぶつけてきた


信頼関係は自然に確実に作ることができた


人としてのマナーはもちろん必要だ
だが、自分の体のことを診てもらうことに関して遠慮はいらない







昼下がりに、ソーシャルワーカーと福祉用具の業者の方が車椅子と杖を持ってやってきた


車椅子と杖を借りる事が出来、退院の準備は万端だ


聡明なソーシャルワーカーと旭川の国立病院に来週月曜日午前中の予約が入っていることを確認し、期待できないかもしれないけれど・・・というソーシャルワーカーに、


「まだ逢ってない先生に対してそう思わないでいきたいんです

期待満々で行くこともないけれど、もしかしたら良い先生と出逢えるかもしれないしね」




これからも前を向いていく

転んだら立ち上がればいい


なんだかわからないものに自分は負けない



車椅子も借りることが出来たし、一本の細い糸状態だけれど旭川の国立病院にも繋がった



それは全くゼロではない可能性だ





窓の外のオレンジ色に染まった夕空を見た