2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年7月21日に書いたモノです
2016年7月21日(木)
スーパーマンS先生イチオシの『りりか』は自分の体をまだまだガツンと言わせていた
それでも昨日は起きあがれていたのに、今日は朝から起き上がることすらつらい
昨日の夕飯に出た、脂がのった焼き鯖を食したせいか、夜中中、胃がムカムカして体のど真ん中に心臓があるようだった
午前中いっぱい、うつろうつろとベッドで横たわっていた
一昨日主治医のO先生と話をした、
①整形に診てもらい、旭川の病院に繋げること
②血液検査をすること
を昨日早速実行に移してくれた
昨日、朝一で採血が行われた
午後からは看護師からレントゲンと整形受診を言われ、早速レントゲン取りにいくが、オーダーをみると、『左肩』となっている
レントゲン室の先生も、
「痛いのは左の肩ですね?」
と、聞いてくる
肩こりは有るが、肩は痛くないことをいうと、即、確認の連絡をしてくれた
まだ逢ったことのない整形の医師のオーダーミスだった
検査の先生も、
「なかなかこういう間違いはないんですけれどね…」
と、それでも感じよく、手際もよく、6枚の腰のレントゲン撮影を終わらせた
その後、整形の医師の診察があり、骨の明らかな異常は無いことを言われた
そして、電子カルテをさかのぼって見て、
「ああ、筋腫が分かったときにはもう足が動かなかったんですね
これはそのときからの神経障害に間違いないと思うけれど、でも足や腰が辛くて横になってることが多ければ、筋力低下による痛みも出てくるし、そういうことをリハビリしながら神経を診ていったらいいと思いますよ
明日、一応MRIも撮りましょう。腰が何とも無いって言うこともみなきゃね」
やっとまともな話をしてくれる医師に当たった
手術前後でここの整形にかかったときは、レントゲン写真を見て、
「おじいちゃんの椎間板だけれど、まだ若いからまだまだ大丈夫。神経はよくわからないけれど、骨は大丈夫」
と、言ってのけて、それっきりだった
おじいちゃんの椎間板って・・・・・
女性だから、せめておばあちゃんと言ってほしかったな・・・・・と、そのときそう思った記憶がある
何はともあれ、この医師に旭川での治療を拠点としたいので、旭川に紹介してほしくてのここの診察に至ったことを言うと
「僕、北大出身だから、旭川知らないんですよ」
「・・・・・・・・・・」
もう何も言うまい・・・・・・・・・・
頭のネジが締まりすぎているとっても真面目な先生なのだ
この医師がどこの出身だろうがこちらには関係無いことで、それが紹介出来ない理由にはならない
自分で地域連携室や、周りの知人に聞いて、良いと思うところを紹介してもらうことが可能だということだけ確認し、MRIを撮ってからまた診察するねと約束して整形外来をでた
そして、夕方、ソーシャルワーカーとまた話すことが出来た
昨日の主治医との話し、整形の先生が言ってくれたことを話し、旭川の病院の一覧表から通えそうな病院をみる
神経内科があって、整形でのリハビリが出来るところをみていく
でも、病名によってはリハビリ出来る期間というものが決められてて、そこはこれから整形や神経の先生が何というかでまたかかれる病院も変わってくると言うことも話してくれた
そんな時間を過ごしていると、ソーシャルワーカーが、
「セカンドオピニオンじゃないですよね?」
と、唐突にいう
「セカンドオピニオンですべてのデータを旭川に持っていけるならそうしたいです」
と、言うと、
「全部のデータは持って行かないです
そのみてもらう部分になります」
と、言うので、じゃあ、意味が無いのでそれは時間も費用もかかるし、今、そこではないことをいい、何かひっかかる事だらけだけれど、ソーシャルワーカーとの話を終わらせた
昨日はこんな感じの一日だった
そして、今日の夕方、ずっと出来てこなかった傷病手当の書類がやっと出来てきた
さらに、夕方にMRIを撮ったあと、病室にいた自分のところに主治医のO先生がやってきてこう言った
「喘息でステロイドの点滴をして体が楽になったんだっていってたでしょう、それがやっぱり気になるから、ないとは思うけれど、リウマチ科にかかってちょっと免疫系を診てもらったらいいかもしれないと思うんだ」
「リウマチ?昨日の血液検査はどうだったんですか?」
「うーん・・・ほぼ大丈夫だったよ」
「ほぼ??ってなんですか?」
「ちょっと白血球が高いんだけれど、炎症反応はないから・・・でも熱もずっとあるし、一応診てもらった方が良いと思うんだ。体の痛みももしかしたらそれもあるのかもしれないし・・・いれといていいかい?」
ずっと止まっていた自分の周りの空気が動き始めた
何日も前から寝るときに額のもう一つの目・・・・・六番目のチャクラが開いていた
昨日は更に上の七番目ののチャクラから金色の光とお釈迦様が蓮の花と共に流れ出てきていた
湧き出しているという表現があっている
検査の結果、なにも異常が無いこと祈るが、すべてを受け入れ前に進む
ここまで来るのに、これだけ自分で病院側に言いつづけなければいけなかったのか、どうしてここまで婦人科が自分を外にださなかったのか、といいうなんだかわからない単純な疑問はある
ここから出る時期が見えなくなっていたが、空気の流れが変わってきた
自分がやったことは自分に還ってくる
いつものセオリーだ
今回ばかりはくじけそうになったけれど、どうにか頑張れている
大切な友人知人の何とはない連絡に救われている
窓の外の空を見上げて、もうここでのこんな入院はこれで最後にしたいと強く思う