2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年6月27日に書いたモノです
2016年6月27日(月)
下肢の痺れと痛みのために札幌の国立病院に再入院して12日目が終わろうとしている
①子宮肉腫の可能性が大きい
②腫瘍が20センチの大きさだったことで体中の神経や血管を圧迫していた
手術の前、大きくこのふたつの理由で命の危険があった
肉腫かどうかは、摘出して病理組織検査にださないとわからないものであったが、もう一つは体の真ん中の大きな静脈を圧迫していて、それが少しでも傷付いたら大出血で『イチコロ』だったらしい
そういえば、最初にかかった旭川Ǹ病院のあのドクターも、
「大丈夫かな?よくこれで普通の生活してたな。命の危険があるよ」
と、理由を言わずにいきなり言っていた
動かなくなっていた足は、手術後もしかしたら戻るかもしれないし、神経が死んでしまっていたら戻ることはない、と、術前から言われていた
術後、半年がたって、下肢に『抹消神経障害』という後遺症が残った
あの巨大なモンスターに気付かなかった自分に責任はある
ただ、一つだけどうしても引っかかっていることがあった
命が助かった時点で、一時はそんなことは『ま、いっか』と思っていたが、やはり、あの手術の時の麻酔時の記憶が時々蘇り、半年たって歩行器でやっとこ歩いて居る自分自身を客観的にみて、この状態は巨大モンスターだけの仕業じゃないんじゃないだろうか?と、巨大筋腫が自分の中で少しずつ大きくなっていったように、ふつふつと自分の中のストンとしない『違和感』が大きくなっていった
手術三日前の麻酔科医の説明での自分と麻酔科医のやりとりはこういうものだった
若い麻酔科医の説明が始まった
「硬膜外麻酔と全身麻酔をします──」
麻酔のやり方や、色んなことの一通りの説明のあと、この若い麻酔科医はこんなことを言い出した
「硬膜外麻酔の時に腰のところに針を刺すんですが、意識が有るうちに刺しますか?それとも先に眠って意識なくしてから刺しますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・え?」
唐突な質問に、口から思わず漏れてしまった
全く初めての経験の自分にこんな難しい選択をこの場でせよなんてとんでもないことだと思ったものの、それなりに頑張ってこう答えた
「どうしていまここでその選択があるのですか?」
麻酔科医はなぜか同席していた手術室の看護師と目を合わせた後、
こういった
「意識がある中で針をさすメリットは、万が一どこかの神経に針がふれてしまった時、患者さんご自身が違和感を感じ、言える状態です。言って貰えたらすぐに針を刺し直します。なので、その後の後遺症などを防止する事が出来ます」
なるほど...
もちろん意識のある方を選んだ
三日後、手術台の上に寝かされた自分はまな板の上の鯉状態だった
意識が有る中での針を刺す選択をしたので
もちろん意識の有る状態だった
だから覚えているのである
そしてこれからここにかくことは、命が助かったことに比べると些細なものかもしれない
しかし、半年たって、歩行器を使っている状態の原因のひとつかもしれない
これから生きていく自分にとってものすごく大切なことである
意識の有る中、針を刺しやすいように体を横にして丸めてジッとしていると、いきなり、背中に冷たい液体の感触がした
当たり前だが、ビックリして体がびくっとなり、目の前にいた看護師が、「あ、今冷たいの掛かりましたね」「もう一回かかりますよ」と、なぜかやっている麻酔科医の声はなく、看護師が慌ててフォローしている感じだった
その後、硬膜外麻酔の針が腰に刺されたが、その瞬間、右側の足と背中とお腹に電気が走った
ものすごく嫌な違和感を感じた
すぐにそのことを言った
術前の説明では刺し直されるハズの針は、更に力強くそのまま自分の背中に入ってきた
「やられた・・・」と思いながらも、全身麻酔で意識を失った
五時間後、手術が終わり、病棟の看護師に申し送りされている自分はうっすら意識が戻っていた
病棟の看護師に「切っちゃったんですよね…」と、あの麻酔科の声が聞こえてきた
「なに!!!???」
と意識がもうろうとしてる中でも必死に、どこを切っちゃったんだよ、と自分で探すがわかるはずもない(後に呼吸器を外す時に顔か口腔内を傷つけたと判明したが、軽傷ですぐ治った)
わかったのは、開腹した下半身が火傷したように熱く感じていたのと、下肢の麻痺感だった
個室に移って、麻酔が切れても右側の足は全く力を入れることは出来ずに、手で膝を立てた状態にしても、手を放すとバタンと倒れた
ぶらぶらの状態であった
その状態は翌日まで続き、本来なら昼前には立って歩くのだが、看護師が「その状態じゃあ立つことも出来ないから、お昼から
ベッドの上に座る練習をしよう」といった
足の感覚は戻らないままだったが、意外にも点滴の棒と看護師の助けをかりて、立つことは出来た
更に意外なことにものすごくゆっくりでおぼつかないけれど歩くこともできた
そけい部から下の触った感覚はずっと麻酔が効いている感じだった
数日後
足の感覚同様、頭にも症状があった自分の訴えに、麻酔科の医師に診てもらうからと、スーパーマンS先生に手配してもらい
、病室の自分の前に現れたのは、手術時の医師ではなく、別の医師だった
特に聞いてもいないが、その医師はこう話を切り出した
「手術のときの麻酔した先生は違う先生なんですが、私は外来に出ている麻酔科の医師です。」
という、また何ともいえない違和感をこの時感じたことを覚えている
そして、
①麻酔のせいなら、両足に出ることはあり得ない
②頭はこの麻酔のせいではないが、原因はわからない
このようなことをいっていなくなった
それでも退院する頃にはそのイヤな感覚もそけい部から膝くらいまでに狭まった
後は日にち単位ではなく、月単位でみていきましょうと言われ、半年後、『抹消神経障害』という後遺症と診断された
今回の再入院は体を休める事と、いろんな事を考える時間をたんまり与えてもらった
以前主治医が
「今は麻酔のせいではないといっていても、あとあとやっぱり麻酔が原因だったねということもありますから諦めずにいきましょう」
と、なんとはなしにいってくれた事もずっと自分のなかで響いていた
そして、今日から数日前、主治医にこういった
「手術のときに麻酔をしてくれた◯◯先生と話をさせてください。あの時何があったのか、真実を知りたいんです」
主治医のO先生は、いつもの穏やかな表情のまま、「そうだね、納得したいよね。わかりました。話せるように手配します」
そして、明日、あの時の麻酔科医と話すことになった
手術後、何気に開いた病院のホームページに載っていた医師紹介の彼の欄には
『専修医』
と、記載があった
ぞっとした
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『専修医』
研修医の一種で三年目以降の研修医
臨床研修期間、前期研修医(1~2年目。研修医はこちらをさす)
後期研修医(3~5年目の研修医をさす、その病院での呼び名)
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まだまだ修練の足りない医師という言葉と書いてあるページもあった
明日半年ぶりにあの専修医と話をする
専修医の口からはなんていう言葉がでるのだろう
ないと願いたい最大のNGワードは
『記憶にない』
だなぁ・・・・・
ま、考えても仕方ない
今日はゆっくり寝ることにしよう