2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年6月24日に書いたモノです
2016年6月24日(金) 再入院9日目───
入院してから、ただただ休んでいる
体の疲れはとれたけれど、その反面、下肢の痛みと痺れは増幅していった
昨日、歩くのに危険を感じたので、とうとう歩行器を借りた
この歩行器は以前も自分の相棒だった
勝手にこの歩行器を『しゃー』と名付けていた
これを使うとしゃーしゃー歩けるからこの名前が付いた
正式な名前は『アルコー』というらしいが、『しゃー』の方がイカしてると思う
いつもの様にシャワー浴をしていたら、ポンと頭の中で何かが繋がった
そして、何故だかわからない涙が出てきた
どんな事もその立場に立ってみないとわからない
つらいこと、悲しいこと、病気のことを切々と周り中に言ってしまえる人もいるが、自分はどちらかというとそういうことを言うタイプではない
人は忘れていく生き物である
わざわざつらい身の上話を周りに言うこともない
つらいことは忘れるのが良い
そうずっと思っていたし、これからもそうしていくと思う
しかし、今回の病気についてのことに関しての自分の気持ちの変化や周りとのことで、つらく切ない思いをしたことを、せめてここでしっかり残したいと思う
大切なことだと思うから
決して誰かを批判したりするものではないということは先に述べておく
どの人も悪気があって言ったりそうした訳では決してないと思うし、そうであってほしいと願う
『子宮に巨大腫瘍が出来ていること』
『肉腫かもしれないこと』
『足が動きにくいこと』
『開腹手術をすること』
これくらいは事実として普通にいう
そして、これくらいは皆理解出来る
『私は子供産んだ後だから子宮取っても良いかなと思ったんだ』
『天気悪いと古傷は何年たっても痛いよね』
『手術したらあとは治るだけだから』
『悪いところをとったのに何でまだ痛いの?』
『悪いモノ(癌)じゃなかったんだから良かったわよね』
あまり深く思い出そうとするとつらくなるので、さっと思い出せる範囲でだが、自分が言われてつらかったことの一部である
これの何がつらいの?と思う人は多いだろう
臓器のどこを取ってもつらい事だとは思うが、自分にとって子宮を取るということは思っていたより遥かにつらいことであった
44才で結婚しているわけでもなく、年齢的に子供も産めるんだか産めないんだか微妙な年である
『子供を産まない』から
『子供を産めない』に変わったことはものすごくつらい事であった
子宮筋腫で子宮を全摘している方は自分の周りに割と多くいて、大抵が『もう子供も産んで、これからもう産む予定もないから取っちゃった』と、さらっと言ってのける
まだまだ子供をあきらめた訳じゃない自分の子宮全摘は不可抗力だった訳で
そんな自分にわざわざそんなこといわなくても良いじゃんと切なく悲しい思いでその言葉を聞きながす
『癌じゃなかったから良かったわよね』
この言葉もものすごくかけられる
癌じゃなかったから良かったんだろうか?
巨大筋腫の為に圧迫されていた神経のせいか、医師たちは決してそうだとは言わないが手術のときの麻酔のせいか、下肢の痺れと痛みの後遺症が残った
時には歩くことも困難になっている
実際いま、歩行器の『しゃー』が相棒だ
歩くことだけをとってみたら、癌の治療をしていてもパッパと痛みなく歩くことが出来ている人のことを自分はとっても羨ましいと思う
『手術の傷口は順調なのにどうして痛むし歩けないの?』
素朴な疑問だとは思う
見た目は元気で健康そのものである
そこが理解されない最大のポイントではあるということは十分自覚している
巨大筋腫がお腹に発見されたとき、自分は気づかなかったが、息をする事も苦しかった
頭痛も酷かったし、不整脈も今よりもっと顕著だった
体の真ん中に20センチのモンスターがどーんと居たのである
体の全ての臓器を圧迫していたわけである
おしっこも二時間が限界だったし、ご飯を食べるとうんちはすぐに出た
余談だが、当時の自分のうんちは女性の人差し指くらいのものが何本も出ていた
一本どーんと出ることがないのをいつも不思議に思ってはいたがそれも巨大筋腫の仕業であった
話を戻そう
体のど真ん中の巨大腫瘍は膀胱や腸を圧迫していただけではなく、主要となる大きな血管も圧迫していたし、リンパも色々な神経も圧迫していた
その中の足に関する神経は相当なダメージだったらしく、象みたいに異常に浮腫んだり、痛みがでたり、感覚がなくなっていた
巨大筋腫を摘出したあとも歩きづらさと痛みと痺れがとれずにいる
「筋腫で子宮全摘手術をした」と聞いて、足の症状を思い浮かべる人はほぼ居ない
むしろ「なんで?」と疑問に思うのは当然かもしれない
その状況でそういうことを説明しても、やはりなったことがない人にはなかなか伝わらない
手術が終わって退院を控えた自分に、主治医のO先生はこう言った
「あれだけ大変な大きい手術をしたのだけれど、たまに職場などで理解されないケースもあります。特に今回は術後の回復を期待した腰から下の症状は残ってしまっているので、大丈夫かとは思うけれど、何かあったら言ってください僕たちで出来る最大のことをします」
そう言われた時の自分はまさかこんな現状に置かれるとは思っても居なかった
でも、何か引っかかるモノはあり、先生のあの言葉は自分の中にずっとあった
結果的に、この先生のこの言葉通りになった
この病院の婦人のドクターやナース達は
患者に寄り添う事がごく当たり前にごく自然に出来ている
今回の入院一週間目、O先生と面談する事ができた
「世間の無理解さにくじけず負けずに今の自分の体と共存して生きていくことを考えたい」
と医師に伝えると
命を助けてくれたO先生はこう言った
「今回のあなたのケースは周りに理解されにくい、本当につらいケースです。今後、あなたのような人が出てきた時にはあなたがその人の最大の理解者になってあげてくださいね・・・・・・なれるね」
なんて素晴らしい言葉だろう
あと数日後にはここを退院する
下肢の状態は変わらないけれど、今回のこの入院で、体を休められ自分のこれからのことをまっとうに考えることができるようになった
自分の周りに力強く心地良い風が吹いてくるのが見える気がした
Gone with the wind
ビビアン・リーの表情が印象的な『風と共に去りぬ』の最後のシーンが何故か頭によみがえる