今の私を作った、過去に救われた話 | 和田じゅん「じゅんきち勇往邁進!」

和田じゅん「じゅんきち勇往邁進!」

芸能事務所兼広告代理店
株式会社マイス代表取締役「和田じゅん」のブログ☆

元マルチタレント。
2024年4月公開の映画「あまろっく」協賛セールスチームとして、尼崎を駆け巡っています!

12歳下の夫と8歳の娘、
家族三人で楽しい上海と日本の二重生活^^


新春1発目はこんな赤裸々な告白を(笑)。



ちょっと、重い内容と思われる方がいらっしゃるかも知れません。



「お涙頂戴」を盛大に書くのではなく、


100歳のおばあちゃんが亡くなって、

上海に帰ってきて、


思った事を正直に、皆さんには

「へー、こんな人もいるんだね」

くらいで読んで頂きたく😊



なんなら笑い飛ばして「おう、頑張れや!」

くらいの気持ちで(笑)



私の幼少期は、大変厳しく育てられました。


三人姉弟の長女、

おばあちゃんが作った孫の頂点、

いわゆる長男の最初の子供、

1番最初の孫が私です。


とにかく孫たち全員の手本になるよう、

遊びの引率を全て任されたくらい、


それで不具合があると、

烈火の如く親からも祖父母からも叱られました。


普段の生活も、今では考えられない

両親からの理不尽な虐待が横行しており、


反骨精神と「怒り」が私の幼少期を

表すワードとなりました。


学校では同学年の生徒から

ほぼほぼいじめられる

「いじめられっ子」でした。


KやSやN、ボス格のいじめっ子、

それに準じる子たち、名前をあげたら

キリがないほど、男女問わず、

※今でも名前を覚えていますがw


暴力ありきでのいじめを受けていました。


家での「虐待」と学校での「いじめ」に

ゴリゴリに挟まれた私は、


誰かに助けを求めたかったけど、

上手にできなくて、


その捌け口なのでしょうか、

自分より年下の子や、

可愛くて愛されている子を

「羨ましい」と思ったりすると、

つらく当たったりして、


下手くそで間違っている

歪んだSOSを送っていました。


※その子たちには、

会う機会があったら今でも謝りたいです。



そしてさらに嫌われていき、、、


いずれは自死をも考えるようになったのが、

小学校5年〜。



「行き場がない」



という辛さは、あれ以上はなかったと思います。


私、生きてていいの?と

自問自答していました。



そんな歪んだ学生時代を送り、

そんなに人付き合いの上手くない私が、


大人になり、


芸能の道を歩む事となります。



そこでも例に漏れず、


やはり同じようにいじめられました。



あー、わたしの人生ってそうなんだな。。



そう考えながら「おはよう朝日です」という

関西ローカルの生放送朝番組のアシスタントとして、毎朝出演する事が決まりました。


何にも知らない所へ、

あれもこれもと要求されて、

ついていくのが必死。


もちろん、不出来なアシスタントでした。



そこでも仕事だけでなく、

全てが上手くはいっていませんでした。



それでも一年は続けようと、

必死でついて行っていたのですが、


スタッフ陣や出演者からのダメ出しが

キツい方もいて、

※これはいじめではなく、

強めのダメ出しですw



泣きながら帰る日々も多々あり、

※弱かったのな、当時私w


途中にある福島の踏切で、

本当にはねられて自死しようかと

何度も思うくらい、ノイローゼ気味に

なった事もありました。



そんな中、

オンエアも一年の半分を越した頃のある日です。



生放送始まってすぐ、


CM前のお決まりのセリフ、



「それではみなさんいってらっしゃい」



とカメラに向かって挨拶して、

CMに入った途端、



その場で崩れるように

倒れてしまった事があります。



慌ててスタッフの方に、

奥に連れて行かれて、寝転んでいました。



宮根さんが「和田さんは急な体調不良で」と

CM明けに説明していました。



結局オンエアにそのまま戻る事が出来ず、

エンディングに。


終了後、局の医務室に連れて行かれて

寝ていると、

38度を超える高熱がでておりました。



実はその日、「おはよう朝日です。雑誌です」

というおは朝周年の雑誌の取材があり、

どうしても撮影をせねばならない日でした。



無理です、出来ません、と伝えたのですが、

どうしても、と言われ、

クタクタの体で撮影したのを覚えています。



撮影が終わる頃、熱は下がっていました。


ただその日、

家に帰って、死んだように眠っていました。


あーあ、私ってつくづくダメな人間だな、

と、思っていた、



そんな翌日の事でした。



事務所のスタッフから、



笑福亭鶴瓶さんが、ラジオで、


「今日朝、おは朝みてたら、急に和田じゅんちゃんおらんようになって、あれ大丈夫やったんかな?」


と仰ってたでー!と聞きました。



え??こんな私みたいなダメな人間でも、

気にかけてくださる方がいるなんて

嘘でしょ??



なんでありがたい事なんでしょうか。


わざわざそんな些細な事を

気にかけて下さった鶴瓶師匠の一言。



私はただただ、思いもかけない、


そうやって気にかけてくれる方が

一人でもいらっしゃったという事実に、



心より救われました。



そして、いつか鶴瓶師匠にお会いしたら、

絶対その時のお礼を言おうと思っていました。



そして、その機会がついに…!



去年の春、映画「あまろっく」撮影の現場で、

撮影の合間の師匠にお時間を頂戴して、

お話しして、お礼を申し上げました。


すると、なんと、


「自分ー!!あの時の!!あの子か!!

急におらんようになって、

ビックリしたんよー!!」



なんと、あの時のことを

覚えて下さっていたのです!!

※本当はお話を合わせて下さった優しさかも知れませんが、嬉しかったです。


「宮根はあれから比べたら

丸なったんやで(笑)」


とか(爆)、


「で今何歳なん?…え?51かいな!

ほなもう大丈夫やんかww!!」


と朗らかに仰って下さって。



その時、全てが救われた気がして、

涙が溢れてきました。


本当に、いつか言おうと思っていた御礼を、

なんと23年ぶりに、師匠にお伝えできて、


その機会がありがたく、



映画「あまろっく」の為に、

命かけて頑張ろう!と思えたのも、


あの時救っていただいた命です、


あとは出会う方々に、

笑顔になってもらえる恩返しが

少しでもできたら。。



そんな思いで、協賛セールスの仕事に

向き合うことが出来ています😊



大器晩成とまでは言いません、

でも、おばあちゃんが生きた100歳の、

私はようやく半分です。



後の半分生きるとすれば、

誰かに喜んでもらえるお仕事がしたい。



そう思った2024年、お正月でした。



いつまでも出来ることしかできないし、

非力な私ですが、


笑顔になってもらえるチョイスを

常にしたいと考えています。



目指すは「三方よし」です😊



今年の4月に公開されるまで、

やれることは全部やろうと思っています。



尽力します!!!!


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