皆さんこんにちは。
今日はA・マレービアン「非言語コミュニケーション」の本を読んでいることにちなんで「非言語コミュニケーション」からディスカウントを考えてみたいと思います。(ちなみに私はマレービアンの法則の数値をコミュニケーション全体にあてはめて話すことには当然ですが否定的な考えを持っています)
まずは、お近くに誰かいたらこんなエクササイズをしてみてください
相手と向き合い、目を見つめ相手に「何も伝えない努力」をしてみてください。
30秒ほど行ったら相手に聞いてみてくださいきっと「何も伝えないぞ!」という感覚や意志、体の緊張のようなものがヒシヒシと伝わってきたと言うと思います。
このよう考えると我々は、自分自身の考えとはまったく別次元で何かを伝えてしまう存在なのかもしれません。
例えば、「無視」という非言語のディスカウントを行った場合、本当に相手に何も伝わっていないでしょうか?
上記のように考えればたぶん、「おまえを無視してやる」という強烈な非言語メッセージが伝わっていることでしょう…
無視などの明らかなディスカウントでなくとも我々はふとした会話の「間」や文章の「行間」からこぼれ落ちるメッセージを受け取り自分自身の中で「これはもしかして…」と言語と非言語のはざまで一致や矛盾を感じとりながらコミュニケーションをしています。
その不一致にとらわれたとき自分自身の内界でディスカウントが起こるのではないでしょうか?ゆえにディスカウントは不可視であるとシフは言っているのではないかと私は考えます。
今度は逆になぜ我々はディスカウントを起こさないのかということを考えてみると、そこには、コミュニケーションをする人同士の「関係性」というものがかかわっていると思います。
例えば、気の知れた仲間の間で何か失敗をしたとき「バーカじゃねーの」や「アホやなーー」と言われても当人はディスカウントされたとは思いませんよね、このようなときはむしろ言語メッセージ以外の「関係性」をというメッセージ感じとり、ディスカウントされたとは思わないのだと思います。(「関係性」=メッセージということは一端置いておいてください)、しかし見ず知らずの人にこのように言われたら「ムっ」とすると思います、それは関係性という非言語メッセージがないからです。
このように考えていくとディスカウントがどのように起こっているかということと「関係性」という非言語メッセージがかかわっているということが見えてくる気がします。
みなさん、いかがでしょうか?今日はここまで、ありがとうございました。