皆さんこんにちは。
今日は、ディスカウント理論 展開編 導入 ~その参~ の続きで次回は刺激の扱い(T1)について考えてみたいと思います。
そもそも論として刺激の存在に気づいていればディスカウントは進行しないわけなんです。
では何故我々は、「刺激の存在」をディスカウントしてしまうのでしょう?
もちろん、個人の認知や脚本がかかわっていることは間違いないですが今日は刺激の側から「刺激そのものの在り様」として考えてみた場合はどうなるでしょう?
思いついたものを書いてみますと下記のようなものが考えられないですか?
わかりやすくするため擬人化して書いてみます
①「僕って影が薄いとよく言われるんです…」
刺激が刺激として気づきにくい。刺激が薄い・少ない
②「俺ってさ、いろいろな可能性を秘めているじゃん、悪くなることもあるしそうでないときもあるし、まー暖かく見守ってくれよな」
刺激の時点では問題に発展するまでに多数の選択肢がある
③「俺ってばさぁ、チョー短気なんだよね」
刺激と問題発生の時間が短い
④「私とあなたは今日が初対面ですね、だから私がどんな人か知らないのも無理はないでしょう」
その刺激が問題につながった経験がないため刺激として感知していない
他にもいろいろあると思いますが、ブレストしたら何パターン化に集約されていく気がします。
まだ直観の段ですが刺激の量と経過時間の二軸のグラフ?のようなものができそうな気がするのです。グラフができるということは、公式ができそうですね…
話が拡散したので今日はここまで。
皆さん、刺激を擬人化したセリフお待ちしています。
ありがとうございました。