※おじさんは今回はさすがに少し鳥の話をします。

ピヨピヨ達は後期高齢者入りと思しき齢となるも、お陰様でいまだ死にそうもなく元気そのものである。

本格的に冬に入り、保温電球の使用を始めた途端に電球が切れるアクシデントがあったが、ネットで注文翌日すぐに届き事なきを得た。ちなみに我が家では40Wの保温電球用の器具に20Wのヒートランプを使用している。器具と電球の隙間が大きく開くので万が一にも事故が起こりにくそうであるし、温暖な静岡では20Wでよいという判断だ。

 

 

 

 

 

で、半ば無理矢理の記事をブッ込んだわけだが、我が心笠松に在り。

電球つながりというわけでもないが、ここからが(自己満足度120%の)本題である。

なんと!

ちゅうじょうとうを、てにいれた!

僥倖なり。

まさかこんな早くこの手にできるとは思っていなかった。惜しむらくはセードタイプでないことだが、自宅にコレを建てる計画が大きく前進したことに変わりはなく喜ばしい限りである。くそどうでも良い情報として、コレは第一世代(と勝手に呼んでいる)で、継手が丸型でそこへ接続する金属管も全体的に曲線のみある。より新しいもの(第二世代と勝手に呼んでいる)は継手がT型で天頂部の金属管が直線的である。

 

ちょっとセード(104)を合わせてみたが、セードが新しすぎ&セードのステーが大きすぎで違和感が…

最終的にはセードタイプを自宅に設えたく、どうにか入手を目論んでいるが、果たしていつになるやら。

※今回もおじさんは鳥の話はしません。

【くそ長い前置き】

前回のブログでも書いた通り、私は小学生低学年の頃からマウントのファンである。だが、ほんの最近までそれらの製造元については、何一つ知らなかった。そして、それを知ったのは「裸電球の街燈」というブログを訪れた今年、2023年5月のことである。私はそこに貼られていたリンクを辿り、初めて製造元である笠松電機製作所のHPを閲覧し、2つの事実に驚愕するとともに愕然とすることとなった。すなわち、一つ目は柱上灯(両手マウント)も同社の製品であったこと、二つ目は何とも残念なことに2022年10月に同社は照明器具製造から撤退(のちに廃業と判明)していたことだ。

 

柱上灯

…これは私が小学生のころ、地元のイトーヨーカドー静岡店が1986年に開業する前、その場所にあった鐘淵紡績(カネボウ)工場跡地南側の外壁に2基設置されていたもの(厳密には画像はそれの後継品)だ。2基ともに錆だらけで傘は既に失われ、電球は割れて芯の部分を残すのみになっており、あの電球をどうしても交換したい、点灯させてみたい…その思いと共に侘しい佇まいと情景が当時9歳の私の心の奥底に、なぜだろうか極めて強く写真のように焼き付いているのだ。図らずもこれの製造元であったことも知ることになり、電話・メールをしてみるも既に不通。居ても立ってもいられず5月、6月とどうにか入手できないものかと血眼になって情報を集め足掻いた。幸い通常のマウントは某県の某電業舎から購入できたものの柱上灯は需要・供給ともに極めて少なく、先述の通り同製作所は廃業。また某解体業社のinstagramで社屋の解体記事を発見、電話確認で事実を確認しどうにもならなかった。笠松電機製作所100年余の歴史を考えると、ほんの少しだけ間に合わなかったことが本当に残念でならない。私が玄関灯として例の防犯灯(マウント)一式を偶然楽天で発見し、購入したのは今から数年前のことである。当時少しでもそのマウントに貼ってある製作元が記されたシールの存在に気付いていれば…Google検索でもしていれば、HPを発見し購入できたろうに!と今でも後悔の念に堪えない。

 

にしても、笠松式照明器具は何故こんなにも私の琴線に触れるのだろう?自分でも全くわからない。が、一定数私のような方々が存在することは分かった。そんな方々と今後交流を持ってみたいと思う。というわけで、こんな記事もたまには書いてみますよ、という前置きはここで終わり。

 

【本題ここから】

で、今回は玄関灯だけでは飽き足らず人感センサー付きのマウントを自宅に取り付けたのでその紹介。今どきはセンサー付きLED電球などという優れモノも存在するようだが、それではひと目でLEDであることが分かり興ざめなので、敢えて灯体とセンサーは分離する方向でいくことに。とても見づらいがマウントの付け根左側についている黒い物体がセンサーで、明暗感知も兼ねているため、無駄に昼間は動体を感知して点灯することはないようになっている。また、センサーを通さずに常灯させることもできるように下部にスイッチを設けたが、伸び放題の植物に隠れてしまい写っていない(笑

高所恐怖症の私にとって約3mの場所に照明を取り付ける作業は非常に恐ろしいことであったが、笠松式照明器具への情熱がそれを軽く上回った。そして、いつしか柱上灯を自作して庭に柱を立てるという夢を持つようになった。

※はじめに、今回おじさんは一切鳥の話はしません。

1970年代の国内における防犯灯(電柱などに取付けられたいわゆる白熱灯を使用した街灯、以下マウントという)はLEDなど存在しないことはもちろん蛍光灯や水銀灯も少数で、ほとんどが白熱灯を使用したものばかりであったように思う。幼いころの我が町内においても同様で、私は辺りが暗くなるころには道端にズラッと並んだ電柱と、その全てに整然と灯るマウントを眺めるのが好きだった。また昼間明るいときにそれらをよく観察したものだが、真新しそうなものから錆びだらけのもの、傘の色が違うもの、傘が折れ曲がっているものや失くなってしまったもの、その傘を支える柄の形状がS字のもの、直線のもの、電球が透明なもの、白色のものや割れているものまで───ほとんどの人にとっては全くどうでも良いであろう───それらの違いを発見しては、自分だけが知る極めてニッチな情報を得ることを楽しんでいた(変な奴でしかないw)。そしていつか自宅にあのマウントを取り付けるのだと強く思っていた。



小学生の時こんなまぢかで見てたら嬉しくて失神してたかもしれない


使用するのはもちろん白熱電球!


1980年代になるとマウントは蛍光灯に駆逐され始め、高校生となった1990年代ともなると我が町では全てのマウントが姿を消してしまったように記憶している。ただその頃には勿論様々なもっと楽しいことをいくらでも発見し、いつしか小学生の思いはすっかり記憶の彼方へと忘れ去られ三十余年。ふと目に入った自宅の古い玄関灯が錆び錆びのくせに侘びも寂びもねぇデザインだなぁと思ったとき、小学生の頃のマウントへの強い思いを急に思い出し、ネットで検索すると意外にもあっさりと発見できたため即座にマウントを購入したまでは順調だった。が、いざ取り付ける段階になって電気工事士の資格が要ることを知り頓挫。そして放置することさらに数年・・・だがしかしついに資格を取り、先日夢が実現した。



つい嬉しくて明るいうちから点灯しちゃう奴


早く暗くならないかな


言葉にならん。感無量とはまさにこのこと。

ところで私の中で玄関灯とは一晩中点灯しておくモノだったのだが、家内は寝る時間になると必ず消してしまう。問うたところ電気代云々ではなく寝るときは消すもんでしょ?とのことだ。どうなんだろう。本当は一晩中点けておきたいのだが、このご時世に白熱灯を一晩点けっぱなしは避けたいので文句は言うまい。電球型LEDも考えてはいるが、この何とも言えない昭和感というか明りの質感が変わらないか気になって、まだ踏み切れない。もう少しだけこのままにしようと思う。