プリンスのことを書いてから約1ヶ月。その後、10日間ほどNYに行ったり、帰国してすぐに今度は福岡に行ったりで慌ただしくしてたんだが、ようやく日常を取り戻した感じなので、ブログも再開。ぼちぼち更新していきます。


2016年4月19日(火)

渋谷オーチャードホールで、ボブ・ディラン。

約1ヶ月前に観たライブだけど、もうずいぶん昔のようだ。ディランのライブは確かに素晴らしく、いろいろ感想を書きたい気持ちに観たばかりのときはなっていたのだが、プリンスのことがあってその気持ちが吹き飛んでしまった。プリンスのことがあったあとはしばらくほかのアーティストの音楽がまったく心に響かなくなっていたので、ディランのライブがあの日の前でよかったとは思う。あとだったらたぶん僕は買ったチケットを誰かに譲っていただろう。

プリンスはあんなふうに突然世界から去ってしまったわけだが、ディランはあんなふうにいなくなったりしないだろう。と、いま思う。ディランはまだ当分いろいろ挑戦し続け、まだまだ作品を出し、そしてやるだけやって死ぬのだろう。そのとききっと僕たちは、あの人はとことん最後まで表現を続けて、それで死んだんだから悔いはないだろうねと思うことだろう。そもそもまだまだ長生きするだろう。なんでかと訊かれても困るが、ディランはそういう人だと思う。

ライブの感想は、いろいろ書きたかったんだが、もう記憶があまりない。ただ、とにかく圧倒されたのはやっぱりあのしゃがれていながらも野太くて恐ろしいほど説得力を持った歌声そのもの。歌表現以前にもう出力からして凄い。それが男たちのバンドサウンドと一体となり、ここがどこなんだかわからなくなるような世界を現出させていた。それはもう、世界観なんて言葉が生ぬるく思えるほど。メンバーたちの表情が見えない暗めながらも独特の雰囲気がある照明がまた素晴らしく、なんとも現実離れした時間を味わった。まったく、すげー爺さんだ。…と思ったことだけはとりあえず覚えている。


ストーンズとプリンスとルー・リード。この3組が若い頃の自分にとっての神様のような存在だった。神様みたいだなんて書き方はこの歳になるとさすがにアレだが、要するに「好き」というレベルを遥かに超えた、自分にとっての重要すぎる存在。極端に言うなら、この3組の音楽があればほかの全ての音楽はなくなってもかまわないんじゃないかと、そのぐらいに思えていた時期が確かにあった。

にも関わらず、ルー・リードが2013年に亡くなったとき、僕は悲しみにくれたりはしなかった。もちろんたいへんなショックを受けたけれど、自分でも意外なほど「悲しい」という感情は湧かなかった。ルー・リードは表現者としての人生を全うしたように思えたからだ。


ルーには(少なくともある時期以降は)駄作というものがなかった。僕には出すアルバム全てが傑作に思えていた。しかもラストアルバムがメタリカとコラボしたあの壮絶な『ルル』なのだ。それ以上に凄まじい表現をもっと見せてくれ…という気持ちにはならなかった。誤解を招く言い方もしれないが、あれで十分だった。ルーの音楽表現に何度も揺さぶられたり力をもらったりしたひとりのファンとして、だから最期は素直に「ありがとう」と見送れたのだ。

ストーンズ、プリンス、ルー・リードほど深くは入れこまなかったものの、もちろんデヴィッド・ボウイの音楽表現にもずいぶんインスパイアされたのは当然のこと。だからボウイが今年1月に亡くなったときは激しくショックを受けたが、やはり悲しくてどうにもならないというのとはまたちょっと違う感覚だった。(これもまた誤解を招く言い方かもしれないが)なにしろボウイの表現者としての死に様は完璧だった。死を覚悟・意識した上で遺書として『ブラックスター』というアルバムを作り、それは驚くことにそれまでの自身の表現を超えたものだった。ある意味での最高傑作を残してボウイは死んだのだ。

ルー・リードとデヴィッド・ボウイはずっと凄い表現者であり続け、最期までが凄かった。それは奇跡的なことだろう。

プリンスが死んだ。

昨朝それを知って激しく動揺し、動揺したまま1日が過ぎていった。何も手に着かず、原稿なんてまったく書けず、部屋のなかをグルグル回って、これじゃマズイととりあえずジムに行ってプールでひたすら泳いだ。その帰り、ぼーっとチャリをこいでいたらトラックにひかれそうになって、自分が死んだらしょうがないと喝を入れたものの、帰ったらまたしばらく心が乱れた状態に戻って、なんともまいった。

悲しみは襲ってこなかった。それよりまず動揺がきて、そのあと脱力と妙な苛立ちがきた。悲しいというより、なんかムカついてきたのだ。

だって、プリンスの終わり方がこんなんでいいはずがない。こんな終わり方じゃ誰も納得できない。正直、ふざけんなと言いたい気持ちにもなる。が、誰よりそう思ったのはプリンス当人だっただろうと考えると、それがまたどうにもやりきれない。

結果としてプリンスの遺作は『HITNRUN PHASE TWO』となった。悪くないアルバム、いや、かなりいいアルバムだとは思う。「Baltimore」は本当に素晴らしいメッセージソングだ。とは思うけど。あれが遺作かぁという残念感はやはり拭えない。全然やりきれてない。あまりにも道の途中感が強すぎる。比較してどうこういうものではないとわかっちゃいるが、『ルル』や『ブラックスター』の表現の壮絶さにはまるで及ばない。及ぶものを作れるひとだったのに。ということがなんとも悔しい。

2014年の『アート・オフィシャル・エイジ』と『プレクトラムエレクトラム』、それから(とりあえず『HITNRUN PHASE ONE』のほうは置いといて)『HITNRUN PHASE TWO』。この3作にはそれぞれ異なる形ながらも、いままたプリンスの創作力が充実してきているという実感を持てるところがあったし、もしかしたらこれから全盛期に匹敵する傑作が生まれたりもするんじゃないかという予感めいたものを感じられるところもあった。

しかし振り返れば『ミュージコロジー』のときも『3121』のときも、また創作が充実しだしてきたな、プリンスはここからだなと僕は思ったわけで、そういう意味ではもうここ数年ずっと「プリンスはここからだ」「もう一回黄金期が来るんだ」と思いながら、信じながら、彼の活動を追い続けてた気もする。

果たしてこのまま続けていたら、いつか『パレード』や『サイン・オブ・ザ・タイムズ』に匹敵する傑作がまた生まれることはあっただろうか。また、プリンスにはそういう傑作をもう一度ものにしたいという欲求がそもそもあったのだろうか、なかったのだろうか。もしかすると傑作をものにすることなどもうさして興味がなく、ただ“良質な”音楽を作り続けつつライブさえやれればそれでよかったんじゃないか。いや、だけどここにきて伝記を書いていたというのは、それを仕上げることで新たな扉を開かんとし、もう一度傑作をものにしようと意欲を見せていたところだったんじゃないか。わからない。そのへんが僕にはわからないし、いまとなっては誰にもわからない。

いずれにしても……プリンスがどのようなビジョンを頭に描いていたとしても、ここで全てが終わってしまったことがいまはただただ残念でならないし、腹立たしい。誰より本人が冗談じゃないと思いながら逝ったことだろう。

因みにかつて愛したヴァニティが亡くなり、「彼女は自分の人生を祝福してもらいたがっているはず。彼女の死を嘆くのではなくて…」とライブ中にプリンスが語ったのは、わずか2ヶ月前のこと。「彼女」が「プリンス」に置き換わって誰かにそう言われる日が2ヶ月後にくるなんて……まったく……。

まだまだプリンスの尽きない才能に驚かされたかった。不老不死に思えていたプリンスがここからいなくなる日が来るなんて想像したこともなかった。

プリンスのいない世界となって二日目の午前。一昨日までとは別の世界にいるみたい。心に穴があいてしまって、どうふさげばいいのかわからない。未だに受け入れることができない。まるで音楽が死んでしまったような最悪の気分だ。



2016年4月16日(土)

恵比寿リギッドルームで、GLIM SPANKY。

チケットはソールドアウトで、超満杯。そして観客の期待感と熱気が相当凄い。これまで何度も観てきたGLIMのライブのなかで昨日が一番、客側の熱が高かったんじゃないか。

もちろんそれはステージ上のバンドの熱に呼応したもの。ライブ回数の多さに比例して頼もしさがますます増しているGLIMであった。

今回はサポートでキーボードも。2人+2人=4人の音に慣れていたため、話を聞いたときには鍵盤が加わった音をイメージできずにいたのだが、これが実にいい効果。目立ちすぎず、ここぞというところで入ってくるその音はとてもよくて、「大人になったら」などはその鍵盤音の入った状態こそが完成形だと思えたくらい。

「時代のヒーロー」、それと「話をしよう」という新曲の、新味とGLIMらしさの塩梅がよかった。また個人的には「BOYS&GIRLS」のノリに「ああオレ、この曲好きだぁ」と。

対バンありゆえ、1時間ちょっとの短めのステージであっという間だったけど、7月に再びキネマ倶楽部で単独公演が行われることが発表され、しかもそれは「GLIMの幻想世界を追究するコンセプトライブ」だそうなので、それを楽しみにしよう。いいねぇ、そうやってテーマ切りでライブをやるという試みは。それによって世界観に広がりが出るだろうからね。


2016年4月15日(金)

日本武道館で、エリック・クラプトン。

エリック・クラプトン、5夜限定の武道館公演。その3公演めを観た。

クラプトンを観るのはスティーヴ・ウィンウッドと一緒に来た時以来なので4~5年ぶり。見ため&声の出は、正直、老けたなという印象。今回、ポール・キャラックやアンディ・フェアウェザー・ロウらバンドメンバーがヴォーカルをとる場面もちょいちょいあるのだが、声の出力的にはクラプトンが一番弱いように感じた(あくまでも出力的にね。味わいはまた別の話)。

総体として「ノる」「騒ぐ」「踊る」的な要素はなく、音を「聴く」楽しみを味わうコンサート。という印象は、これまでに観たクラプトンのライブのどれよりも。ステージの上も下も高齢者が多い故、それは自然な移行なのだろうし、あり方として無理がない。

全員が凄腕とあって、バンドアンサンブルはそりゃもう素晴らしいもの。最上級。とりわけ個人的には鍵盤奏者ふたりのプレイに何度もうっとり。クリス・ステイントンもすげえんだが、とりわけやっぱりポール・キャラックの出す音がたまらなく味わいあってねぇ。ポール・キャラックの単独来日公演をお願いしたいくらいですよ。アンコールなんて「ポール・キャラック・バンドにクラプトンも参加」といった様相でしたしね。

そんな感じでクラプトンの「オレが主役」感はわりと薄めだったんだが、それもまあ、若い頃から数々のセッションで存在感を示してきたあのひとなりの矜持かと。

それにしても好きなタイミングで好きなように弾いてればバンドメンバーたちが上手く合わせてくれるんだから、いいよねぇ、クラプトンは。パッションなくとも、流儀がある。その流儀をみんなが喜ぶ。だからOKっていうね。

因みに初日にサプライズで出たらしいエド・シーランくんの出演は、この日はなし。13日に観れたひとが羨ましいのお。


2016年4月10日(日)

渋谷WWWで、GOOD BYE APRIL。

いいライブだった。本当にいいライブだった。

「いいバンドだなぁ」「ずっと観てきてよかったなぁ」という思いが、観ている間に何度となく去来した。
それだけじゃない、いろんな思いが頭のなかでグルグル回ったりもしていた。彼らを長く観てきたファンの方や近い関係の方はみんなそうだったんじゃないだろうか。

結成から5年半、休むことなくライブを続けてきた彼らにとって、渋谷WWWは(ワンマンにおいては)過去最大キャパ。1年前に決めたこのライブを彼らはひとつの大きな目標にしてきた。まずはこのライブに向けて心をひとつにしようとし、そうしてきた。アルバム『ニューフォークロア』も、このライブが決まったことで作られたものだ。

レコ発ワンマンライブで、ライブタイトルもアルバムタイトル同様『ニューフォークロア』。ひねったライブ用タイトルを用意するわけではなく、つまりそのアルバムに込めた思いをそのままナマで届けんとするものだということがわかる。故にサポートで、チェロ、ヴァイオリン、キーボードが加わった、4+3の7人編成。『ニューフォークロア』の世界観をそのままに近い形で表現するための編成だ。

アルバム同様、開幕曲は「水色の夏」。ステージにいるのはストリングスのふたりとピアノと倉品くんで、メンバー3人はまだいない。アルバムがバンドサウンドではないこのような響きで始まったことにも驚かされたものだが、絵としてその状態を見るとなると尚更「おっ」となる。そして郷愁も湛えた美しいその曲が終わるタイミングでつのけんが出てきてドラムが鳴り、ベースの延ちゃんとギターの卓史くんも加わって、今度はバンドサウンドの「夢見るモンシロ」が高らかにスタート。…というこの二段構えのオープニングにまずつかまれた。

3曲目で早くも代表曲「パレードが呼んでる」が演奏され、「レモンの花」「わがままモンスター」と続けてから、『ニューフォークロア』収録の「宇宙行進」「ターナー」へ。サポートメンバーが一旦はけてからもいつもの4人の演奏は生き生きと力強く弾けていく。MCでは特別な気持ちであることが喋り声のトーンにも表れている倉品くんに対し、延ちゃんは「なんか形になってよかったですね」と他人事のように言ったり、そこに卓史くんがつっこんだり。その感じはまさしくいつものエイプリルだ。

また、『ニューフォークロア』楽曲に、どんな旧曲をどのように絡ませていくかというのもこの日の見どころのひとつなわけだが、「ターナー」のあとに「バイタルサイン」が来たことには意表を突かれた感があった。

個人的にこの日もっとも胸うたれたのは、次に倉品くんのアコギと林田さんのチェロだけで演奏された「start over」だ。初めて聴いたときからやられてたんだが、インタビューして、この曲の歌詞の「君」が倉品くんが幼い頃に亡くした母親のことだと知ってからは泣かずに聴けなくなった。一語一語丁寧に言葉を発しながら歌っていく倉品くん。そして間奏の林田さんのチェロの音色に至って、病院と手を振ってる倉品くんのお母さんの姿とそれを見ている倉品くんの姿が一枚の絵のように目に浮かんできて、案の定、僕、落涙。この日のこの曲の響きを僕はずっと忘れることがなさそうだ。

清野さんの鍵盤の音が効いていた「君がいなきゃ」から「ユキノシタ」へと続き、12曲目は「ラストダンス」。GOOD BYE APRILが音楽を鳴らす意味とか、それを楽しむ気持ちが集約されているようで、聴いてて嬉しくなる曲だ。倉品くんの頭のピアノの入りと、ユーモラスな雰囲気を作った卓史くんの低い声のコーラスがよかった。

そしてその多幸感溢れるムードから一転してエイプリルの中で最もロック色の濃い「アドバイス」へ。ストリングスが加わったことで曲の切迫感…ヒリヒリする感覚も増し、相当かっこいい仕上がりになっていた。卓史くんのギターも唸りに唸り、ここにおいてはロックバンドのよう。そこから「愛はフロムロンリーハート」へのモードチェンジも無理なく行われ、それによる彼らの演奏の幅も僕は感じたのだった。

サポートメンバーたちがはけ、「やっと4人になれたね」と延ちゃん(笑)。が、ここでの倉品くんの「メンバーに心から感謝してます」という(この日にしか言えなかっただろう)言葉から彼らの中の感情スイッチが入ってしまったようで、特に前の両端のふたりは次の「太陽」を感極まったような表情でプレイ。曲の持つ(特に後半のハーモニーの)昂揚感と会場にいた全員の「ここまでやってきて本当によかったね」という思いがひとつになって、感動的な空気に包まれた。ここでまたジンときていた僕だったが、回りにも涙を拭っているひとが何人かいた。そして本編ラストの「キレイ」の歌詞は、CDで聴く以上に4人の意志表明として強く&豊かに伝わってきた。

アンコールはまず「プロポーズ」。清野氏の鍵盤がやはりいい。で、「(自己満足だった以前とは違って)最近は人のために曲を書きたくなった」という延ちゃんの言葉があり、最後の最後は「おおハシャギして終わりたい」という気持ちから(延ちゃん曰く「5年前に作ったクソヤバイ曲」)「サンデイ」で締め。いままでで一番楽しそう&嬉しそうにこの曲を演奏する4人の表情が印象的だった。

この特別な、大きなライブを、だけど彼らは演出めいたものを一切つけず、歌と演奏だけで見せて聴かせた。サポートが3人入ったことのスペシャル感こそあったが、それも演奏される楽曲が呼びこんだことであり、そういう意味で基本的にはやはりとてもシンプルなアプローチのライブだった。それは倉品くんの言う「ただ曲のよさを伝えたい、それだけ」という基本姿勢をそのまま表したもの。けれどもそこが何より重要なんだということも、きっと彼らはこのライブによって再確認できたんじゃないだろうか。

もちろんこれがゴールなんかじゃなく、ここから道が続いていくわけだけど、でも“単なる通過点”というよりはやはりもっと大きな意味を持った(それはメンバーにとっても関係者たちにとっても観客にとっても)、そういうライブだったと僕は思う。だからこそ楽しみなのはまさにこれから。こっからエイプリル第2章の始まりという、そんな感じかもしれないね。


2016年4月10日(日)

東京ドームシティホールで、ベン・ワット・バンドfeat.バーナード・バトラー。

HOSTESS CLUB Presents SUNDAY SPECIALで、ベン・ワット・バンドを観た。

2年前だったかのサマソニ以来。かつてはなかなか来なかったのに短いスパンでまた来てくれるというのは、新譜を出したこともあるだろうけど、それ以上に日本のオーディエンスのことを気に入ってくれたからなのだろう。今回も感謝の弁をのべていたし。

新作未聴のまま僕は行ったのだけど、いいライブだった。バンドとしてよかった。昔の曲は1曲だけだったが、それでもよかった。昔がどうとかいうのではなく、今のベン・ワットが今のベン・ワットとしていいのだ。

それはなんというか、寂寥感増量の静かなるニール・ヤングってな雰囲気。訥々と語るような彼の歌に対し、けっこうバリバリ弾きまくるバーナードのギターも、対比としていい効果を生んでるように思った。新譜、聴かなきゃ。


2016年4月8日(金)

大森「風に吹かれて」で、『加奈崎芳太郎・内本順一 トーク&ライブ 46年を語り唄う』。

この日は横浜でヴィンテージ・トラブルとGLIM SPANKY、渋谷でGLIDERの初ワンマン、そして下北でチャボさんやリクオさんたちのライブがあって、できるもんなら分身の術を使って全部観たかったところだけど、僕はといえば出生地・大森にある「風に吹かれて」というお店におりました。

『加奈崎芳太郎・内本順一 トーク&ライブ 46年を語り唄う』。そう、昨年の「古井戸・再会」ライブも感動的だった加奈崎芳太郎さんのステージで、トークのお相手を務めさせていただいたんです。小僧のこの僕が。なんと光栄な!

70年代の古井戸時代から加奈崎さんのライブを観続けているというツワモノ(笑)のお客さんも何人かいらっしゃってたようでしたが、みなさん楽しんで聞いてくださってる様子が表情や笑い声から伝わってきて。また何より加奈崎さんのお話が面白い&グッとくるもので。僕も意外とリラックスして、楽しく話すことができました。いい経験できたなー。

また、サウンドチェックが終わってから19時半のスタート時間まで2時間半くらい、古井戸のこととかエレックのこととか渋谷ジァン・ジァンのこととか、加奈崎さんからいろんな話を聞かせてもらえたのもよかったです。本当に貴重な話がいっぱいで。なんなら本とかにしたいくらい。

本と言えば、僕が加奈崎さんと知り合ったのは、清志郎さんが亡くなられた2009年のこと。泉谷しげるさんと加奈崎さんの共著による『ぼくの好きなキヨシロー』という本の構成・聞き書き・編集を担当したのがきっかけでした。僕を指名してくださったのは泉谷さんで、だから「清志郎さんと泉谷さんがいなかったらこうして加奈崎さんとステージでトークするなんてこともなかったんだよな」という思いも。清志郎さんが加奈崎さんと出会わせてくれたんです。

15~16歳の頃、僕はまったくもって学校や社会に不適合な人間で。いわば暗黒の時期を過ごしていたわけですが。その頃によく聴いたのが古井戸の「何とかなれ」。「なんとかな~れ~。な~~んとか、なれ~」。それを聴いて(歌い叫んで)どうにかこうにか自分を奮い立たせていた。本当にその曲にどれだけ救われたことか…。それから30数年が経って、今それを歌ってたひとと同じステージで楽しく話をしている自分がいるというのは、なんとも不思議な気分。人生、面白いです。あの頃の自分に言っても、きっと信じないだろうけどね。

とてもいい時間でした。もちろんトークのあとの加奈崎さんのライブにもグッときました。
(この場を借りて)加奈崎さん、本当にありがとうございました!


2016年4月7日(木)

EXシアター六本木で、ヴィンテージ・トラブル。

彼ら単独の日本公演においては、キャパ的に過去最大。今回の日本ツアーの中でもここだけダントツに大きな会場だ。よってチケットの売れ行きはもうひとつみたいに聞いていたのだが、フタをあけたらしっかり満杯。フロアぎっしり。それがまず嬉しかった。

前座はウルフルズ。彼らが国外アーティストの前座をやるのはこれが初めてとのこと。因みに僕がウルフルズをナマでちゃんと観るのは日清パワーステーション以来(まだ「いい女」でマントショーやってた頃)だったんだが、さすがに演奏も喋りも安定感あって、こう言っちゃ失礼だけど見直した。特にケーヤンのギターはやっぱりいいねぇ。上手さで言ったら、ナリーより上だよね、いや事実として(でもナリーのギターは好きだけど)。

で、トータスが「ヴィンテージ・トラブルは出演者の自分たちのことも盛り上げていい気分にさせてくれる」みたいなことを言ってたけど、そこがVTのよさでもあるし、恐らくは彼ら自身もAC/DC始めいろんなレジェンド的なバンドの前座に出て吸収してきたことなんだろうと思ったりも。

そしてそんなVTのこの日のステージはといえば、始まりから大勢の観客の熱が凄くて、それが伝わり、メンバー4人のまあ嬉しそうだったこと。タイが煽れば煽るだけ観客は熱狂し、観客が熱狂すればするほどタイのパフォーマンスの熱量も増していくという理想的なライブのあり方。これぞ本領発揮と言えるもの。

ステージの広さと奥行を活かして、タイはいつにも増してよく走ったり動いたり回ったり。見たことなかった動きもなかにはあった。横飛びキックは2連チャンだったし。観客の上を泳ぐだけじゃなく歩いたりもしてたし。

というわけで、まったくもって最高のライブ。サマソニ2回、グリーンルーム、ジャパンジャム、ブルーノート、新宿Reny、今回の名古屋ダイアモンドホールなど、これまで何度も観てきたVTだが、これが過去最高だと僕には思えたし、このくらいのキャパで観てこそのものが確かにあるように思えたりもした。

今回もまた生きてる実感を大いに持てた。VTのライブは力になる。頑張って生きてくぜと、彼らのライブを観るといつもそう思う。
大・満・足!   ありがとう、ヴィンテージ・トラブル。ずっと好きだぜ。


2016年4月6日(水)

下北沢ガーデンで、「シーナの日」#2 ~ シーナに捧げるロックンロールの夜~。
出演はシーナ&ロケッツとサンハウス。

トータル3時間越えのブルーズ&ロックンロール。シナロケは鮎川&シーナの娘さん LUCY MIRRORをヴォーカルに迎えた特別編成。特に「涙のハイウェイ」を聴いてて思ったんだけど、シーナのデビュー当時の声(と歌い方)によく似てる。華もあって、とてもよかったです。

そしてサンハウスはといえば、ただひたすらかっこよかった。菊は変わらずギラギラしてるし。レアな曲もけっこう聴けたし。ダブルアンコールまであってタップリやってくれたけど、まだまだ聴いていたかったくらい。あとでライブレポート書くので、詳しくはそこで。


2016年4月5日(火)

名古屋ダイアモンドホールで、ヴィンテージ・トラブル。

日本ツアーの2日目。名古屋まで観に行ってきた。

序盤は音のバランスが悪く感じたが、それも徐々に改善されたのか、あるいは自分がパフォーマンスの迫力に呑まれたからか、じきに気にならなくなった。

で、言うまでもなく最高。VTのライブを観るというのは、即ち「オレは生きてる!人生最高!」という実感を持つということなのだなと、改めて。

ツアーは続くので詳しいことは書けないが、ひとつだけ。オープニングアクトのスクーピー・ドゥが始まる前に、タイ・ティラーがステージに出てきて彼らの呼びこみを自らしていたことにグッときた。海外のアーティストで自分たちのオープニングを務める日本のバンドの呼びこみを自らするひとがほかにいるだろうか。少なくとも僕は初めて見た。そこに敬意があった。さすがだね。