2016年7月21日(木)

フジロック前夜祭。

会場に到着し、さあゲートをくぐろうというタイミングで、ちょうど花火がドーン。嬉しいお出迎え。そしてそのままレッドマーキーへ。MAMEZUKAのDJで既に激しく盛り上がっていた。

DJ MAMEZUKA→CON BRIO→DJ MAMEZUKA→THE AKABANE VULGARS ON STRONG BYPASS→DJ MAMEZUKA→The Illusive Man&Los lcarios High Flying Circus→DJ MAMEZUKA→NON STOP PUNK→DJ MAMEZUKA。

THE AKABANE VULGARS ON STRONG BYPASSのときに外に出て飲食した以外、僕はずっとレッドのなかにいて踊ったり騒いだり。初っ端からMAMEZUKAのツボを得たDJが最高だった。レッチリの「キブ・イット・アウェイ」をかけたりベックの「ルーザー」をかけたりと、20回目のフジの出演者の必殺曲を立て続けにスピンするもんだから、みんなが狂喜乱舞。もちろん僕も。

初登場の新星CON BRIOはファンクを基調にしながらポップさ(明快さとも言う)もたっぷり持ち合わせ、これは万人を楽しませることができるライブバンドだなーと。プリンスやJ.B.からの影響が窺える又割りなどの動きもあれば、マイケルのムーンウォークに近い動きもあって、さらにはバク宙を連続でキメたりも。なんとしなやか。かと思えば、ソウルフルに聴かせたりもするし、ベル・ビブ・デヴォーの「ポイズン」をプレイクで挿んだりもするし。とにかく楽しい。そのエンターテインメントな行き方に拍手喝采。

The Illusive Man&Los lcarios High Flying Circusは、パレスで連日やってた家族のマジック団と、同じくパレスの「MAGIC」というハコ(赤鬼が描かれてたあれ)でやってた男性手品師がお披露目的に続けて出しものの代表的なやつを見せるというもの。特にLos lcarios High Flying Circusの少年(アキラくん!)がお兄ちゃんの足でくるくる回転するアレが凄くて、これまた拍手喝采。やんややんや。

そしてライブのトリを飾るのはNON STOP PUNK。聞いたことのないバンド名だと思ったら、これがなんとルースターズの池畑・花田・井上やヤマジカズヒデらをバックに、民生、ベンジー、ヒロトが交代で出てきて、クラッシュやストレイキャッツやストゥージズの曲を歌うというもの。つまりフジ20回目を祝うこの日限りのスペシャルバンドであって、少し前にその情報を入手していた僕は初めは前のほうでかぶりついて観てたんだが、興奮して前に押し寄せ暴れまわる客たちによって後方へと押し出されるハメに。このメンツだもの、そりゃあ興奮するのは無理なきこと。最後は全員でラモーンズをカヴァー。凄かった。

さらに締めのMAMEZUKAがその興奮状態に油を注いでRCの「上を向いて歩こう」をかけたりも(永六輔追悼の意味も込みですね)。MAMEZUKAあってのフジロック前夜祭。一旦終わるがアンコールの拍手がおき、最後に今度はRCの「雨あがりの夜空に」。で、そこにいる全員、シンガロング。清志郎トリビュートの思いも込めて。ああ、なんて最高。こうして前夜祭は幕を閉じ、しばらく飲んで宿へ……。



2016年7月20日(水)

赤坂ブリッツで、石橋凌の還暦バースデイ・ライブ「SOULFUL CARNIVAL」。

多数のゲストを迎え、実に4時間に及んだ濃厚な夜。以下は翌朝にした感想ツイートのまとめ。

「石橋凌「SOULFUL CARNIVAL」。池畑、井上、チバ、ベンジー、チャボ、司会のスマイリーまで、フジロック組も多数出演してて、うっわぁ、フジの前々夜祭みたいだなともチラと思ったが、でもそれにしちゃ濃厚すぎ。何しろその4時間はある意味で日本のロック史の縮図のようでもあった故。」

「石橋凌「SOULFUL CARNIVAL」。それにしても苗場でも大忙しの身でありながら一旦赤坂に戻ってきて4時間ドラム叩きっぱなし(司会のスマイリー曰く「全40曲。リハを含めると80曲!」)という池畑さんの凄さたるや。「漢」だねぇ。」

「石橋凌「SOULFUL CARNIVAL」。錚々たるゲスト陣はそれぞれのスタイルで個性と凌さんへの敬意を表していたけど、アクの強い人ばかりのなかで個人的には土屋公平の落ち着きと味わい深いプレイ&存在感がとても印象に残った。「ワイルドローティンガール」のあの感じ、めちゃよかったな。」

「石橋凌「SOULFUL CARNIVAL」。驚いたのは凌さんの娘さんである優河さんと凌さんの親子デュエットで、これは初のこと。僕は初めて優河さんの歌声を聴いたのだが、ほどよくハスキーめながらも包み込む感覚があり、同時に声量もあって、その豊かな味わいにグッときた。今度ライブ行こう。」

「石橋凌「SOULFUL CARNIVAL」。それにしても菊さんの毒々しくも圧倒的な存在感には、やはり登場した瞬間から「うおっ」となる。あれだけアクの強い人が多い中にあっても、一際異彩を放っておる。しかも最高齢。すげぇ69歳だなぁとまたしても思いました。犯罪レベル。」

何せ名場面が多すぎて簡単にまとめるのは到底無理。久々に聴けた「Boys&Girls」にはやはり血が躍ったし(しかもバックはルースターズ!)、チバが歌った「飲まずにいられない」もすごくよかったし…。いやぁ、濃かった。新譜の制作も発表されたが、それもとても楽しみだ。



2016年7月18日(月・祝)

渋谷シネマクイントで、『シング・ストリート 未来へのうた』。

ようやく昨晩観てきました、相当評判のいい『シング・ストリート 未来へのうた』。いやぁ、たまらんかったですね。淀長さんじゃないけど「映画って本当にいいもんですねぇ」と素直に口にしたくなる。換言するなら映画という表現の醍醐味が感じられる作品。文字じゃダメで、映像だからこその嬉しさや切なさが溢れ出している。この映画にノレないひとがいるとしたらよっぽど偏屈じゃないかな。と思えるくらい誰でも(20代も30代も40代も50代も)どっかに共感したりグッときたりできる映画だと思うけど、とりわけ80年代に高校時代を過ごしたという…つまり映画の中のあのコたちと同世代の人たち…僕がまさにそうなんだけど、その世代からしたらもう思い当たるフシがありまくり(ファッションもね。最初のMV撮影のときに女のコが着てたビニール生地のロングコートとか僕もよく着てたもんなー)。

やんごとなき事情で転校したらそこは極めて文化的偏差値の低いとこで全然馴染めなくて、いじめられるし、先生にも理解されないし、あーもうってなって、でもなんとか自分が存在してることを確かめたくて、そんで化粧して登校して……。ああ、コナーくんのその心理はまるで仙八先生における本田恭章じゃないかと。で、それはすなわち、あの頃の僕でもあったわけで。オレかよ?!っていうね。ホント、ああいう年頃でああいう状態になると自分でも考えられないような初期衝動パワーみたいなもんが生まれるもんで。コナーくんはそれで楽器できそなコを誘いに行ってバンドを作るわけだけど、あの頃の僕はといえばバンドじゃなくてそこで文芸同好会っつうのを立ち上げて文集や詩集やミニコミみたいなの作って配ったりして、そこに気に入らない学校の文句とかも吐きだしたりしてたんだけど、それにノッて加入してくれたのは僕と同じようになんともさえないクラスのはみ出しもんばっかで、彼らはみんなシングストリートのあのコたちの持つ雰囲気に通じるものを持っていて…。てなふうに思わず自分語りをしたくなっちゃうほど共感度数の高い映画だったってことを言いたいわけなんですが。

デュランデュランからニューロマに憧れ、キュアーを知って歌詞の深みに気づき、ホール&オーツに行ってソウル的な何かのステキさがわかり…っていう流れも文脈的には理解しづらいかもしれないけど、リアルタイムであの当時に洋楽聴いてた人なら「そうそうそう」っていうね。誰かから聞いたわけじゃなく、監督自身がその時代にそうやって音楽の興味を広げてってたことがよくわかるし、だから信用できるんだよなジョン・カーニー監督は、と、改めてそう思った次第。

それと、自分が通ってきた「音楽」だけじゃなくて、通ってきた「映画」への愛と敬意もところどころでオマージュっぽく表現してるのがこの監督らしいというか、そうしないではいられないんだろうなと。とりわけラストシーンは70年代ニューシネマみたいで素晴らしいですね。ハッピーエンドと見る人も多いだろうけど、ロンドン行っても前途多難で挫折して帰ってくる…その暗示が彼らの志向した音楽性の移行からも既に見て取れてたわけで…。ああ、なんて“あまくてほろにがい”映画なんでしょう。

キュアーによってハッピーサッドの心を知るというあのシーンとか、ジャムのレコードかけてるときの昂揚感とか。あと、a-haの「テイク・オン・ミー」がスローになってインストで流れるシーンとかもね。泣くよね。泣くでしょう。なんかいろいろ生き辛かったけど、あの時代がまさしく僕の青春時代でもあったんだなあと、いまさらながら肯定できた気にもなったなぁ。うん。だから、「ありがとう、ジョン・カーニー」っていう。そういう映画。最高。



2016年7月17日(日)

渋谷7TH FLOORで、広沢タダシ。

デビュー15周年記念ツアーの締め括り。メジャー・デビュー盤の1曲目を飾ってた「ルームサービス」で始まり、これまでの重要曲と今月出たばかりの新作『真夜中の散歩』の曲を混ぜながらの全20曲(+ダブルアンコールでセッション1曲)。ピアノ、ドラム、エレクトリックギター、ベースが加わったバンドセットのライブだが、中盤ではピアノの扇谷研人さんとふたりだけのアコースティック・セットによる2曲も。

15周年記念公演とはいえ、集大成というよりはあくまでも現在の「いい状態」をそのまま伝えてくるあり方だった。とりわけ総立ちとなった後半などは、ある種の若々しさが前に出ていた。そういう意味で、熟成だけでなくフレッシュな感覚をこのタイミングで味わうことができたのがよかったところだ。換言するなら「ここから」という意思の強く表れたライブだったようにも思う。

地に足つけて、地道に一歩一歩。そのように歩いてきた15年の年月が、ミディアム~スローの曲の深み、優しさ、説得力となって、じわっと沁み入るように伝わってきた…気がした。生まれて、いろんな出来事があって、そうして曲自体もまた今というときを生きているのだな…なんてふうにも僕は思った。とりわけ「光」に胸を打たれた。

あたたかだったり優しかったりのミディアム~スロー曲もどれもよかったけど、総立ちとなった後半のあのノリは、息の合ったバンドの力も手伝ってグルーヴィーで最高だった。わけても「雷鳴」。あれは本当にかっこよかった! そして、そのあとみんなでシンガロングした「旅に出ようぜ」。広沢さんの20年目に向けての旅がここから始まったような気がしたし、ファンたちはきっとそこに同行しようという思いを持ったに違いない、そんな本編の締め括りだった。それぞれがそれぞれの旅をして、またいつかその何人かが同じ会場に集って同じ歌を味わう。それはとてもステキなことだ。だから…旅に出ようぜ。そんな思いを僕も持った。

この場に立ち会うことができてよかった。新作『真夜中の散歩』、あとでじっくり聴こう。


2016年7月16日(土)

映画『AMY エイミー』公開初日。極上音響を体感すべく、立川シネマシティへ。さすがに素晴らしい音響効果。爆音ではなく、実にバランスのよい、まさに極上音響。これからご覧になられる方で、時間に余裕があるならば、立川まで行かれることをオススメする。

試写でも観てるのに、やっぱり最後は辛くて、悲しくて、立てなくなってしまった。そして改めて観なおして感じたのは、監督の構成及び編集の見事さ。そこには愛がある。エイミーのことをよく知らないひとにも、ファンだったというひとにも、ぜひ観てほしい作品だ。

尚、劇場用プログラムに寄稿させていただいたので、読んでいただけると幸いです。また、サントラ盤のライナーノーツも書いているので、そちらもぜひ(サントラ盤のライナーにはエイミーにインタビューしたときのやりとりも書きました)。


2016年7月15日(金)

渋谷ユーロスペースで、『A2 完全版』。

冷酷なのも人間。あたたかいのもまた人間。その境界線について考えさせられた。

思いのほか笑える場面が多い。一定の深刻さを越えると人と人とのやりとりは面白く(ときに滑稽に)見えるものだ。そして思いのほか映画的名シーンが多い。完全版で遂に加えられた、アーチャリーが「My name is Rika Matsumoto」と自己紹介する場面とそのときの夕暮れが、とても印象に残った。

そしてまた、多勢が正義の名のもとに少数を裁くという病理は、この時代から顕著になっていったんだなぁと。その意味で(森監督の)新作『FAKE』にも繋がっている。


2016年7月12日(火)

新宿バルト9で『葛城事件』。

日本映画が凄い段階に来ている!  と、そう思わせる凄まじい作品だ。

観ている間ずっと嫌~な気分が続く。どんどん滅入ってくる。救いであるとかホッとできる場面が1箇所でもあればと願うが、そんなものは最後までありゃしない。見事に絶望だけが残る。が、これが映画の持つ力であり、ある意味においては役割だ。

とにもかくにも三浦友和が凄い。激しくリアル。こういう男、いるよなぁ、と。こういう男とはつまり、自分はやるべきことをちゃんとやって家族のために働いてきたのにオマエらはなんだ、なんでオレの正しさがわからないのだ、オレは何も間違っていない、悪いのは全部オマエたちだ、といった感じで、ひとの気持ちをまったく理解しようとしない男。まあそういう意味じゃ、田中麗奈の「ひとの気持ちを理解しようとしない」正しさの押し売り度数も相当のものなのだが。

観ていて何が嫌な感じかって、食べ物の咀嚼音。くちゃくちゃ。べちゃべちゃ。ずるずる。あれがたまらなく嫌だ。耳に残る。何かを食べてるシーンがこれでもかと何度も出てくるのだが、ただのひとつも美味しそうに思えない。食欲が失せていく。コンビニメシは恐ろしい。かくも人間の感情や、やる気を奪い取っていく。僕はとっくにコンビニメシなんて食べられないカラダになっているが、頼まれても二度と食べるものか。改めてそう思った。


2016年7月10日(日)

リクオ with ホーボー・ハウス・バンド & Dr.kyOn@下北沢GARDEN。

リクオさんのアルバム『Hello!』発売記念スペシャルライブ、素晴らしかった。『Hello!』の1曲1曲に生命が宿って、力強くそこで躍動してる感じ。曲がそこからみんなのところに歩き出していく、そんな感じ。なんて最高なバンドサウンド。多幸感に満ち溢れたライブだったし、メンバー全員……何よりリクオさん自身がとても楽しそう&嬉しそうで最高だった。

初っ端、大好きな「僕らのパレード」で早くもグッときてちょっと泣きそうになった僕は、ああ、この曲、もう一回聴きたいくらいだな…とか思ってたら、なんと最後にもう一回歌ってくれて、心の底から「いえ~い!」って叫んじゃった。あと、アンコールの「光」がとてつもなくよかった。まさしく光が見えた気がしたんだ。なんか、ものすごく力をもらえたライブ。この感覚をしっかりと「ここから」に繋げていかなきゃな。


2016年7月9日(土)

新宿ピカデリーで、『インデペンデンス・デイ リサージェンス』3D。

20年ぶりの続編。前評判聞かずに公開初日に楽しみに観に行ったんだが、まあ酷かった。信じ難いレベルのとんでも作。無駄に登場人物が多くて、誰にも感情移入できず、ハラハラもドキドキもしないし、とんでもないことが起きてるのにまるでそんな気がしない。地球がえらいことになってるのに数人の間だけでワチャワチャしてるだけ。そもそも侵略ものですらなくて、だったら続編ってことにしないでよっていう。しかも深刻な状態のときにヘンにギャグっぽいセリフを挿んでくるところとかがまたイライラを募らせる。これぞ破壊王エメリッヒとか言われてもなぁ‥。

もうひとつ言うと、3Dである意味もまるでなし。

完全なる無駄金使い。エンドロール見ながら、関わってるとてつもない数のスタッフひとりひとりの気持ちを考えてたら、なんか胸が苦しくなったよ。『バットマンVSスーパーマン』を抜いて、年間ワースト1位確定です。


2016年7月9日(土)

鶯谷・東京キネマ倶楽部で、GLIM SPANKY。

かつて真夜中が好きだった。真夜中が“僕の時間”だった。真夜中だけが自分らしくいられる時間だった。

ずっと母とふたり暮らしだったこともあって小学生の頃から宵っ張り。高校くらいになると完全に夜型人間となり、病的なまでに朝がダメになった。夜中に詩を書いたりするのが好きで、そうやって学校の窮屈さ、息苦しさを抑えていた。生きるための自分なりのバランスだったのだろう。

いまはといえば、12時を過ぎれば自然に眠気がくるし、朝は早くに目が覚めてしまう。極めて健全。つまらないけど、歳だからしょうがない。でもあの頃の真夜中の心模様や精神的昂揚みたいなものはいまも感覚としてよく覚えている。さまざまな妄想・空想によって世界が広がり、どこにでも行けて何にでもなれる、そういう自由とか可能性を感じてワクワクしたり興奮したり。それは真夜中にだけ起こるものだった。他者とは違う自分を肯定できる時間が真夜中だったのだ。

「真夜中はオレのもの」。そう言いたくなる感覚を持ってあの頃の僕は毎日を過ごしていた。GLIM SPANKY「Velvet Theater 2016」を観ながらそんなことを思い出していた。

松尾レミ。彼女もきっと「真夜中は私のもの」だというような感覚をどこかに持ちながら歌詞を書いたり音をイメージしたりしているのだろう。真夜中の妄想・空想によって世界が広がり、どこにでも行けて何にでもなれる、そういう自由さとか可能性を感じてワクワクしたり興奮したりしている、そんな時期があったことだろうし、いまもきっとそうだろう。ライブ中のMCで名前が出たが、例えば稲垣足穂とかあがた森魚とかポール・デルヴォーといった作家や歌手や画家の世界観と、だから心がシンクロしたわけだ。それはもう子供の頃から染みついたものでもあるからして、いまも自分というフィルターを通し、そこで見た・感じた・広がった世界を表現しないではいられない。“ここではないどこか”であったり、“いつか見えた気がした景色”であったり、“少しだけ歪んだ空間や時間の中の奇妙な心地よさ”であったりを自分なりに表現しないではいられない。そういうことなのだろう。

いま、そういう表現のモチベーションから音楽をやっている日本の若い歌手は、恐らくそんなに多くない。少なくとも僕はあまり知らない。海外にはいる。日本にも、例えばそれこそあがたさんだったりとか、ベテランとなれば何人かは思い浮かぶが、若い人となるとすぐには思い浮かばない。松尾レミは稀有だろう。なんたって「あなたに会いたくて」とか「切なくて」とか、そういう心情吐露だけで完結している広がりようのない歌ばかりが溢れ出して何年も経つJの音楽シーンであるが故。だからこそ尚更、彼女の書く詞世界のオリジナリティが際立ちもするわけだが。

昨年5月にキネマ倶楽部で行なわれたGLIMにとって2度目のワンマンライブ「Velvet Theater」から1年ちょっと。同会場・同タイトルにて、ある意味でその続編のような形で行なわれた今回の公演は、去年のそれよりもさらにコンセプトが明確になったもの。デビューEPに「MIDNIGHT CIRCUS」という曲があったが、その曲題がコンセプトでもあり、つまり真夜中に映える曲や幻想的な曲、サウンドで言うならサイケデリックやアシッドフォークのタッチだったり、重みや深さのあるスローだったりを主軸に構成されたライブだ。

去年の「Velvet Theater」も実はそうした曲を普段より多めに演奏していた。但し構成は、そうしたスロー曲(“GLIMサイド”)を数曲まとめてやったら、次はアップめのロック曲(“SPANKYサイド”)を数曲やるというふうに、緩急をつけながら進められたものだった。恐らくそこで松尾はひとつの手応えを得たのではないか。例えば赤坂BRITZのような場所では難しいとしても、この昭和レトロの匂いを残したキネマ倶楽部という会場でなら思いきってGLIMサイドだけのライブができる。そうふんだのも、去年のそれの手応えが残っていたからじゃないだろうか。

開幕曲はライブのタイトルでもある「ヴェルヴェット・シアター」。続く2曲目は1年ちょい前のキネマ倶楽部以来僕は聴いてなかった(演奏してなかった?)ポエトリー・リーディング始まりの曲で、去年の段階では「タルホ」と仮タイトルがついていたもの。前回のキネマ倶楽部で僕が最も“やられた”曲であり、最も強く印象に残った曲でもあった故、これを久しぶりに聴くことができたのはよかった。そして3曲目はこのライブのコンセプトを象徴的に表わしているとも言える「MIDNIGHT CIRCUS」。と、のっけから3曲で、外はまだ夕方であるにも関わらず観客たちを夜の深みへと引きずり込んだ。このあたりの曲での亀本のギターには詩的な味わいがあった。エッジだけでなく、奥行きまでを表現できるように、いまの彼はなっている。そう思った。

続く「焦燥」「踊りに行こうぜ」と、ここではヘヴィに沈み込んだ黒のタッチで転がしていくがしかし、出航の歌「grand port」から徐々に内的世界から外への世界へと踏み出す展開になっていく。時間軸的にも夜更け(「NIGHT LAN DOT」)から夜明け(「夜明けのフォーク」)へと移り行き、そして日が昇ったところでふたりは旅に出る(「サンライズジャーニー」)。真夜中に合う曲ばかりが並ぶライブになるものと勝手に考えていたので、「サンライズジャーニー」のイントロが鳴らされたときには意表を突かれた思いがしたが、何もダークなトーンのライブをするとは始めから言ってなかったわけで、実際ここで一気に景色が開けた感覚があった。「Gypsy」「いざメキシコへ」と続く精神の旅の途中には砂漠や荒地が立ち現れ、時間間隔もこのへんからぼやけていく。これは現実の場所なのか、はたまた幻なのか…。

山肌に月が顔を出して(このライブ、ステージ後方には曲によって色が変化する月がセットされていた)、場所は変われど時間は再び真夜中へ。チェリストの四家卯大をゲストに迎えての「闇に目を凝らせば」。この曲においてのチェロと亀本のギターの響き合いが圧巻だった。個人的にはこの日もっとも心が震えた場面。チェロなら誰でもいいわけでは無論なく、闇の深さとその美しさを表現できる四家さんならではのチェロに亀本のギターが共鳴したことが肝心なのだ。このライブのひとつのハイライトでもあったと思う。

曲はこのあとジャジーなキーボードが効いていた「ミュージック・フリーク」、そして「WONDER ALONE」と続いたが、驚いたのはそのあとに「リアル鬼ごっこ」がきたこと。まさかこのコンセプトライブでポップなこの曲が演奏されるとは思っていなかったからだ。が、ここにこの曲が置かれた理由は、開放的な気持ちにもなるそのテンポにカラダをまかせながら頭ではなく感覚的に理解できた気がした。真夜中から夜明けに至って旅に出て、再び闇の中へと転がっていきもしたが、しかしそこからまだ未知なる場所へと進み続けるのだという意志を、希望を、ここで歌っておきたかったのだろうと。「振り返らずに、光へ進めよ」「立ち止まらずに、ひたすら進めよ」。そういうことだ。そしてライブ本編はいつものように「大人になったら」で終了。

アンコールではこのライブのコンセプトから離れ、サービス的に激しくてタテにノレる曲「怒りをくれよ」を放ちもしたが、しかしラストにはやはりこのコンセプトライブの締めくくりに相応しいバラードをもってきた。「ロルカ」だ。なんて完璧な着地。これ以外に考えられないエンディング。こうしてひとつの「旅」が終わった。

このように、曲の並びと繋がりから壮大な物語性が感じられるライブだった。練りに練られた曲の順。先にも書いた通り本編終盤の「リアル鬼ごっこ」は意外だったが、改めてこの流れを見返せば、それがいかに重要だったかもよくわかる。このところ短めのライブではセトリの流れがある程度固定されたところもあったが、かくしてこの日のライブは実に刺激的なものとなった。観ていて激しく想像力をかきたてられた(故にこの文はこんなに長くなっている)。

まだ発売されていない2ndアルバム『Next One』の収録曲や録音もされてない未発表曲も混ぜてのセットリストである故、亀本は観客の反応に対する不安も少なからずあったようだが、松尾はといえば「(だって)やりたいんだから」(笑)。迷いなど1ミリもなく実に堂々としたものだ。このタイミングでこのような大胆な構成のライブをやる、その攻めの姿勢やよし。

やりたいことをやって提示するのがロックのアティテュードであって、100人いたら100人全員を喜ばせようとする必要などない。一歩先を行き、それをかっこいいと見る人たちを連れてまた先へ行く。そういうバンドであってほしいし、あらかじめGLIMはイマドキ珍しいくらいにそういうバンドであるから、だから僕は好きなのだ。ホント、いまのJ-ロック・シーンがどうでこうでなんてどうでもいいから、清々しいまでにどんどんやりたいことやって「振り返らずに 光へ」進んでいってもらいたい。