応募作は時代を捉えるべし?(24/6/23) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

なぜ今この話を書くのか?

 

シナリオ公募に応募していた頃、事前の公開講座などでよくそう言われた。

 

つまり、公募当選を目指すなら、時事性のようなものが必要なのだと知った。

 

現場のプロデューサーや演出の方などがゲストだったその講座、題材についてのお話が強く印象に残っている。

 

「そのこと」に携わっている人には当たり前でも世の中には知られていない、または、気づかれていないあるある。そういったその場の人たちの感覚、みたいなものが欲しいというような意味のことだった(注:私がこう解釈した、というお話です)。

 

今現在、地上波で古いドラマが結構たくさん放送されている。

それらを観て思うのは、この時代はこうだったんだなあ、ということ。

 

例えば、20年ほど前のドラマ、幸せな結婚をしたはずの女性のどこか行き詰った感覚。

30代半ばで仕事復帰しようと思ったら、主婦感覚をダサがられ、前向きな姿勢を「イタイ」と揶揄される。仕事を頑張ろうとしても評価の対象ですらない。

 

そのやりきれなさはすごくわかるし、風穴を開けたくてあがくのも自分事のようだ。

つまり、当時そういった女性は多くて、その気持ちを掬い取ったドラマが作られたのだと思う。


でもこれは、既婚女性が職場にあまりいなかった、一昔前のこと。

 

20年経った今、このままの話では当時ほど共感を得られないのでは、と思わされる。

 

働く女性の問題は、マタハラとか家事分担が偏りすぎとか男性育休とか。

視点が少し違うところへシフトしていると思う。

 

そうすると、育休男性の探偵もの、とか、働く女性の家にやってきた理想の家政夫さん、等のドラマが出てくるのもうなずける。

 

ただ、ドラマが時代を捉える、時代の先端を行く、もっと言えば時代を引っ張るものだと理解はできるのだけど。


現代の象徴的なスマホがやたらに出てくるのはいただけない、と個人的に思っている。


ドラマにケータイやスマホが出てくると、一気につまらなくなる気がするから。

 

その昔、「遠距離恋愛」という言葉が流行っていた頃に作られたドラマは、すぐには会いに行けないし、連絡方法は電話のみ、それも寮住まいの共同電話だったり。


つまり、他の誰かが長電話しているとつながらないし、かけられない。急な事情のドタキャンのときも伝える術はなく、待ちぼうけやすれ違いばかり。


イライラしたけど「それでどうなる?」みたいな引き込まれ感があった。

 

スマホは便利すぎる。

 

ドラマには「カセ」、つまり制約が必要と、シナリオ学校に通っていた頃よく言われた。それをどう乗り越えていくのかが、一つの見どころなわけで。


スマホがあると、カセがあっという間に吹っとんじゃう感があるのだ。

 

便利ツールのなかった時代劇ドラマが最近増えている気がするのは、勘違いでないように思う。

 

(了)

 

 

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