子供の頃、好きな漫画がアニメ化されたとき、大喜びで見始めたものの、「何あれ!」と腹が立つことが多かった。
原作にはない登場人物(動物含む)、原作とは違う人物関係、原作にないエピソード、原作でイメージしていた「間」とか「テンポ」の違い。
大人になってからも、大好きな推理小説がドラマ化されて見始めると、がっかりしたことが多い。
ストーリーの肝心なところが省かれて、余計なエピソードが延々あったり。
あろうことか、ミステリーの肝である犯人がいきなり初回で明かされたり。
そのときは一ファンとして怒り心頭。
同じようなファンが当時の掲示板で騒いでいたら、「この原作者のファンは怖い」というレッテルを貼られたりした。
でも当の原作者が「自分の手を離れたらもはや別物」と達観している方だったので、ドラマファンはドラマファンで楽しみ、原作ファンは原作ファンのまま、今も次々と映像化される人気作家であるのだと思う。
映像化とは少し話が違うかと思うが、自分はちょこっとだけ、漫画の原作を手掛けたことがある。
この時の経験は、「ラヂオの時間」という三谷幸喜さんの映画を参照していただけると何も語らずに済んでしまう(これは映像化されるときに脚本が改造されてどんどん変な話になってゆくというコメディ。でも三谷さんが大いにこういった思いをしたと想像できる)。
私の場合はとにかく「漫画は漫画家さんのもの」と編集者に念押しされていたので、原作者はほぼネタの提供者というだけでストーリーテラーではなかった(これは私がど素人に毛の生えただけの新人だったせいもある。名のある原作者の方なら違うだろうと思う)。
セリフ。登場人物。場所。小物アイテム。イメージ。
そんなものは大体変わってしまった。
ただ。
こちらは文字で物語を提案する形。それを絵で伝えるように描く漫画家さんとしては、どうしても変えなくてはならないところもある。ページ数の制限もある。
そんなことがわかってきた。
そして、こちらの説明不足やら表現下手だった部分もある。
むしろ、そういった箇所を直してくれたおかげで、本来私が書きたかったことを、よりハッキリ示してくれる結果になったこともあった。
そのジャンルのプロにかかるとこんな風にしっかり伝わるんだ、とプラスに驚いた。
近年は、ドラマや映画が漫画や小説の原作で作られることが普通になった。
映像化されるのは、原作に相当な人気があるから。
紙媒体の原作に音や動きをつける場合、その多大な数の原作ファンそれぞれのイメージとすべて一致させることは不可能だろう。
でも、絶対に変えてはいけない「背骨」みたいなところはあるのじゃないだろうか。
そして、そこを押さえた上で映像ならではの効果のある変更ならば、良い方向へ向かうこともあるんじゃないだろうか……。少ない経験から、そんなことも思ったりする。
ただ、私としては、その「背骨」が軽視されたと感じる映像作品は、二度と見る気がしない。
アマチュアのピンキリの物書きとしても、大好きな作品の一ファンとしても。
(了)
↓「雪の思い出」がお題の短編。9分で読めます。(ヒューマンドラマ)
↓「ふるえる」がお題の短編。8分で読めます。(コメディ)
↓「ポケットの中」がお題の短編。11分で読めます。(ミステリ改めヒューマンドラマ)
↓「あなたに会いたい」がお題の超短編。3分で読めます。(一応ホラー)
野球女子らいと (朝ドラ風長編ヒューマンドラマ)
↓第193回コンテストで、優秀作品に選んでいただきました✨
最終回をさがして (恋愛)
「最後の〇〇」がお題の短編です。11分で読めます。
↓第187回優秀作品に選んでいただきました✨
正しい忘れ癖の治し方 (ヒューマンドラマ)
「忘れもの」がお題の短編です。14分で読めます。
↓第185回コンテストで入賞作に選んでいただいた「○○解禁」がお題の短編はこちら。14分で読めます。
バラを育ててはいけません (ファンタジー)