書くネタに行き詰まると、昔誰かに言われた言葉を思い出す。
「自分が観たい、読みたいと思うものを書けば良いんだよ」
その通りだと今は思う。
ほとんど仕事とは言えない頻度でしか実現しなかった漫画原作の経験を思い出すと。
とにもかくにも「報酬をもらう」ので、自分の読みたいものとか言っていられなかった。掲載雑誌のターゲットとなる年代、性別に向けての発信が大前提。しかもウケないと次回ページがもらえない。
そういうのが窮屈だという方もいらっしゃるが、私の場合、「縛り」とか「課題」みたいなものがある方が書きやすかった。その方が自分の中にこんな思い出があった、こんな気持ちを持っていた、などを思い起こさせられるから。
ただ、それが自分に合っているジャンルならいいのだが、その頃の私の場合、どうも何かちょっとズレていて、おそらくその雑誌のターゲット層からすれば、あまり興味のない方へない方へと進んでいったような気がする。
具体的には、主婦がターゲットだってのに、女性自動車整備士の話を書いたりして、それはボツにはならなかったけれど、きっとアンケートはビリッけつに近かったんじゃないかと想像している。
で、そういう制約がなく何でも書いていいとなると、逆に自由すぎて何も出てこない。それで唸っていると思い出すのである。
「自分が観たい、読みたいと思うものを書けば良いんだよ」
そうだよね、とパソコンに向かい直す。で、思う。さて、私が観たい、読みたいものってどんなの?
①歳のせいか、またはやたらに雑事に追われる生活をしているせいか、最近は長い物語についていけなくなった。
ちょっと前は、「3時間の映画は長すぎて疲れる」と思っていたのだが、今は2時間でも長いと感じることが増えた。1時間ドラマですら、やれ「お湯が噴いた」「新聞の集金」とかで中断し、一気に観られず翌日に持ち越したりで、内容が頭に残らない。
→とすると、30分~1時間くらいで完結する短編を書くのが私の求めるもの?
けれど、短編というのは設定や人物像を都度都度新しく作らなくてはならないし、オチがストーンと落ちないとスッキリしない。長編とは違う難しさがある。
②小説や漫画も、気付くと寝落ちしていてることが増えた。決してつまらなくはなくむしろ先が気になるのに、である。再開したとき何ページも戻らないと筋も人物も忘れている。
→とすると、キャラをハッキリ印象的に、いつ出てきても「これはあの人だ」と読み手がすぐに思い出せるように書く、とか。
また、伏線を入れたなら、それが忘れ去られてしまわないよう、何度も繰り返し出してみる、とか。
→けど、自分の中での目標がひとつある。必要最小限の言葉で伝えたいという。それに反しないかな? しつこくないかな。しゃべりすぎじゃない? とか悩ましい。
③そしてあまりにも救いようのない結末の話は、近頃は読みたくも観たくもなくなった。悲劇でも何か小さな救いが欲しい。
→決してハッピーエンドではなくてもほのかな光が見えるものを書こう。
等々、フンワリ抽象的な感覚ばかりだけど、そんな方向が私の欲しているものなのかな、と。
が、果たしてこういった感じの話を、私以外に観たい読みたいと思ってくれる方がいるんだろうか……。
(了)