お正月休み(19/1/6) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

子供の頃、お正月は暇だった。

いや別にやることがないわけではなく、初日の出を見たり初詣行ったりおばあちゃんち行ったり、は、した。けど、三が日はもたなかった。

お年玉を使いに出かける、という方法もボツ。お小遣いは全て本かマンガを買うことに費やしていた自分である。けれど本屋が開いていないのである。

たとえ欲しいものがお菓子とか文房具、あるいは外食だとしても同じこと。お店はどこもシャッターが降りていて、閑散としていた。

今じゃコンビニもファミレスもあるけれど、それがそうそうなかった頃なのだ。近年、人の手配がつかずに元旦は休む店も増えてきて、昔に戻っている感も少しあるが。

友達は田舎とやらに帰っている子が多く、うちは祖父母が父方も母方も1時間圏内に住んでいたので、孤立するはめになった。夏休みのラジオ体操と同じパターンである。

幸いにして、姉妹がいた。羽根つきとかコマ回しとかカルタとか、正月らしい遊びもしたが、やがてやることがなくなり、結局一緒に正月長時間時代劇を見ていた。確か2日間に渡っての12時間ドラマとかだった。

時代劇など全く興味のなかった年頃である。どれだけ暇を持て余していたか想像していただけると思う。

それでも、それはそれで笑えたのだ。

何が一番嫌だったかというと、お節料理が続くことだった。
黒豆、やつがしら、なます、こんにゃく、昆布巻き、栗きんとん、お雑煮に海苔餅……決して嫌いじゃない。むしろ普段に出たら喜ぶくらいな一品ばかり。

だとしても続くと嫌になる。あの頃は3日間もしくは余れば4日でも5日でも1週間でも食卓に並んだ。

もううんざりだ。パンが食べたい! そればかり思っていた。それこそコンビニに行けばよい。しかしあの頃は……以下繰り返し。
(ちなみにもう少し大きくなってからは、デパートが2日に開くと知り、いそいそ出かけるのが恒例になった。)

今は元旦以外はほとんどお節はいただかない。三が日でもパンもご飯も食べる。幸せな時代だと心から思う。

余談だが、今年のお正月、実家で大量にご飯が余った。みなお腹いっぱい、と手を出さない。が、おにぎりにしたら、持ち帰りを含め、瞬く間に消えた。

そそる料理、というやつなのか。だとしたら、お正月だけでいいや、と思ってしまうお節は、それ以外に分類されるんだな。いやでも、だからこそ特別感があるのかも、と……何だか納得した年初である。

(了)