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元彼と別れて

これは2000年1月頃の出来事です


1999年の終わりと共に10年以上の彼と完全に終止符を打った。今度こそもう戻らないつもりでいた。なのに、私から連絡をとってしまった。

1999年の大晦日の夜に、私は事故をしてしまった。と言っても、車を軽くぶつけただけ、相手の車はへこんでもいない。それでも、相手の車は止まっていて、こちらがバックをしてぶつけたのでこちらが悪い。しかも、私の車の車検は切れていた・・・保険は使えない・・・というか警察にも行けない。

車検が切れていたのは、お金がなかったから。情けなかった。親にも言えないと思った。それで仕方なく元彼に連絡をとった。

元彼は、色々と免許や資格を持っていて、車の事にも詳しく、事故についてもよく知っていたので頼ってしまった。その為、私はさらに4万ほど持っていかれてしまったのだが・・・

とことん馬鹿である。

それでも、それでよりが戻ることは無かった。こちらから連絡をとってしまったが、私の心はしっかりしていた。顔をあわせても揺れなかった。

「ああ、私はもう大丈夫なんだ」と思った。

元彼が、訳のわからない必要経費を要求し、そのお金が必要ではなくなったので返してくれるように言ったら、言を左右に返してくれなかった事で、さらに吹っ切れた。

旦那の事が好きになりかけていた事も、大きな原因だと思う。

元々、元彼とは冷めていたので、好きな人が出来たことに全く罪悪感は無かった。それでも、私は好きになる事に躊躇いがあった。

旦那は私よりも11歳年下である。そして遠距離だった。旦那は大阪で、私は愛媛である。

自分の歳の事は旦那には伝えてあった。元彼の話もしていた。

旦那は優しく面倒見がよく、私のおしゃべりにいつまでも付き合ってくれた。


直接話もせず、会いもせずに人を好きになる事が、信じられない方も沢山いる事だろうと思う。

いわゆる出会い系にまつわる事件も、理解のさまたげになるかもしれない。

でも、好きになってしまった。

あの時、あの状況で、あのゲームだったから、そうなったんだと思う。

もし一つでも違っていたら、今の私は居なかったろう。子供もおらず、結婚もせずにまだ独身でいるかもしれないし、結婚しているかもしれない。

運命という言葉はあまり好きではないのだが、なるべくして今の自分がいるんだと思う。


元彼とさっぱり別れてから、私はより一層旦那へと傾いていった。

そしてまずは電話をする事になる。

借金する男

これは1999年の12月頃の出来事です


当時私には、10年以上ひっついたり別れたりの彼がいた。

別れる原因はいつも決まって「借金」だった。

彼は運送屋の仕事をしていて、社長さんだった。勤めていた会社の社長が夜逃げした為、その借金込みで社長を引き受けたからだ。

だから社長と言っても借金まみれだった。そして金遣いがめちゃくちゃだった。

いつも資金繰りに奔走し、にもかかわらずパチンコがやめられず、困りきって私に借金を申し込む。

それは「遠方に納品に行く為の交通費」だったり、「親の入院費」だったり様々だった。

2,3日後には返すからと2万くらいのお金を貸し、2,3日後に「まだ手形が割れないからもう少し待って」となり、そのお金を返してもらう前に次の借金の話をするのである。

私だってそんなにお給料が良かった訳じゃないので貸せるお金にも限度がある。すると彼は、私にどこかで借金するようにお願いする。

私は基本的に、お金の貸し借りはしない方がお互いの為であると思っている。カードで買い物をするのも、ローンを組むのもあまり好きではない。

なのに彼にお金を貸してしまったのは、やはり好きだったからなのだろうか。憔悴しきった顔で、「もう頼れるのはお前しかいない」と言われて、「私がいなくちゃ・・・」となったのか。

馬鹿である。


そうして彼の借金に「もうこれ以上耐えられない」と思って別れても、何かのきっかけでまた元通りになってしまうのである。「今度こそ大丈夫」と何の根拠も無い思いを抱いて・・・

以前に書いた「二股かけられた挙句結婚してしまった彼」はその合間に付き合った人。私には男運が無いのかもしれない・・・


そんな彼と「もう本当に別れよう」と決心させてくれたのは、当時遊んでいたゲームで知り合った人だった。そしてその後、元さやになるのを防いでくれたのは、旦那だった。もちろん実際に何かをしてくれた訳ではないのだけれど、精神的に私の支えになってくれたと思う。

別れる決心をさせてくれた人は、結構いい加減な人なので(笑)私がそんな事を思った事なんか気付いてもいないだろう。実際、相談にのってくれて「俺にまかせとけ」と言ってしばらくした後で私が「あれどうなった?」と聞いたら「何のこと?」って言われたし(笑)


彼と別れたのは、1999年の大晦日の事である。

出会い編

これは1999年夏頃の出来事です


注意:ネットゲームに関心の無い方は、以降の話は訳のわからない物になっている可能性があります。


「一緒に遊ぼう」と誘ったにも関わらず、けんちゃんは最初の日に色々説明してくれただった。けんちゃんが先に始めていた事もあって、Lvが違っていたので一緒の狩場に行けなかったり、出張などが重なって何日かゲームが出来なかったり。そんな訳で私は一人で遊ぶことが多くなった。

最大で2000人と言っても、多い時でせいぜい200人という接続人数だったので、遊んでいる間に自然に皆と仲良くなれた。200人なら1学年の人数よりも少ないだろう。(私の学年は300人くらいいた)


そのゲームには「クラン」という物があった。同好会とかクラブとかのような感じと言えば判って頂けるだろうか。

他のゲームでは「ギルド」という場合もある。要するに仲間である。

私はゲームを始めて間もなく何くれと親切にしてくれた人と同じクランに入り、その人がクランを去るのと前後して別のクランに入った。その別のクランの仲間の一人に、旦那が居たのである。


ゲームで他人と意思の疎通をする為には、チャットの機能を使用する。

このゲームには①通常チャット②クランチャット③グループチャット④1:1チャット⑤叫びの5つのチャット機能があった。

余談であるが、これは恐らくどのゲームでも大体同じだと思われるが、中には④が無い場合もあったりする。


同じクランになったと言っても、Lvが違えば普段の狩場は違うので(ゲームの中で)直接会う事はあまりない。ただそのゲームは、非常に狭い世界だったので、皆が屯している場所というのは多くなかった。なので、ログインからログアウトまで狩場から一歩も動かないという場合を除いて、誰かしらに会う事が多かった。

会話はクランチャットで出来るので、いつでも話が出来た。

このゲームは「高性能チャット付ゲーム」とか「ナンパゲーム」とか言われていて、ゲームの内容はあまり無いただのクリックゲームだったりするのだが、チャット機能が優れていたためか、どういう訳かカップルが多かった。

私達以外でも、後に結婚したカップルも多かったと記憶している。


この辺りの話はゲームの話になってしまうので、詳しく書くのは遠慮しておくが、そういう訳で私と旦那は出会い、お互いに好意を持ち、実際に会う事になる。

喧嘩

これは1999年夏頃の出来事です


それまで「パソコン通信」という言葉は知っていた。そういうのをやっているのはオタクだと思っていた。(汗

けれども、自宅にPCを購入してからと言うもの、私はチャットの魅力にはまってしまっていた。

見ず知らずの、どこの誰ともわからない、性別も年齢も判らない他人とお話をする事が、こんなに楽しいものだと思わなかった。初めはおずおずとしかしゃべらなかったが、もともとキーボードを打つのは早いのでがんがんしゃべるようになった。

オセロのゲームでは観戦のみもできるので、対戦しているルームに入っては観戦しつつ、その場のおしゃべりを楽しんでいた。

ある日、いつものように観戦していると、どうしてだかわからないが喧嘩が始まってしまった。私はチャット上でも喧嘩があるという事に、びっくりしてしまい、どうしていいのかわからずに、画面を流れる文字をただ見ているだけだった。文字だけの世界であるのだから、誤解もあるだろう。面と向かって話していてさえ誤解はある。文字のみであるから、余計に怖かった。

口をはさんでもこじれるだけだと思い見ていると、その内喧嘩は収まった。その喧嘩の一方の人がけんちゃんだった。けんちゃんとはそれまでに何回か同じルームで出会っていて少し話もしていたので、喧嘩が終わった後に、話しかけてみた。

それがきっかけでページャにお友達の登録をし、ゲーム以外でも話をするようになった。その内メールも交換するようになっていった。


ある日、一通のメールがけんちゃんから届いた。

内容は「面白いゲームがあるから、DL(ダウンロード)してみて」というものだった。

私は自他共に認めるゲーム好きである。そして何事にも嵌り易いタイプである。

ネットゲームの存在は知っていたが、それを遊ぶことで自分はどうなるか想像はついていたので、それだけはやるまいと思っていた。お金もいくらかかるかわからないので不安だったせいもある。

なのでその事を返信すると「一ヶ月は無料だから大丈夫。一緒に遊ぼう」と返事がきた。

何回かのやり取りの後、私は説得されてしまった。(汗


そのゲームは韓国が製造元だった。接続人数は400人も接続すればサーバが落ちてしまう程の、しょぼいゲームである。しかし、何もかも新鮮で楽しかった。私は恐れていた通り、そのゲームにどっぷり頭の先までつかってしまう事になるのである。


そしてそのゲームで、私は旦那と出会ってしまったのであった。

もう少しだけ自己紹介

当時はまだつなぎ放題とか無くてテレホー題(あってます?)通称テレホで申し込んだ。夜11:00~朝8:00まで繋ぎたい放題のアレである。

プログラマーなどという仕事をしていながらハードの事はさっぱり解らない私でしたが、なんとか独りで設置も完了。11:00を待ちかねて接続してみた。

ヤフーのページャ(懐かしいな・・・)というMSNのようなもので一緒に始めたお友達とお話する。感動・・・

始はその程度だったのだが、お友達もいつもいつもいるとは限らない。その内にページャのメニューにあったゲームに興味を引かれて遊びに行ってみた。

私は自他共に認めるゲーム好き。ではあるが、実は対戦物は苦手なのである。

争いごとが嫌いと言えば聞こえはいいが、つまるところは「負けず嫌い」なのである。というか負けるのが嫌いというか・・・まぁ好きな人はあまりいないだろうけど。

観戦だけでもいいので、少し見てみようと軽い好奇心だった。その場所で、私の運命の導き手であるけんちゃんと出合ったのであった。

なれそめの前に自己紹介

もったいぶっている訳ではありませんが、旦那との馴れ初めまでの経緯として・・・


1999年夏(頃)

私はプログラマーをしておりまして、それまで出向していた会社から本社勤務になったところでした。

出向先の仕事がとんでもなく忙しかったので「戻してくれないんだったら辞める!」と社長にねじこんで(^-^;

無理やり戻してもらったんですが、本当の理由は失恋だったりします(笑)

本当に仕事はきつかったんですけどね。日付が変わってからの帰宅などは当たり前。酷いときには2日完徹とかざらでしたから・・・

それも、この業界ではそう珍しい話でも無く、プログラマーは自分の天職だと思っているので、口では文句を言いながらも本気で嫌だった訳では無いのですが。

二股賭けられた挙句に、相手が結婚となると・・・それ以上その人の姿を見るのが辛くって、逃げ出した訳です。

出向先では、ワークステーションの仕事が主だったのですが、本社に戻るとパソコン(以下PC)の仕事が多くなりました。

インターネットもボツボツ普及し始めていた頃だったのですが、私は全く興味がありませんでした。

しかし、会社でもメールを使う機会が増え、仕事でもPCを使用するので、自分用のを購入する事にしました。ついでに、ネットもはじめました。

出向先でのお友達が始めるという事で、一緒に始めることにしたのです。


これが運命の分かれ道である事に、気付いたのはもっとずっと後になってからでした。

はじめに

先月、結婚して丸5年になりました。

短いようで長い5年間、結婚って何だろう?家族って?夫婦って?を考え続けてきました。

この5年間を振り返って、もう一度自分を見つめなおしていきたいと思います。

よろしかったらお付き合いくださいませ