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eijiのブログ

主に気になった映画や、日々起こったことについて述べて行きたいと思います。

大学時代、文学部だったため、わりかし文章を読み、書いてきました。

 だから文章についてのこだわりは強いほうだと思います。そのせいか、どうしても気になってしまうことがあります。

 それは文章の一文の長さです。

 ワンセンテンスが長い文章は、僕はどうしても読みにくいのです。だから、一文が長いと嫌煙してしまうか、読んでもサーっと目を通すくらいになってします。

 もちろん、ワンセンテンスが長くてもすばらしい文章はたくさんあります。古典的名作でいえばドストエフスキーやプルーストの小説などです。

 しかし、別に現在小説を書く気はありません。また、僕には彼らのような名作を書ける才能もない。書くのは、ブログかメールか書類ぐらいです。
 
 ならば文章を書く時、できるだけ一文を短くしよう。

 こう思いました。

 試しに読み比べてみてください。どちらが読みやすいでしょうか。
 
 最初は一文が長い文章です。

 「わたしは学生だったが、当時結構な収入があり高級車を乗り回していた。」

 次に、一文を二文にわけた文章。

 「わたしは学生だった。しかし、当時結構な収入があり高級車を乗り回していた。」

 さーっと目を通した時、2番目の方が読みやすいのは一目瞭然です。

 みなさんも、ブログやメールを書く際、一文の長さを意識してみたらどうでしょうか。具体的には、ワンセンテンスが60字を超える時は、二文に分けた方がよいです。相手に与える印象が良くなりますよ!
誰にでも眠れぬ夜はある。学校、職場でイヤなことがあった。それを思い出すと眠れない。休日、昼まで寝すぎた。あるいは午後昼寝してしまった。そのせいで布団に入っても眠りに落ちてゆかない。

 いかに快適に眠るか。これは誰しもが抱えている悩みであろう。

 そこでと言っては何だが、座禅式瞑想をオススメしたい。筆者は初めて三年ほど経つのだが、少し板についてきた。そのせいか、効果のスゴさを実感している。

 寝る前の瞑想が脳を疲れを和らげ、快眠の助けとなっているのである。


 「座禅式瞑想!」というと、何か浮世離れした、変に宗教的なイメージがあるかもしれない。が、それは完全なステレオタイプである。ストレッチのようにやり方さえ身につければ、心身をリラックスできる極めて日常的な行為だ。

 なぜなら、自分の呼吸をただひたすら「観察」するだけだから。当たり前のことをしているだけ。当たり前のことを当たり前にせず、「座禅?悟り開きましたねぇ~(笑)」と、他人事でせせら笑っている人ほど、眠れない時に泣きを見る。

 別に、姿勢を正して足を組む必要もない。必要なことは2つだけ。1つ。「ゆーっくり吸って、ゆーっくり吐く」呼吸をする。2つ。自分の呼吸を客観的に眺めて「観察」してみる。これだけ。

 
 そこで、筆者のやり方を紹介しよう。寝る前に布団に入り横になる。そして前述したように、ゆっくり呼吸を繰り返し、それを観察する。ここでいう「観察」とは、

 「あ~今、吸った空気が鼻孔の上に当たっているなぁ」
 
 「呼吸のせいで、ノドが乾いてきたなぁ」

 「今の呼吸は、吐くのが速すぎたなぁ」 

 のように、自分の呼吸を分析していくことである。これだけ。

 眠りに入る際、こんな風に呼吸の動き、速さ、様子だけに一点集中して観察してみるのである。

 

 布団に入っても眠れない時は、往往にして「今この瞬間」の感覚を忘れているものだ。今述べた自分が呼吸していること。腕や足が布団のシーツに当たっている感触。腕がパジャマの生地に当たる感触。時計のカチッカチッという針の音。

 そして、こうした「生の感触」を忘れ、アタマの中で観念ばかりが先行している。

 「明日、仕事(学校)で~しなくちゃ」

 「あの洋服欲しいなぁ」
 
 「週末は~へ行って~を食べたいなぁ。」
 
 「あの人の名前なんだっけ?」

 だから、眠れない。

 

 そこで、「呼吸の観察」と「今この瞬間の体験」だけに心集中させてみてほしい。そうすると、本当に不思議なこと雑念は浮かんで来なくなる。いつの間にか夢の中にいる。

よくつぶやきで、女性蔑視ととれることを書きます。この前なぞ、家族から「バイセクシャルの気があるの?」と言われました。

違います。僕はゲイではありません。女大好きムッツリスケベです。昨日なぞ一晩にオナ…、お口チャック。
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 では、なぜ女性蔑視のようなことを言うのか。それは現代社会において「観念的に」男は女に勝てないと知っていて、その女性の権力に嫉妬しているからです。
            
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 現代社会におきましては、往々にして「弱さ」が強さを持ちます。

 電車で、目の前の人が盲目とわかった途端、我々は彼らに屈しなければなりません。決して、そばを通り過ぎるとき「このメクラ邪魔だよ」と言うことはできない。

 東北で被災した方々たちには、少し悲しみを浮かべた顔で言わないといけません。「大変ですね…何かできることはありませんか?」と。

 不治の病を抱えた子供に「早く逝ってくれれば生命保険が降りるのに」とは絶対に言ってはいけない。

 つまり、現代においては、社会的に「弱さ」という免罪符を持った人は、強大な権力、つまり強さを手に入れることになります。それ以外の人々は、有無を言わせず彼らに従わなければならないのです。

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 この「弱さ」が強さを持つ一番卑近な例が、現代の女性です。女性は力的に言えば男より弱い。しかし、力(武力)ではなく知が実権を握る現代においては、その「弱さ」はとりもなおさず強さに変わります。DVやセクハラなんて概念が出てきたから、余計にその傾向には拍車がかかります。


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 さらに、「妊娠」「出産」という女にしかできない行為が、社会システム的だけでなく、動物的に女性を強くします。そこに求められる強さは、男に見られる単純な腕っぷしレベルどころではない。

 それは受胎から出産後も保護してくれる男(配偶者とは限らない)、母子を次世代にわたって保護してくれる男を手に入れるための狡猾で、権謀術数を要する強さ、陰湿で過酷な心理戦にも勝ちぬける強さです。
            
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 こうした男にはできない残酷な戦いを、日々女性は繰り返しています(多分)。おそらく、女性は他の女の美点は認めたがらない。女は男に負けてもなんともないが、女に負けることは許せない。

 こうなれば、真理や見栄などどうでもよいのです。とにかく実利。ああ、「花より団子」ということわざを作った人に、なぜノーベル賞をあげないんだろう!?
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 こうして、女性は、現代の社会システムの点から、また日々の同姓との戦いから、絶対的に男より強いのです。そして、そんな女性の「優位さ、たくましさ」が俺にはうらやましくてたまらないのです。俺は(たぶん)権力欲の強い人間ですから。こうした観点から日々女性の言動を見ています。すると、どうしてもその強さに嫉妬し、女性を蔑視したくなってしまいます。

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 ニーチェは、女の強さ、醜さを、怖さ、ずる賢さ、世渡りのうまさをするどく見抜いています。女性がいかに見栄より実利を取るか、女同士の戦いが残酷化か、男をいとも簡単に翻弄してしまうか…、その言葉は突き刺さるものがある。日記の締めくくりにニーチェのオコトバ。(ちなみに、哲学研究者に女性がほとんどいないのもうなずける!)

 「さもあれ、女は真理を欲しない。女にとって、真理など問題ではない!女にとって初めから真理ほど疎ましい、いとわしい、憎らしいものは一つとしてない-女の最大の技巧は嘘をつくことであり、その至上の関心事は見せかけと美である」『善悪の彼岸』第7章232節~239節 信太正三訳

 「最後に私はこう問うしよう-かつて女みずからが、女の頭に深さがあり心に正しさがあると認めたことがあっただろうか?また大体において、これまで女というものを最も軽蔑したのは女自身であって-決して我々男ではなかった、というのが真実ではないであろうか?」(同書)

 「『女よ、私にそなたのちいさな真理を教えよ』と私は言った。すると老婆は次のように語った。『そなたは女たちの所へいくのか?鞭を持参するのを忘れるな!』」(『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部 「女どもについて」吉沢伝三郎訳)

→「男は女をどうしたって丸腰で操ることはできないから、「鞭」を持参して巧みに操れ」と老婆が語る。もはや動物としての女性能力を失った「老婆」がツァラトゥストラに。