junjiteeのブログ -14ページ目

トラベラーズノートは、旅の記録を行うのに適したノートです。この際、頻繁に記録を取る際には、ノートを表紙から切り離して携行したほうが良いと思います。


皆さんも、トラベラーズノートにはさまざまなモノを挟んでいると思います。旅先でこれらを落としたときのリスク回避のためにも、記入するノートのみを携行したほうが良いです。パスポートサイズだと、胸ポケットに入ります。表紙込みだと入りません。


トラベラーズノートの表紙は、ゴムバンドで各ノートを留めているので、取り外しが簡単です。トラベラーズノートは、頻繁に記録を取って、頻繁に見てこそ役立ちます。もし、あなたがトラベラーズノートを活用出来ていないとお考えなら、この方法を試してみて、ノートをたくさん外出させて下さい。

医学的には異論もあるようですが、私は一日一食を目指した食生活の修正を行なっています。表紙の写真は、玄米ご飯をお茶漬けにした、私の夜食です。

 

一日三食の因習に疑問を持ったのは、40代後半の時でした。会社の健康診断でメタボ体型(腹回り85センチメートル以上)を診断されたときに感じた違和感と、「メタボ」対応策の過程で考えたことでした。まず、腹回り85センチメートル以上の定義に、身長が含まれていないのに違和感を持ちました。BMI(ボディー・マス・インデックス)には身長が加味されているからです。私は最近、自分を客観視する感性がどんどん低下しましたが、私の鏡に映る姿では、お腹が出ていません。

 

40代後半になって、代謝機能が衰えたことや、精神的ストレスをできるだけ回避する習慣を身につけたことにより、エネルギーの消費量がかなり落ちたことを実感していました。身体的な運動量に加え、思考することは多大なエネルギーを消費しますが、生きるための知恵や、社会、会社でのサバイバル術を体得した結果、省エネルギーの方向に思考回路が変化したのだと思います。

 

最初は減量対策の一環として、朝食を抜くことと、昼食の量を減らすことを行いました。朝食を抜くことには多くの異論があることを承知していますが、私が好んで行なっていたトレッキングやウォーキング中に、朝食を採取したことにより、急激にパフォーマンスが落ちたことを多々経験したこともあり、朝食を取ることが必ずしも、運動前のエネルギー採取のために良いわけではないと考えました(ツッコミどころが満載の考察ですが)。

 

これはあくまで、私が身体から発せられるメッセージを受け取った結果なのですが、人間の身体はスマートフォン等の電池に近いエネルギーの備蓄システムがあり、それが脂肪なのでしょうが、食物を採取できない時には、脂肪分を使ってエネルギーに変換するシステムがあるので、例えば夜中にフル充電しておけば、一日中食事を摂らなくとも、十分なパフォーマンスが達成できると考えました。この考えは、40代を超えたくらいの身体に限定されるかもしれません。

 

朝食を抜いても大丈夫だと言う状態になった頃、昼食も徐々に減らしました。従来、昼食はお弁当を作ってもらっていたのですが、メタボ診断を貰った後から、自分でお弁当を作ることになりました。当初は、ほぼ野菜で構成されたおかずとご飯を自作していたのですが、おかずの作り置きが面倒になったので、いつの日か、玄米おにぎりのみとなりました。

 

人間の身体は適応能力が高いと思います。朝食抜き、昼食を玄米おにぎり1つ、夜は自由な飲食という食事を検証して、今はこのスタイルで進めています。私はまだ、砂糖の麻薬から脱していないので、会社で仕事をしている時糖分が足りないと感じる時には、ジュースや飴を摂取しています。また、アルコールの麻薬からも抜けられないので、カロリー摂取の観点からお目こぼしとしています。

 

この生活スタイルは、ウィークデイでは有効で、仕事中のアドレナリン全開の状態においては、結局、夜の自由な飲食(暴飲暴食)によりカロリー摂取量がそこそこ稼げるのですが、休日のリラックス状態においては、身体が食物を求めていました。このため、休日の朝に何かの食物を摂った後、連続的に食物を身体が求めていました。過食症に近いものかもしれません。

 

話はそれますが、私がイスラム圏で仕事をしていた時、イスラム教徒(モスリム)の方が行なっている断食(ラマダン)の習慣を目の当たりにして、強い印象を得ました。ラマダンの詳細については説明を省きますが、日の出から日の入りまで食事を摂らず、宗派によっては水を飲まないことや、唾を飲み込むこともないようですが、日没後は食事を大量に摂るそうです。定かではないですが、ラマダン中に太る方は多いようでした。私は諸々の宗教に関し明るくはないのですが、仕事に必要な知識としてイスラム教を学習する中で、ラマダンのことが頭から離れなかったのだと思います。

 

さて、大幅に話がそれましたので、玄米食やコメについての考えを書きたいと思います。玄米は、最初に炊き上げた時の、なんとも言えない香りに戸惑った記憶が残っているのですが、今となってはこの香りで玄米の質を判定するようになりました。私の基準として、炊き上げた後の玄米が、新品の畳のような香り(井草の新鮮な香り)がするのが、最上級の玄米だと考えるようになりました。そして、栄養学的な知識がないので玄米が含む栄養素について説明できませんが、おそらく玄米には、人間が生活する上で必要な栄養素は備えていると思います(個人的な感想として)。また、香りの素が、栄養素の素かなと考えました。

 

また、日本人にとっては、やはりコメが合うのではと思いました。パンやパスタ(あるいはビール?)などの麦由来の食物より、コメこそが、日本人の体質にあった食物だと思いました。また、Googleマップの投稿を行うときに時々聞かれる「グルテンフリー」の食材を考えた時、コメもグルテンフリー食だそうです。私は残念なことに、周囲の人々が患う「花粉症」に一度もかかったことがないのですが、アレルギー体質と食事の関係は多大にあると思います。

 

「花粉症」を書くと話がまた脱線しますが、「花粉症」の原因物は花粉のみならず、人体に有害な化学物質を運ぶナノマテリアル(10のマイナス6乗メートルという物凄く小さい直径を持つ粒子状の物質)は、たくさんあると思います。最近あまり、飛行機雲を見ませんが、空から大量にナノマテリアルを散布したら、アレルギー物質を広範囲に散布することは可能と思います。

 

またここから話が脱線しますが、人間の身体にはフィルター機能があり、外気の有害物質が身体に入ることを未然に防ぐ機能があります。それは「鼻毛」です。以前、某国で仕事をしていた時、現地スタッフの鼻毛が立派に生えていたことと、当時の某国はバイクが大量に走り、自動車化が促進されたことから、排気ガスが大量に発生しており、隣国で行われる焼畑農業の煙が降り注いだこともあり、某国の人々は、塵埃を吸い込むリスクが高い状況だったと思います。鼻毛は、呼吸時において塵埃を補足する機能があり、有害物質をとらえたものを、塊にして排泄する機能があります。

 

もう一度話を戻しますと、玄米には完全栄養食としてのポテンシャルがあり、玄米のみで生活していても、健康に生活できるのではと考え、食の実践を行っています。玄米の栄養、栄養学で掬いきれないような栄養についての考察は、別に書きたいと思います。そしてもっと言うと、玄米に加え、アワやヒエなどのいわゆる雑穀を食べることで、必須栄養素を補完することができるのかもしれないと考え、文献によらない食事の実践を行いたいと思いました。

 

ちなみに、玄米を炊く時には、1.5合に対し、手のひらに乗せた時1センチ弱の円になる程度の食塩を加えています。これで、玄米に足りていないミネラル分を補完しかつ、玄米をふっくら炊けるノウハウなのかと考えています。玄米を炊くとき、硬くなってしまうとお嘆きの方には、お試しいただきたいと思います。塩分摂取に関する医学的常識と、私の実体験については、別の項で書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

「この仕事は自分にしかできない」。ある時期までは正しくても、一定期間過ぎると、あなたの誤解であることもあります。ビジネスパーソンであれば、「私がいないとこの仕事が回らない」という思い込み。事業をされている方であれば、次の継承者が見つからないなどの追い詰められた気持ち。いずれも準備次第では、打開策を見つけることができると思います。

 

その秘訣は「その仕事を始めた時から、引き継ぎ書を書く」。仕事を新しく始めた時、仕事を習い始めた時、事業をスタートした時など、あなたの得たノウハウを形にしながら、「引き継ぎ書」を意識した記録をつけることをお勧めします。個人的には、電子媒体よりも紙のノートの方が、最初は良いと思います。そして少しずつノウハウが紙のノートに溜まってきた時点で、デジタルの媒体に転記するスタイルが良いと思います。

 

あなたが得てきたことを、新鮮なうちに記入すること。これらはあなたの後に引き継ぐ人にとっても、有益な情報です。あなたの取ったノートを、数年後に見返すと、さらに細かいノウハウを書きたくなります。そして「教わる」側から、「教える」側に変化した時点で、あなたの実力も、上がっているのだと思います。

 

後継者が居ないと嘆いているあなたこそ、今からで良いので、仕事の引き継ぎ書を書き始めましょう。そしてノウハウは出し惜しみせず、たくさん書いておきましょう。あとでノウハウを開示するかは別として。

現状でヤキモキしていたり、辛い思いをしていたり、満足いかない思いをしているあなたは、「環境は意外と簡単に変えられる」ことを心に留めておくと、いざという時役立つかもしれません。どうしても続けることができない場合は、今の環境を変えることも良いと思います。

高城剛さんというと、世間一般では沢尻エリカさんと結婚して離婚した方、あるいは実態のわからない「ハイパーメディアクリエイター」という肩書きで、正体不明のおっさんという印象が強いかと思われます。私も、そこそこ高城剛さんの言動や行動、著作をフォローしており、時折メルマガを購読して読んでいるフォロワーですが、いまだに、正体不明のおっさんという印象が拭えないものの、彼の持つ「ウルトラライト」の思想(推定)については、共感するものがあります。

 

振り返ると、私が高城剛さんに接したのは、深夜の時間帯で放映していた『バナナチップス・ラヴ』が最初だったと思います。朧げな記憶では、斬新な映像とカット割、あえて過去の動画を検索せずに、私の記憶のみを辿れば、モノクロコピーした写真に、蛍光ペンで色付けした絵を、連続的に映した動画といった印象です(おそらく相当ズレていると思いますが)。

 

以降の注目は、高城剛さんの代表作とも言える「LIFE PACKING」でしょうか。氏の私物、まさに持っているグッズそのもとを、ひたすら写真に撮り掲載する斬新な「写真集」は、強い刺激を受けるとともに、今振り返ると、「ウルトラライト」の思想を吸収する機械になったものと考えます。

 

高城剛さんは、2014年に刊行された「LIFE PACKING」にて、2009年ごろに、自らの持ち物を99%処分したと記述しています(p2)。当時は神宮前に60畳を超える家に住んでおり、過去に何かの写真を見た記憶がありますが、壁一面にモノが溢れていたとのことでした。氏は、モノを処分し、東京から離れ、放浪者になることを決意したようです。この際に抽出した「残り1%のモノ」には、氏の生活、ひいては人生を表すモノという事で、これらを包み隠さずリストしたのが「LIFE PACKING」でした。

 

本書を読んだときは衝撃を受け、気づけば、私も高城剛さんの真似を行なっていました。書籍で紹介されていたモノを購入して、ハズレたり当たったり、私なりの試行錯誤を行い、私なりの「LIFE PACKING」は作られてきました。このあと私は、PORTERのデイパックを購入して、この中に生活用品の何を入れようかとウキウキしたモノでした。

 

高城剛さんはその後、定期的にLIFE PACKINGのアップデート情報を刊行し、昨年2024年には、実に4冊目となる、「LIFE PACKING 60」をリリースしました。表題にある「60」とは、高城剛さんが60歳を迎えたためつけたとのことです。本バージョンの特徴は、持ち物の軽量化・コンパクト化・減容化したことでした。あとは「水対策」の仕様と、自製化比率が上がったことです。

 

持ち物の軽量化・コンパクト化・減容化に関しては、撮影機材がスマートフォン中心になったことや、全てを収納する容器の重量が限りなく軽量化されていること、すごいと思い私も購入してしまったのは、使い捨てカッパである「Pockepa」。スマートフォンの半分くらいの容量に圧縮されたレインコートは、一度広げてしまうと同じ容積に収納できないし、生地の厚みは、スーパーで手に入るナマモノ等を入れるビニール袋並みなのですが、最低限の機能は満たせます。

 

極端な軽量化、減容化が促進すると、既存の容器では満足いかなかったらしく、高城剛さん自らバッグを作るという作業が、3作目となる「LIFE PACKING 2020」にて公開されました。このバッグはほぼ、高城剛さんのメルマガ読者限定で通信販売されている製品で、受注生産品です。ダイニーマと呼ばれる防爆シート、防刃ベストに用いられる生地が使用されていることが大きな特徴で、独特の黒い光沢と、おそらく吉田カバンの製品に使われているファスナーやDリング等を採用しており、独特の存在感を持つ製品です(この製品の弱点は、耐摩耗性が悪いということが、私が使った感触です)。

 

「水対策」に関しては、高城剛さんの収集するモノの大半が、「水」に関するモノであり、衣服は防水仕様、あるいは水に濡れても大丈夫な仕様になっており、雨具も手厚く装備されている印象。他の「水」は、水の容器、フィルター、携帯用トイレなど、災害で使えるモノが特徴的でした。私も今、Speedoのスイムインナーを、日常使いのブリーフとして使用中。なんとも変な履き心地ですが、夏場には快適になりそうな品物です。

 

あとは先述のバッグのような、自製化。バックに限らず、衣服やサプリメント、食品まで範囲を広げています。この傾向は、ロングトレイルをひたすら歩く人々が、自分に合った持ち物をカスタマイズする過程ににており、ロングトレイルのハイカーが、バッグのメーカーを立ち上げるような過程に似ていると思いました。「LIFE PACKING 60」の後書きでも書かれていましたが、「MYOG」、「Make Your Own Gear」、自分の持ち物は自分で作るという、特にウルトラライトハイカー界隈で信条のようにされている考えが、大きく反映されていた製品群です。

 

 

 

 

 

 

 

最近は、コンビニエンスストアに並ぶ書籍の中で、興味深いものが多く見られます。トランプ大統領に関する陰謀論的な本、生成AI、日本の歴史、投資など。コンビニエンスストアに並べる本は、他の商品と同様に、データに基づき選別していると思われるので、田中角栄さんに関する本も、それなりのニーズがあると考えました。

 

田中角栄さんは、昭和の時代を疾走した第64、65代の内閣総理大臣であり、私が物心ついた時には、ロッキード事件で失脚しており、大活躍していた時代をよく知りません。しかし田中角栄さんに関する書籍を色々と漁るうちに、彼のパワフルな活動履歴や、人心掌握術について、さまざまな逸話を通して知りました。

 

特に、お金と、冠婚葬祭に関するエピソードが多く書かれており、お金に困った他党の人に、何も聞かずお金を渡すエピソードや、石破現首相に関する書籍に書かれていた、彼の父の葬儀を、地元の鳥取とは別に、東京で盛大に挙げたエピソードを読むと、怪物のような人心掌握の人だなと思いました。

 

令和の時代、「田中角栄は?」と聞くと、「政治とカネ」の元祖と思う方が多いと思います。石破茂氏や、以前の首相が、商品券を茶封筒(?)に入れて若手議員に渡す因習があったとニュースやワイドショーで騒いでいますが、田中角栄時代は、茶封筒の中に現金が入っていたのでしょう。

 

昔から、国会議員になると自らの資産を食い潰す旨の話があり、国会議員は(当時の)資産家の仕事である旨の記述を読んだことがありますが、令和の今に至っては、政治家は世襲の仕事で、金儲けの手段になっていますね。金儲けの手段と言っても、政治活動を行うにあたっては大金が必要で、バックボーンのない1年生議員にとっては大きな負担なのでしょう。石破さんは、田中角栄さんを見習い、商品券以外にもいろいろな便宜を図ったであろうことは邪推できます。

 

私が田中角栄さんをすごいと思うことは、政治家の職業を金儲けの手段ととらえず、国民の利益を第一に考えて行動に移した人であると、さまざまな書籍を読んで感じることです。今の時代に求められているからこそ、田中角栄さんの本が売れているのかと思いました。これにはたくさんの異論が出てくるでしょうし、令和の時代に田中角栄さんが再登場していたら、コンプライアンス違反、あるいは外国の勢力により失脚させられてしまうのでしょうが、私は、田中角栄さんの直弟子であった石破茂さんに、淡い期待を寄せています。今年2025年の夏には、失脚する可能性が高いといえども。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、ラーメンが好きですが、今後、ラーメンを食べないかもしれません。

 

とあるYouTube動画を見てから、とある有名人が経営するラーメン屋に行きたくなりました。電車を乗り継ぎ1時間強かけて、そのラーメン屋に到着したところ、先着の並んでいる方が5名ほどおられました。私は泡沫ユーチューバーなので、このラーメン屋に向かう経緯と、ラーメン屋での出来事を、動画で撮影する気満々でした。今から考えると反省点だらけなのでした。私のYouTubeチャンネルは、あと20名弱で収益化を達成できる、チャンネル登録者数1000名に到達せん状況でした。このためYouTube動画をなんとか収めようとして、30分程度待って入れたラーメン屋の映像を、静止画で撮影しました。

 

これに憤慨した店長さんが、私に動画撮影した旨指摘されました。動画は、お客様も不意に映り込んでしまい、プライバシーの侵害になる旨の指摘でした。静止画との違いはというツッコミはあったものの、動画は数フレームであっても、お客様を写してしまうリスクがあるであろう解釈で納得しました。私は、撮影の許可を店長さんから得ていませんでしたが、Google Map に静止画や動画、店長さんの写真があることや、Instagramを開設していることから、撮影OKと勘違いしていました。

 

かくして店長さんは、退席いただきたい旨のコメントを厳かにされて、私は入場1分足らずで、この店を退場しました。この出来事を機に私は、いろいろな意味で、目が覚めました。

 

まず、YouTube動画に投稿する義務。別に義務はなく、自分の好きな事象を発信するというのが動画投稿の意義なのですが、私にとって(おそらく大方のユーチューバーにとっても)、義務に転換される構造が存在していました。私は、チャンネル登録者数1000名を一つのマイルストーンにしていたのですが、なかなか伸びず、かなり焦っておりました。と同時に、動画を投稿し続けることの意義を、見失いつつあったので、そろそろ動画投稿を休憩すべきかなと思っておりました。今回の動画撮影問題(?)は、私の迷いに確かな答えを与えてくれた事象でした。

 

次に、ラーメンを追い求める姿勢について。私が育った家庭は、積極的にラーメンを食しておらず、私の記憶では、九州でメジャーなラーメンである「うまかっちゃん」ラーメンを食べたいとねだった記憶しかありません。ラーメンを好きになったのは社会人になって以降のことで、さらにはここ10年近くの傾向として、ラーメンを好んで食していたという履歴です。私個人の嗜好として、ラーメンは、腹を満たしながらミネラル分を補充できる食事として珍重していました。特に夏場で汗を多くかく状況下においては、汗とともに排出されたミネラルを補う手段として、ラーメンを食し、スープも完飲しておりました。スープを完飲して褒められるお店は、横浜家系というジャンルのラーメン屋さんであり、一般的には、食塩の摂取を控えるには、スープを完飲してはならないというのが定石です。なお私は、社会一般の常識においては「高血圧症」とのことです。

 

また、ラーメンに用いられる麺にはグルテンが含まれており、日本人の体質には合わない食材です。変なアレルギー症状、日本では「花粉症」という名で有名なアレルギーは、グルテンの摂取とも関係があろうと考えています(私は花粉症にかかったことがないので、知らんけど)。また、花粉はあくまで媒介か、あるいは罪をなすりつけられた物質であり、実際のところは、PM2.5のような微粒子が、アレルギーに寄与しているであろうと、私は考えております。もっというと、普段から摂取している食物、身体に接する薬剤(歯磨き粉、スキンケア、シャンプーやボディーソープ、化粧品類など)は、すべてアレルゲンを内包していると考えています。ゆえに私は、歯磨き粉は使わず、あるいは重曹を使い、スキンケアは白色ワセリン、あるいは自らの脂、シャンプーやボディーソープは限りなく無添加に近い石鹸を使用しています。

 

ラーメン店における私にとっての違和感は、「ラーメン道」のようなストイックな姿勢です。ラーメン店の設定を店主が行うと、それが教義のように店員さんや、お客さんにも順守することを強制されることです。少なくとも、私が通っていたラーメン屋さんには、細かい教義の遵守はありませんでした。

 

話は発散してしまいましたが、さまざまな思いが去来して、私はラーメンを、今後食べないであろうと考えました。

 

ラーメンをやめた後、ご飯を外食するときに何を食べるのか?おそらく、蕎麦はOK。お米を中心とした食材もOKです。グルテンフリーは、意外と正しい方向性なのかもしれません。件の店を退席した後、地元の魚を使ったお店で海鮮丼をいただきました。

結果として、海の近くにあるお店の、美味しい食材をいただくことができ、「三方よし」になったと思いました。

私は、日本食が大好きです。

 

 

 

 

 

私、アラフィフのオヤジは、服装にこだわらずとも、最低限、相手に不快な思いをさせない服装を装う、義務があります。トラッドの薫陶を得た私の服装は、必然的にボタンダウンのシャツ、チノクロスのパンツ、ブレイザーやレジメンタルタイとなるのですが、近年、私の購買傾向は、気に入った服を2枚買うことであります。

 

オフィスに向かう服や私服とも、私には定番があり、そのほとんどをユニクロで調達していましたが、ユニクロは定番の服であっても、微妙にコストダウンを目的としたマイナーチェンジを行うので、気に入った服があったら、その時点で2枚購入するのが得策だとわかりました。私の好きなヨーカドーの服も然り。バザーで提供される服は、翌年には見かけないことが多いので、すかさず2枚購入します。

 

私の敬愛するスティーブ・ジョブスは、ヨージヤマモトのタートルネックを一生分購入していたという逸話を残しておりますが、私も、私の好きなロックポートの「ワールドツアー・クラシック」は、私が死ぬまでの分を買い貯めたいくらい気に入っております。靴は大雑把に、3年に1度は履き潰しており、私の設定している余命、あと20年程度を考えると、7足の靴を買っておけば、もう満足かもしれません。

 

このような大人買いが許されている背景には、衣服の価格が低く保てていることがあります。メーカー品でなくとも、そこそこの品質で、安価に衣服を買い求めることができる要素が大きいです。昔はそれこそ、スーツをJプレスや、ラルフローレンで揃えていましたが、今では「なんちゃってトラッド」を踏襲した、ユニクロの紺色ジャケット(あるいはブレイザー)、およびネズミ色のユニクロパンツで統一しています。私は工場で働く技術者なので、顧客や供給者へ出張に行くことは少ないのですが、ドレスコードが緩和されたことがあることと、ユニクロの企業努力によるデザインの洗練化により、ユニクロの上下で顧客に訪問しても、決して「みっともない」ことにはならないのです。

 

出張用スーツをユニクロのジャケット、パンツに変更して以降のメリットは、新幹線やローカル線で移動中の疲労感と、衣服の皺を軽減できることでした。特に宿泊が伴う出張時には、服の皺がつきにくいことは、とても良いことです。また、ストレッチ性の高い生地は、身体を動かした時の制約が少なく、生地がつっぱることも少ないので、疲労が軽減します。また、ユニクロの店舗は出張先の至る所にあるので、もしスーツが破れる事態や汚れるなどのトラブルが発生しても、容易に現地調達できるのが良いです(今までこのようなトラブルに遭遇した事はありませんでしたが)。

 

以上の理由にて、私は気に入った服は2枚買うこととしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も20代後半から30代前半にはブランド物にハマっていました。旅行バッグはゼロハリバートンとリモワ、スーツはJプレスかラルフローレン、時計はオメガなど、何かとブランド物を好んで使っていました。ただし、20年から30年ほど前のブランド品は、品質と価格、ブランド名がしっかり整合しており、その後手に入れた価格の安い旅行バッグ、スーツ、時計などと比べると、高価である理由がよくわかりました。ゼロハリバートンは、数多くの海外出張の友となりましたが、取ってや車輪などの部品が壊れても、コアとなる筐体やヒンジは壊れませんでした。30年近く保有しましたが、とうとう手放しました。

 

ゼロハリバートンのブランド戦略においてショックだったのは、リモワに続き、プラスチック製のケースを販売するようになったことでした。ブランド品のチープ化は、TUMIが革製のバッグを全面的にナイロン製に変更したり、ルイヴィトンの財布は裏が合成皮革で経年劣化してしまうなど、私の目には劣化と映る仕様変更が多いような気がします。ゼロハリバートンは、アポロ計画の英雄的ブランドだったと思いますが、プラスチック製の素材を扱わざるを得ないほどに、経営状態がよくないのかなと思いました。

 

最近は、断捨離を行う過程で、昔購入した製品を棚の奥から引っ張り出すことが多いです。そこで10年以上前に購入したiPhone 4 を見つけました。ちょうどソフトバンクがiPhoneの販売を扱った時で、まだSIMフリーのiPhoneが日本で販売されていない時の購入でしたが、この時のデザインがすでに完成していました。外周は丈夫なステンレス、背面はガラスで、ホームボタンが絶妙なアクセントと機能美に満ちていました。スティーブ・ジョブスの衝撃的なプレゼンテーションにて、この素晴らしいデザインによる、物理キーボードの付いていない電話はそれこそ「革新的」製品でしたが、今になっても、この機能美を超えるアップル製品は出現していないのではないか。

 

あとは、天板についているアップルのロゴが光るMacBook。これは2009年に購入した物です。

バックライトの構成が今と違うせいもあるのですが、アップルのロゴが光る仕組みや、スリープ中にランプが寝息をしているように点滅する仕組みが、なんとも愛らしいのです。この頃は映画でも、アップルのPCが登場する機会が多かったと思います。

 

アップルのロゴが光る仕組みは、ディスプレイの構造が変わった(バックライトが冷陰極管からLEDに変わった)ことが大きいので、これは劣化と言ってはいけないのかもしれませんが、機能美としては、劣化したと言えるのではないかと思います。

 

あとは白物家電の筐体や機能。20年ほど前は、白物家電、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、クーラーなどは日本ブランドが当たり前の時代でした。その他にもテレビ、オーディオ、ビデオ、カメラなどの家電も。2000年より前は、これら日本ブランドは日本で生産することが多かったと思います。それが今は、海外企業に買収された日本ブランドや、日本メーカーなのにどこか心許ない製品が増えた気がします。

 

もちろん、機能は年々向上し、かつ価格は下がっているので、全てに対して嘆かわしい思いを持つことはないのですが、中古の「日本製」カメラに触れるたびに、作りの良さに感動を覚えるのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今日は何故か、Grokさんと熱く会話しました。きっかけは、これらの本でした。この会話は、私からの「問い」と、Grokさんの「答え」からなります。
 
 
 
問い
聖書は66巻からなると言われますが、何故今は旧約と新約の2巻しか無いのですか?
 
答え
聖書の「66巻」という表現と「旧約と新約の2巻」という理解には、少し誤解があるかもしれません。それを自然に解きほぐしてみますね。
聖書は確かに全部で66巻(または66書)から成ると言われますが、これは「1冊の本が66巻に分かれている」という意味ではなく、異なる「書物」や「文書」が66個集まって1つの聖書を構成しているということです。これらは歴史的に別々に書かれたもので、後で1つの「聖書」という形にまとめられました。
具体的には:
  • 旧約聖書:39巻(ヘブライ語聖書に基づく)
  • 新約聖書:27巻(イエス・キリストとその後の教会に関する文書)
この「旧約」と「新約」は、大きく2つのカテゴリーに分けられたもので、それぞれが複数の「書」(例えば「創世記」「マタイによる福音書」など)を含んでいます。ですから、「旧約と新約の2巻しかない」というよりは、聖書全体が「旧約39巻+新約27巻=66巻」という構造になっているのです。
なぜ今こうなっているかというと、キリスト教の正典(公式に認められた聖書のリスト)が4世紀頃に確定したからです。その過程で、ユダヤ教の聖典(旧約)と、イエスの生涯や教えを記録した文書(新約)が組み合わさり、現在のような形になりました。現代の聖書が1冊の本として印刷されている場合でも、中身はこれら66の独立した「書」の集合体なんですよ。
もしもっと詳しく知りたい部分があれば、気軽に聞いてくださいね!
 
問い
何故、旧約と新約に分断されたのですか?
 
答え
旧約聖書と新約聖書が分けられている理由は、歴史的・宗教的な背景と、キリスト教における神と人間の関係性の変化に基づいています。自然に説明してみますね。
旧約聖書の役割
「旧約」という言葉は「古い契約」という意味で、ユダヤ教の聖典が基になっています。これは、神がアブラハムやモーセといった人々を通じてイスラエルの民と結んだ「契約」を中心に展開する文書群です。例えば、モーセの律法(十戒など)や、神が民に土地や祝福を約束した内容が含まれています。この部分は、キリスト教が生まれる前から存在していたユダヤ教の伝統を引き継いだもので、主に紀元前1200年頃から紀元前2世紀頃にかけて書かれました。
新約聖書の登場
「新約」は「新しい契約」という意味で、イエス・キリストの到来によって神と人間の間に新しい関係が築かれたというキリスト教の信念に基づいています。キリスト教徒は、イエスが人類の罪を贖うために十字架にかかり、復活したことで、神との関係が「律法を守ること」から「信仰による救い」に変わったと考えました。この新しい契約を伝えるために、イエスの生涯や教え(福音書)、使徒たちの活動(使徒言行録や手紙)、終末預言(ヨハネの黙示録)などが新約聖書としてまとめられました。新約の文書は、おおよそ紀元1世紀から2世紀初頭に書かれたものです。
なぜ分断されたのか?
この「分断」は、実はキリスト教がユダヤ教から派生した歴史を反映しています。初期のキリスト教徒はユダヤ人で、彼らは旧約聖書を神の言葉として受け継いでいました。しかし、イエスを救い主(メシア)と認めることで、新しい教えが生まれ、それが新約聖書として追加されたのです。旧約は「イエスが来る前の準備段階」、新約は「イエスによる完成」と位置づけられ、2つのパートが1つの連続した物語としてつながっているとキリスト教では考えられています。
ただし、この分け方はキリスト教特有の視点で、ユダヤ教徒にとっては旧約聖書(ヘブライ語聖書)だけで完結した聖典です。キリスト教が「旧」と「新」を区別したのは、イエスの登場を神の計画の転換点と捉えたからなんですね。
もしさらに深掘りしたい点があれば、教えてください!
 
問い
これら二つの宗教と、イスラム教との関係は?
 
答え
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係は、歴史的・神学的なつながりから非常に深いものがあります。これら3つは「アブラハム宗教」と呼ばれ、共通の起源や信仰の要素を持っています。自然にそのつながりを紐解いてみますね。
1. 共通の起源:アブラハム
  • ユダヤ教:ユダヤ教は、アブラハムという人物が神と契約を結んだことから始まるとされます(紀元前2000年頃)。旧約聖書の「創世記」に登場するアブラハムは、ユダヤ人の祖先であり、神から「子孫を増やし、土地を与える」という約束を受けた人物です。
  • キリスト教:キリスト教も旧約聖書を受け継ぎ、アブラハムを信仰の父と見なします。イエスはユダヤ教の伝統の中で生まれ、メシア(救世主)として新しい契約をもたらしたとされます。
  • イスラム教:イスラム教もアブラハム(アラビア語でイブラーヒーム)を重要な預言者と位置づけます。クルアーン(イスラム教の聖典)では、彼が神に忠実であり、カーバ神殿を建てた人物として描かれています。イスラム教徒は、アブラハムの息子イシュマエル(イスマーイール)をアラブ人の祖先と考えます。
つまり、3つの宗教はアブラハムを信仰の起点として共有しているんです。
2. 聖典と預言者のつながり
  • ユダヤ教:聖典は「タナハ」(旧約聖書に相当)で、モーセやイザヤなどの預言者を通じて神の意志が伝えられたとされます。
  • キリスト教:旧約聖書に加え、新約聖書でイエスを神の子、メシアとして描きます。イエスはユダヤ教の預言の成就とされます。
  • イスラム教:聖典はクルアーンで、神(アッラー)が預言者ムハンマドに啓示を与えたとされます。イスラム教では、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスなど、多くのユダヤ教・キリスト教の人物を預言者として認めますが、ムハンマドが最後の預言者として完成形と位置づけられています。
3. 神学的な違いと分岐
  • 一神教の共有:3つとも「唯一神」を信じる一神教です。ただし、神の性質や人間との関係性についての解釈が異なります。
  • ユダヤ教とキリスト教の分岐:ユダヤ教はイエスをメシアとは認めず、救世主はまだ来ていないと信じます。一方、キリスト教はイエスを救世主として中心に据えます。
  • イスラム教の登場:イスラム教は7世紀にムハンマドによってアラビアで興りました。彼はユダヤ教やキリスト教の教えに触れつつ、それらが歪んだと考え、新しい啓示としてクルアーンを伝えました。イスラム教は、イエスを預言者の一人と認めますが、神の子とするキリスト教の三位一体説を否定します。
4. 歴史的な関係
  • ユダヤ教→キリスト教:キリスト教はユダヤ教から派生し、1世紀にローマ帝国で広がりましたが、ユダヤ教徒との対立も生じました。
  • キリスト教とイスラム教:イスラム教が興った7世紀以降、キリスト教世界とイスラム世界は共存しつつも、十字軍やオスマン帝国の時代などに衝突も経験しました。
  • ユダヤ教とイスラム教:イスラム初期にはユダヤ部族との交流がありましたが、対立も発生。現代では、パレスチナ問題などで緊張が続いています。
まとめ
ユダヤ教は「最初の土台」、キリスト教は「その上にイエスを加えた発展形」、イスラム教は「さらにムハンマドによる完成形」と、それぞれが神の啓示の連続性を主張します。でも、各々が独自の道を歩んだ結果、聖典や信仰の形が分かれていったんですね。歴史的には影響し合いながらも、時には対立してきた複雑な関係です。
もっと具体的な部分を知りたいことがあれば、教えてくださいね!
 
問い
イスラム教のみ教祖の偶像を示さないのは何故ですか?
 
答え
イスラム教が預言者ムハンマドの偶像(像や絵など)を作ったり示したりしない理由は、宗教的な信念と歴史的背景に深く根ざしています。自然にその理由を説明してみますね。
1. 偶像崇拝への強い忌避
イスラム教は、唯一神アッラーだけを崇拝する厳格な一神教です。クルアーンやハディース(ムハンマドの言行録)では、偶像崇拝(シルク)が最大の罪とされています。これは、ムハンマドが興った7世紀のアラビア半島で、多神教徒が石や木の像を神として崇拝していた状況への反発から来ています。ムハンマドはこうした習慣を打破し、神そのものに直接祈りを捧げる信仰を広めました。
ムハンマドの姿を絵や像で表すと、それが崇拝の対象になり、神への信仰が薄れる恐れがあると考えられたんです。イスラム教では、神は形を持たない超越的な存在であり、人間や物に似せて描くことはできないとされます。ムハンマドもあくまで「神の使者」にすぎないため、彼を神聖視しすぎないよう、視覚的な表現を避ける伝統が生まれました。
2. クルアーンと預言者の教え
実は、クルアーン自体には「ムハンマドの像を作るな」と直接書かれているわけではありません。ただし、偶像崇拝を禁じる教え(例えばクルアーン2章165節など)や、ハディースでの「像を作る者は神に挑戦する者だ」というムハンマドの発言が、後の解釈に影響を与えました。特に、イスラム法学者たちが「ムハンマドや預言者の像は作るべきでない」と定めたことで、この慣習が広まったんです。
3. 他の宗教との違い
  • ユダヤ教:ユダヤ教も偶像崇拝を禁じます(十戒の「偶像を作ってはならない」)。ただ、モーセなどの預言者を物語の中で描くことはあり、厳密に視覚表現を避けるわけではありません。
  • キリスト教:キリスト教では、イエスが神の子とされ、十字架や絵画で描かれることが一般的です。中世には聖人やマリアの像も作られ、信仰の象徴として使われました。
イスラム教がこれらと異なるのは、ムハンマドを「神格化」せず、あくまで人間としての預言者に留める意識が強い点です。彼の姿を描くことは、彼を神に近づける誤解を招くと考えられたんです。
4. 文化的・歴史的な発展
初期イスラムでは、ムハンマドの姿を描いた記録が一部にあったと言われます(ペルシャやオスマン帝国の細密画など)。しかし、スンニ派を中心に「偶像崇拝の防止」を重視する動きが強まり、ムハンマドの視覚的表現はタブー化しました。シーア派では多少緩やかな時期もありましたが、全体としては避ける傾向が主流に。特に現代では、ムハンマドの肖像を描くことは、宗教的冒涜とみなされることが多く、議論を呼ぶ問題になっています(例:2005年のデンマーク新聞の風刺画事件)。
まとめ
イスラム教がムハンマドの偶像を示さないのは、「神だけを崇拝する」という一神教の純粋さを守り、預言者が神聖視されすぎるのを防ぐためです。これは、偶像崇拝を否定したムハンマドの教えと、それを継いだイスラム共同体の歴史から生まれた独特の伝統なんですね。他の宗教が預言者や聖人を視覚的に表現するのに対し、イスラム教は文字や抽象的な装飾(アラベスク模様など)で信仰を表す道を選びました。
もし関連する疑問があれば、気軽に聞いてください!