私たちが初めて買ったパサデナの家
私と家内が結婚したのは1977年で、二人とも22歳でした。家内は大学の4年生、私は大学院にいました。当時のアメリカでは、大学を出るまでに結婚するのが当たり前でした。家内は、良い家庭に恵まれず、高校を出てから半年、中華料理屋で働いてお金を貯めてから入学しました。通常、米国の大学は8月か9月に始まりますが、家内は1月に編入しました。その後も、フルタイムで働きながら、夜学に通っていました。
4年後、私と結婚したときには、$5,000の貯金をしていました。(神に誓って言いますが、$5,000目当てに結婚したわけではありません。)式は日本で挙げたのですが、かなりのお祝いをもらいました。その後間もなく、母が退職し、退職金をもらったので、私の学費をまとめて送ってくれました。かなりの現金があったので、私たちは家を買うことにしました。
当時、私たちは、ロサンジェルス郊外のパサデナという町に住んでいました。この町は、米国のほかの町にもよく見られることですが、黒人街と白人街が、東西に分かれていました。町の中心部を南北に走るロスロブレス・アベニューとノース・レイク・アベニュー周辺が、その境目だったのですが、市がそこに、当時としては低金利の8.75%のローンを出していたのです。通常、近所に黒人が引っ越してくると、家の値段が下がるので、そうなる前に郊外に買い替えるということが多いのですが、このローンのおかげで、白人が黒人街に引っ越してくるという、珍しい現象が起きていました。
私たちも、このローンを使って家を買いました。$57,500で、3LDK+書斎の、140平米ほどの家で、大きな水槽を置いたら、床が少し傾いているのが分かるような物件でした。それでも、Truliaという不動産サイトで調べたところ、今の価値は80万ドル以上です。1911年築で、大正元年に建てられた物件ですが、アメリカではそんな古い家でも値段は上がりますし、Truliaに載っている写真も、庭や塗装の色以外は当時のままです。
ところが、買って1年後にセントルイスに引っ越すことになり、売らなければならなくなったのです。値段がどんどん上がっている時期でしたので、家は$69,000で売ることができました。たった1年で価値が20%上がったのです。購入したときの不動産業者に売ってもらったのですが、売るころには金利が20%近くまで上がっていましたので、業者に勧められて、自分でローンを出すことにしました。
家を売るときに自分がローンを出すなどということは、日本では聞いたことがないかもしれません。仮にあったとしても、それは売り手がローンを完済している、あるいは現金で購入していた場合に限られると思うでしょう。ところが、業者の話では、自分のローンはそのままにしておいて、それより大きな額のローンを買い手に12%の利子で貸し付け、二つのローンの支払いの差額が自分の収益になるというのです。金利がどんどん上がっている時期でしたので、そのようにして買い手のローンの負担を下げ、同時に自分も儲かるという売り手が多かったのでしょう。
というわけで、言われるがままに売ったのですが、セントルイスに引っ越して間もなく、銀行から手紙が来ました。私たちがもらったローンは、売るときに完済しなければならなくなっており、ローンをそのままにしておくことはできないというのです。私は早速不動産業者に連絡しました。ところが、彼らはどうやら夜逃げをしたようです。私たち以外にも、同じような方法でいくつかの家を売り、被害者に訴えられそうになったのかもしれません。当時は良く行われていたことなので、このローンにそう言う条項があることを知らなかったのでしょう。
というわけで、私たちは5万ドル近いローンをすぐに完済しなければならなくなりました。セントルイスの知り合いに、弁護士さんがいて、カリフォルニア州の弁護士を雇うように勧められましたが、そんなお金もありません。以前のブログにも書きましたが、当時の私たちは、ハムのないハムサンドイッチを食べなければならないほど、本当にお金がなかったのです。
https://ameblo.jp/junjiono/entry-10176533245.html
いろいろ考えましたが、金利20%でローンを借り換えることもできませんので、牧師から、日本の親に頼んで日本でローンを借りてもらったらどうかと言われ、それ以外に方法はないだろうということになりました。実家の家のローンはすでに完済されていましたので、家を抵当に入れて、ローンを借りてもらったのですが、そのとき、両親は、何も言わないで、すぐに借りてくれました。
私が節約家であり、浪費してお金が無くなったわけではないことはわかっていたと思いますが、亡くなった父には、実家を建て直すときにお金を貸してあげて、恩返しすることができました。でも、そのお金は、このパサデナの家を売ってできたお金が元手になっていました。生きているときに、もっと感謝するべきだったと、自分が当時の父よりも歳を取った今になって、つくづく思わされます。