トルコの食文化(その1) | スカンジナビアの爽風(かぜ)

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スカンジナビアに関するお話を中心に、「コレいいな!」と思ったものについて、不定期にゆる〜く取り上げます。

 

スカンジナビアエリアを含め、日本とヨーロッパを往来するために安い航空券を探そうとしたら必ず上位にヒットするのが、ターキッシュエアラインズを利用する行程。私も今回、初めてお世話になりました。

 

トルコは…アジア?中東?ヨーロッパ?どこに分類されるのか時折迷いますが、日本の公式見解は西アジア(中東),トルコ共和国の見解はヨーロッパなんだそうです。

現在では人口の99%がイスラム教徒だというトルコ。ですが、旧約聖書でノアの家族8人が乗った箱舟(方舟)が辿り着いたアララト山(現在ではビュークアールダー山と呼ばれる)があったり、新約聖書で使徒パウロが伝道旅行で訪ねた「小アジア(アジア州)」と呼ばれる地域の大半が現在のトルコ共和国の領土内にあったりと、ユダヤ教やキリスト教にも縁が深い地域でもあります。

 

トルコの食文化に興味を持ったのは、ターキッシュエアラインズの機内食メニュー表を見た時に「Turkish and International wines」とあったこと。「あれっ、イスラムの国だったらお酒作ったりしたらダメ🙅じゃないの?」と思って調べてみたら、これがなかなか面白かったので取り上げてみようと思った次第です。

 

東ローマ帝国の弱体化に伴って、カラハン朝やセルジューク朝といったイスラム教の考え方に基づく支配を行う王朝が台頭しますが、やがて滅亡。そして西暦1299年にオスマン朝(オスマン・トルコ)が建国されます。オスマン家自体はイスラム教徒でしたが、国民の思想信条には寛容。政治体制こそイスラムの思想に基づいて形成されていたものの、「ミレット」と呼ばれる宗教別の共同体が作られ、独自の文化が醸成されていきました。

1830年代から始まった「タンジマート」と呼ばれる政教分離(世俗化)政策,1922年のトルコ革命勃発によるオスマン朝の滅亡,この革命を率いたムスタファ・ケマル・アタテュルクによる改革を経て、ゆる〜いイスラム教徒の国・トルコが醸成されてゆきます。今でも国民から敬愛されるムスタファ・ケマル・アタテュルク氏は大の酒好き。しかも、「ラク(RAKI)」というトルコ伝統のアルコール度数が高い酒が大好き。こうした背景が、トルコの酒文化の発展を支えたと思います。ただ、現在の大統領であるレジェップ・タイップ・エルドアン氏は厳格なイスラム教徒で、当然酒はNG!ホントは禁止にしたいけど先代への遠慮もあってか、現在のところは規制強化に留めているようです。

 

さて、先述の「ラク」。ワインを蒸留したものにアニスという薬草で香り付けする、ブランデーやジンに似た製法で作られるお酒です。誕生と普及の経緯には諸説ありますが、面白いなぁと思ったのは、「コーランで禁忌とされている『酒』とはあくまでワインのことであり、それ以外は問題ない!」という考えを持つ人たちによって広まったという説。実際、一口にイスラム教徒といっても教派によって解釈に微妙な違いがあるようで、酩酊しない・ラマダンの時期は禁酒などの「条件付き」でお酒を嗜む人もいるんだそう。

 

その「ラク」を…お取り寄せしちゃいました‼️ 試飲は一人でやるよりも面白いかと思い、後日馴染みの居酒屋に持ち込もうと思います。