もう既報のニュースなのでみなさんご存じかと思いますが、プロ格闘技K-1やHERO'S、DREAMなどで活躍したプロ総合格闘家の山本"KID"徳郁選手が亡くなりましたね。

 

K-1を見て育ってきたK-1チルドレンで、黄金のミドル級WORLD MAXももちろん見ていた自分にとっても本当に哀しいニュースでした。

 

 

硬派な格闘技ファンのみならず、その個性的なキャラクターや人柄で格闘技を知らない一般層の人たちにまで影響を与えていたKID選手。

 

 

自分も、消化器系のがんで苦しんでおり、よりよい治療ができるハワイの病院に移り、家族もみなハワイに移り住んだ、ということは伝え聞いていました。

 

人気格闘技イベントRIZINの榊原プロデューサーが、後日会見かなにかで言っていたとおりのことです。

 

 

実は、今住んでいる家の近くに、KID選手の所属ジムであるYSA(ヤマモト・スポーツ・アカデミー。現K-1ジムKRAZY BEE)があり、最寄駅や近くのお店で何回か見かけたことがありました。

 

 

見た目やファッションは少し控えめではありましたが、発せられるオーラというか、雰囲気は、やはり格闘家のそれだなと感じました。

 

 

K-1や空手の人はたびたびしつこくやってきていますが、今回、はじめて総合の選手のベストバウトを挙げてみたいと思います。

 

プロ総合格闘家ベストバウト第1号 神の子 山本“KID”徳郁編。

 

 

対 村浜武洋戦(K-1 WORLD MAX2004日本代表決定T 準々決勝)

 

実質、KIDのメジャー格闘技デヴュー戦となったこの村浜武洋戦。

インディープロレス団体 大阪プロレス所属でありながらシュートボクシングをベースにK-1、総合ルール、もちろんプロレスまで幅広くこなす軽量級屈指のマルチファイター村浜選手。

97年にひっそりと行われたらしいK-1フェザー級GPの王者でもあり、K-1 WORLD MAXではあの魔裟斗とも二度の対戦経験がある、ベテランンのテクニシャンでもあります。

正直、このカードが組まれた当初、KIDは明らかに客寄せ、もしくはかませ犬扱いだと思いました。

筆者も、せいぜい頑張って判定負けくらいだろうな、くらいに思ってました。

 

ところが。

 

フタを開けてみれば、終始試合を支配していたのはKID。

独特のリズムから素早く踏み込んでパンチを連打。

ある程度正統派の型を持っている村浜選手に対し、そのリズムもペースもぶっ壊すようなケンカ殺法のファイトを展開。

しまいにはダウンも先取。

2Rにはカウンターぎみに合わせた右アッパーでさらにダウンを追加。

とどめは怒涛のパンチ連打で、ベテラン村浜選手をKOする大波乱。

ボクシング世界王者で、トリッキーなスタイルのナジーム・ハメドを彷彿させるようなノーガードも見せ、この試合で鮮烈デヴューを飾ったKID。

その代償か、右こぶしの指を骨折しトーナメントのそれ以降の試合は棄権しましたが、この当時のKIDいわく、『あのままいっていれば、俺は決勝でコヒに勝っていた』といわしめるほど。

末恐ろしい選手が出てきたなぁと思いました。

 

 

対 魔裟斗 戦(K-1 Dynamite!!2004 大晦日)

今や伝説の一戦。

当時の中量級K-1対総合のカリスマ頂上対決。

別の記事参照https://ameblo.jp/junis-brave22/entry-11401555183.html?frm=theme

 

この年のK-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦で総合ルールの試合に勝利した直後、マイクアピールで魔裟斗に直接対戦要求をしたKID。

試合決定会見でも舌戦を繰り広げていた両者。

ルールはK-1ルールでしたが、背の低いインファイターが苦手な魔裟斗にとって、KIDはまさに苦手な選手にしてかなり未知の相手。

ダウンを取れば盛り上がるかなと思ってましたが、1R、得意の右フックを意識させ、得意の独特の踏みこみからの、下からかちあげるような左ストレートで魔裟斗からダウンを先取。

得意の左フックのカウンターで合わせられた魔裟斗。

 

あまりにもKIDの動きがスピーディでリズムも踏み込みも独特なため、魔裟斗は目で追って攻撃を当てるしか無かったのではないかと思います。

でも、こういう焦るときに繰り出す蹴りは、えてしてローブローに入ってしまうもの。

自分も経験あるのでよくわかります。

魔裟斗の右ローキックが下腹部に入り、そのまましばらくダメージが回復できなかったKID。

名勝負にありがちな不透明決着になるかと思いきや、けいれんして震える手足を押して試合続行を選んだKID。

 

その後は右の蹴りやヒザ蹴りなどで有効打をうまくねらっていく魔裟斗に徐々にペースをつかまれ、右ハイキックでスタンディングダウンも取られ、結局判定負け。

 

しかし、当時のK-1中量級の絶対的エースからダウンを先取するほどの爆発力とポテンシャルの高さ。

大晦日視聴率戦争でも、瞬間最高視聴率を記録したのはこの試合だったそうです。

タイミングと流れ次第だと思いますが、この次の年の大晦日でも再戦が実現していたらもっとすごいことになったんじゃないかと、そう勘ぐってしまいました。

 

 

対 イアン・シャファー戦(HERO'S ミドル級T開幕戦)

 

当時のK-1イベントプロデューサー 谷川貞治さんを社長として作られたFEG。

そのFEG運営のもと、総合格闘技のイベントとして作られたHERO'S。

あの格闘王前田日明をスーパーバイザーに迎え、所英男などの有名ファイターを輩出するイベントになります。

 

そのミドル級トーナメント大会のスーパーファイトとして実現したのがこの試合。

当初、この試合もトーナメントの1回戦という位置づけの試合でしたが、試合直前にして主催者側がスーパーファイトに変更。

 

興行での集客やテレビでの視聴率ということを踏まえても、やはりKIDがこの後の大会もつづけて出場する、ということが不可欠だったのかな、と勘繰ってしまいました。

 

とはいえ、イアン・シャファーも噛ませ犬などではなく、実力者。

極真空手のオーストラリア中量級王者で、KIDと同じくプロ修斗でデヴュー経験がある選手。

マシンガンと称されるパンチの連打と後ろ回し蹴りが持ち味で、KIDとは似たタイプ。

トーナメント戦がいきなりスーパーファイトになってしまい、内心、KIDにも怒りにも似た感情を持っていたとおぼしきシャファー。

 

空手出身らしく、体幹をブレさせないよう軸をしっかりしてまっすぐ立ち、脇をしめてかまえ、組み打ちにも対応できる体勢のシャファー。

レスリング出身で組み打ちに慣れたKIDには、あまりイージーな相手ではなかったのではないかと思います。

 

2度のローブローで怒りをあらわにしたKIDでしたが、スタンディングバウトではシャファーに対し、内またへの左ローキック。

そこからはテイクダウンを踏ん張るシャファーをレスリングのリフトアップのように持ち上げてテイクダウンを奪い、その後は最終Rに入って、スイング式の右アッパーがシャファーの側頭部をかすめます。

それが効いたのか自分から体勢をくずしてリングに横になってしまうシャファー。

そこからパンチ連打とダメ押しのストンピング。レフェリーが試合をストップ。

 

自分の土俵とは全くちがうストライカータイプの選手にこういう勝ち方ができる。

 

あえて自分に挑戦し、それに勝つ。それができるのはまさにHEROなんじゃないか。by 解説 船木誠勝

自分もそう思います。笑

 

 

対 ホイラー・グレイシー戦(HERO'Sミドル級T セミファイナル)

 

晴れてトーナメント参戦のKID。

相手は、本家エリオ派 グレイシー柔術ナンバー1のテクニシャン ホイラー。

この前年のHERO'Sの前身ともいえる大会 ロマネックスで須藤元気にパウンドでKO負けを喫しましたが、それでもベテランの実力者であることは間違いないと思います。

 

トーナメント初戦にして、未知のブラジリアン柔術系、それもグレイシーの選手を迎えたKID。

フロントチョークの体勢から柔術らしい引き込みを狙うホイラーに対し、そうはさせじと踏ん張るKID。

グレイシー特有のヒザ関節あたりをねらうストップキックをたびたびねらうホイラー。

 

至近距離でそのストップキックのモーションのヒザをかわし、右のパンチ一閃。

両足が伸び、マットに仰向けに倒れるホイラー。

 

グレイシーNo.1のテクニシャンをパンチで一撃失神KO。

おそらく、日本人の軽量級格闘家としては初めてだと思います。

 

 

 

これ以降もそれなりの強い選手と対戦していましたが、ケガやファイトスタイルの無茶な変容などもあり、戦績も内容もあまりパッとしなかったなというのが自分の正直なところ。

 

ただ、持っている資質、身体能力、才能、ポテンシャル・・・・・・いずれも他の日本人格闘家とは比べ物にならないくらいのものを持っていたことは事実。

 

 

まだ10代の頃にお母さんを白血病で亡くしているKIDさん。

 

 

神の子は、天へともどり、今ごろお母さんにお会いできているのかもしれませんね。

 

 

次回のRIZIN、KIDさんのお姉さんの美優さんが出ますが、頑張ってほしいです。

 

 

神の子よ 今は人の子として 安らかに