魔裟斗EP、マイク・キムCEO体制のもと、新たに今年から『RISING』を冠して再スタートを切ったK-1。

先ごろギリシャのアテネで行われたWORLD MAX 決勝戦では、オランダの新鋭ムルテル・グローエンハート(マーセル・グロンハート)が、ベテランのマイク・ザンビディスやアルトゥール・キシェンコを破って優勝。

アンディ・リスティやリース・マカリスターなど、新たな魅力を持つ選手たちが輝きを放ち始めてきた、そんな新鮮さを感じた今回の大会。

現役時代にはMAXの象徴・顔役として、世界のあまたある強豪やチャンピオンクラスと拳を合わせ、EPとしてプロモーションやマッチメイク、レヴューにも意欲的に取り組む魔裟斗氏の尽力も、やはり大きいのではないかと思います。

アンディ・フグのことはこのブログではしつこく語ってきましたけど、魔裟斗についてはあまり触れてこなかったので、結婚し、今ではよき旦那さん、お父さんとしても印象深い彼への敬意と感謝と功労の意も込めて、太公的魔裟斗現役時代のベストバウトについて語りたいと思います。


対ブアカーオ.ポー・プラムック('07 MAX世界大会)

クラウス、サワー、ザンビディス、ドラゴ、日本人では小比類巻、武田幸三、宍戸宏樹、佐藤嘉洋など、外国人や日本人、さらにはK-1やシュートボクシングといったルールさえも問わずに、まさに八面六臂、天下無敵の強さを発揮するMAX絶対王者となっていた、このころのブアカーオ。
『一番高い山を登るには、まず最初に一番きついところをクリアしないといけない』と、決勝トーナメント初戦からこの絶対王者を指名して実現したこの対戦。

ムエタイ特有のクリンチ、その際の接近戦を見越した右アッパーと左フックのコンビネーションを軸に有効打を当てていき、左アッパーからの右ストレートをあごの元から首筋にかけてヒットさせてダウンも奪取。
その後もブアカーオにペースを握らせずにガンガン攻めたて、判定勝ち。

この時に効かされたローキックで左足の外股にダメージを受け、トーナメントの優勝はアンディ・サワーに譲ったが、それだけの代償を払うくらいの価値ある殊勲の勝利だったと思う。


対山本“KID”徳郁('04 大晦日Dynamite!!)

この年、まさに旋風のごとくK-1にやってきて、鮮烈なデヴューを飾ったKID。
レスリングのサラブレッドで、エンセン井上の弟子として修斗で活躍していた打撃の強い強打者、っていうイメージしかなかった俺自身も、強烈なインパクトを受けました。
カード決定直後から会見などでも激しい舌戦を繰り広げていた両者。

レスリングの右構え(左足が後ろ、右足が前)をそのままスタンスとして活かし、立ち技でいうコンバーテッド・サウスポー(利き腕が右だけど、左構え)スタイルで、体格差を活かしてスピードと出入りの速さで魔裟斗に対抗。初弾で左ストレートを意識させたかと思うと、いきなり飛び込みざまの右フックで魔裟斗からダウンを先取。
背の低いインファイターが苦手で、しかもリズムの違う総合の選手を相手にした魔裟斗。KIDはまさに、相性も悪く、得意ではないタイプの選手だったと思います。
もともとの持ち味だった右ミドルと右ハイを主軸に対抗し、パンチの連打と時おりテンカオも織り交ぜて得意のコンビネーションでKIDを攻めたて、右ハイをヒットさせてスタンディングダウンも奪取。
僅差の2-0の判定勝ちで、総合からの超新星を返り討ち。
K-1の王者や顔役としての責任感もあったと思いますが、なによりも、他団体のキックなども含めた立ち技の代表として、総合の新たなカリスマを迎え撃つ、そんな悲壮な使命感をこの試合の魔裟斗からは感じました。



対マイク・ザンビディス('03 MAX世界大会)
世界トーナメントの準々決勝で実現した、この対戦。
ザンビディスは、この大会の前の日本大会だか開幕戦だかで、前年度王者になったばかりのクラウスを一撃KOしてインパクトを残した、一発を持つハードパンチャー。
背の低いインファイターを苦手とする魔裟斗にとって、まさにいきなり『鬼門の1回戦』。
K-1参戦前のキック時代から得意にしていたヒザ蹴りや首相撲を駆使してザンビディスに対抗し、左のテンカオ(首相撲しないで打つ、ヒザ蹴り)を効かせて、ザンビディスからダウンを奪取。
その後もザンビディスの左ボディなどを受けながらも、ヒザ蹴りを中心にした試合運びでスプリットの判定勝ち。
一番キツかったであろう1回戦を、薄氷を踏む形ではあれ勝利。
ファイターを越えた、魔裟斗の人としての強さを見た気がしました。



対サゲッダーオ・ギャットプートン('03 MAX世界大会)
同じ大会の準決勝。
サゲッダーオは、本場タイのラジャダムナンスタジアムのムエタイ王者にもなり、あの武田幸三も倒したことのある強豪選手。
この年の開幕戦からK-1に参戦してきた武田を倒したというのは、まさに大きなインパクトを持った、話題性のある選手でした。
日本トーナメントで武田を下し、苦手とするインファイターのザンビディスも乗り越えた魔裟斗。
パンチと蹴りを連発し、コンビネーションを駆使した連打でサゲッダーオからダウンを先取すると、間髪入れずに、サゲッダーオのかがんだ瞬間をねらいすましたかのように右アッパーの強打。
一撃でムエタイ王者をノシた右アッパーは、まさにストⅡの昇龍拳のようなインパクトでした。



対アルバート・クラウス('03 MAX世界大会)
前述した2戦をこなしてからの決勝戦。
相手は前年度敗れ、その次のワンマッチでもドローとなり、苦杯をなめさせられたクラウス。
ムエタイのトップどころともいえるガオランすらも倒し、当時、まだその強さに未知数の部分があったクラウス。主導権を握った試合運びで2戦を突破したとはいえ、魔裟斗にとって、最後の最後で難敵だったことは間違いないはず。
パンチと蹴りをまさにフルに生かす戦いぶりでクラウスに食らいつきまくる魔裟斗。
パンチ主体のクラウスに対し右のローキックを効かせ、このままいけばもう1ラウンドしのいで判定でも勝てるかと思ったその瞬間、ワンツーぎみのモーションからの左フックがクラウスにヒット。
決めた左の拳を自慢げに上げながら、カウントを数える動きの魔裟斗。
フラフラになりながら立ち上がるクラウスに、レフェリーがカウントアウトを宣告。
一度負けた相手に、トーナメントの決勝戦で、一撃KOでリベンジ。しかも地元埼玉での大会。
K-1の醍醐味を見せつけるとともに、劇的な幕を自ら引いた魔裟斗。
Yahooのトップにも出ていた、日本人初のK-1世界王者の誕生は、まさにドラマチックなものでした。



ベスト5を挙げろと言われたら、やはりこの5試合が、俺の中でのベストオブベスト。

特に2003年の世界大会は、今でも印象に残ってます。

この年の魔裟斗と、これ以降の魔裟斗で違いがあるとすれば、やはり殺気。
2003年の彼は、1回戦の入場時から決勝戦の最後のフィニッシュまで、本当に殺気と緊張感に満ちて、闘志がみなぎっていたと思います。
プロモーションやマネージメント側が過剰に守ってあげなくても、彼からはそれくらいの強さを感じました。

その殺気が、後年になって薄れていったように思えたこと。それが俺の中で、ひとつ、残念だったことですかね。



文字通り、道なき道を開いた、先駆者となった魔裟斗。



エグゼクティブ・プロデューサーとして、K-1という森を統べる、ボス級のオオカミになってほしいと思います。