西日本豪雨災害の被害状況が心配です。

 

九州の佐賀とか、あと兵庫の神戸には親戚や学生時代の知人もいるので。

直接被災していないとしても、やはり他人事だとは思えません。

 

これ以上被害が広がらないことを祈るばかりです。

 

 

さて、7月11日です。

 

『11日』という日にちには、あまりいい出来事が起きないとされているようです。

『11日』が誕生日だとか記念日だとされている方には、大変不謹慎でぶしつけで恐縮ですが・・・。

 

9.11。アメリカ同時多発テロ。

3.11。東日本大震災。

 

 

そして7月11日。

 

このブログではK-1や空手などの話はよくしてきていますが、今日はプロレスの話です。

プロレスラー橋本真也選手の命日です。

 

 

自分が学生時代に流行っていたPRIDEやK-1といったメジャー格闘技。

それが隆盛だったころ、格闘技とは対をなすファイト・エンターテインメントとしてその確固たる地位を築いていたプロレス。

 

 

その日本のメジャー団体 アントニオ猪木が作った新日本プロレスのエースとして、ミスターIWGP ミスター新日本プロレスとも呼ばれていた橋本真也選手。

 

 

柔道世界選手権連覇にしてオリンピック銀メダリストという肩書と実績と、その類まれな体格、素質、身体能力で新日本プロレスに襲来してきた小川直也選手との抗争は、一躍ブーム、社会現象にもなりました。

 

 

その後は自分の理想を追い求め、新日本を離れてゼロワンを設立、のちにかつての怨敵でもあった高田延彦、長州力らとハッスルで交わるなど、まさにわが世の春を謳歌していました。

 

 

佐藤塾空手がバックボーンで、水面蹴りやニールキックといったパワフルな蹴り技にその特徴が垣間見れました。

 

旧ソ連のアマレスの使い手 ビクトー・ザンギエフとの試合では、正対してノーモーションで放った左ハイキックがザンギエフのあごを直撃。

一瞬ぐらつかせ、その後の局面奪回にも役立ちました。

 

UインターのエースにしてIWGPヘビー級王者でもあった高田延彦との試合では、やられまいと踏ん張っている高田に対し、半ば強引に得意の垂直落下式DDTをお見舞い。

 

格闘技系プロレスU系の選手に対して、本物の格闘技経験者のショーマンプロレスとしての技と試合を見せつけました。

 

 

私生活では、料理上手の料理好きで、豆腐やラーメンすらも、材料から道具から揃えて、道場の台所で作ってしまうほどのこだわりぶり。

 

『釣り』や『狩り』が好きで、エアガンやガスガンでスズメやカラスを撃ったり、台風の日に多摩川かどこかに出かけて、投網で鮎を採りに行ったり。テレビの通販でよく出てくる高枝切りばさみを改造して、ヘビをつかむ道具に換えたり。

 

とにかく豪快、豪胆なエピソードが豊富だった橋本選手。

 

アントニオ猪木、極真空手、沢田研二、ウルトラマン、トラック野郎、松方弘樹が大好きだった、らしいです。爆爆爆

 

 

僕が好きだったウルトラマンガイアにもゲスト出演し、その後もガイアのアクションシーンではニールキックなどが取り入れられていたとか何とか。

 

 

僕が橋本選手を知ったのも、このガイアがきっかけでした。

 

 

 

 

前置きがかなり長くなりました。笑

 

僕が橋本選手の訃報を知ったのは、2005年7月ごろ。大学生の時でした。

その当時、上京2年目くらいの田舎モンのボンボンで電車の乗り方もわからず、電車とバスを乗り継いで大学に通っていた頃だったのですが、僕が下りていた駅が、東急線の等々力駅。

 

等々力といえば、新日本プロレスの事務所ならびに道場の最寄駅。

その日はたまたま、バスから、信号待ちをしていた当時新日本プロレスの飯塚高史選手が見えたことを覚えています。

 

その日も、講義と前期の定期試験が終わっての帰り道でした。

まだガラケーだったころの自分の携帯電話に格闘技サイトの趣味仲間の人から突然の一斉メールが届きました。

 

プロレスラー 橋本真也死去。

 

目を疑うとは、まさにこの時のことなんだろうなと。

この時も、冗談好きな先輩だったので、何かのドッキリか何かかなと思ってました。

 

その後、携帯の充電が切れてしまい、まっすぐ帰路に向かい、一目散に下宿に戻ってテレビをつけたら・・・・・・。

 

 

この時は、正直プロレスからも僕は少し距離を取っていたのでピンとこなかったのですが、突然の訃報に、まさに予想もしなかった喪失感が襲ってきました。

 

 

アンディ・フグが亡くなった時と似た感覚。

そうか、橋本も僕にとってはヒーローのひとりだったのか。

そう実感しました。

 

 

今、この歳になって、橋本真也を取り巻く周りの存在や、当時からのゼロワンの在り方、ハッスルに関してなど、僕も自分なりにいろいろと文献を読んだりしてきました。

 

よきもあしきも、思うことや考えることはいろいろありますが、ひとつ言えるのは、プロレスラー橋本真也はやはりヒーローたる人だったということですね。

 

いいやつがわるいやつをやっつける。

 

 

そういうわかりやすい勧善懲悪をプロレスの舞台で見せつけてくれていた人だったんだと思います。

 

 

幻想がリアルだった。

 

これはアントニオ猪木さんを形容する時に使われたりする表現なのですが、この言い回しは、まさに橋本選手にもピッタリそぐうと思います。

 

 

漫画や特撮や、アニメの世界でしかありえないようなことを、実際に現実にやっていたりしましたからね。笑

 

 

もし健在であれば、53歳。

 

ゼロワンの借金も全額返していたかもしれないし、ひょっとしたら長州や高田や、もちろん小川とかとまたなにかやっていたかもしれないし。。。

 

 

どんなリアルな幻想をまた見せてくれていたのかなと考えると、やはりなんだか胸が躍ります。

 

 

幻想をリアルにする、常識破壊王橋本真也。

 

破壊があっての創造、そしてその先にあるものは・・・。