こんにちは!
すまいる歯科の山村です♪
人間が「理解をする」という状態には2つあります。
それは、
「頭で理解すること」と、「心で感じる(理解する)こと」
の2つです。
しかし、この2つある「理解」には、とても大きな違いがあります。
やはり、「頭で理解する」よりも「心で理解する」ことの方が、自分の血となり肉となるわけです。
より理解度(実践力)は高くなるわけです。
それを、まさに心の底から感じた出来事がありました。
昨日、今日と、奥さんと地下鉄に乗りました。
僕の奥さんは今、妊娠7か月なのですが、さすがに最近おなかが大きくなってきまして、腰痛を訴えていたものですから、地下鉄はできれば、座らせてあげたいと思っていました。
地下鉄に乗り込むと、ぼちぼち混んでいましたが、ありがたいことに6席ある優先席のうち、ひとつ空いていまして、座ることができました。
しかし、残りの5席は明らかに、健康そうな人が座っていました(見えない怪我をしている可能性もありますから、状況的にということでお願いします。)
確かに、僕の奥さんは座れました。
でも、ひょっとして、電車の中で立っている人の中に、怪我をされている方や、妊娠されている方がいらっしゃるかもしれません。
さすがに、
「席を譲ってください」
という勇気は日本人にはないと思いますので、
中には、「座りたいなぁ」とおもって立っている方もいらっしゃるかもしれません。
僕は今まで、優先席に積極的に座ったことはありませんでしたが、今回の件で分かったことは
「周りに人もいないし、席が空いているから座っていい」のではなくて、
「席が空いていても、あえて空けておく」
という心が必要だと強く感じたのです。
そりゃそうです。
妊婦さんやお年寄りが、わざわざこれみよがしに、優先席の前に立っているということは考えづらい。
だとしたら、そういった方が遠くからでも、席が空いているのを確認できるぐらいに、空けておく。
そういうことが、人をいたわる心ではないのかと。
そういう精神こそが、「日本人の心」なのではないかと。
僕は今日まで、そういった感情になることはなかったかもしれない。
僕が優先席に座らなければそれでいいと思っていた。
でも、妊婦さんが、いつも気軽に座れる世の中であってほしいし、
お年寄りが、なんの気兼ねなく座れる世の中であってほしい。
僕はもう2度と優先席に座ることはないと誓うし、これを伝え続けていきたい。
ただ、僕が普通に伝えても「頭で理解してもらう」ことになるのだろう。
だとしたら、どうしたら、聞いている人に「心で理解してもらえるのか?」
そのためにも僕自身をもっともっと鍛え上げなければならない。
世の中みんなが、みんなにやさしくできる世界であってほしいし、僕も力を尽くしたい。

