みなさんこんばんは!
今日は、歯科医師会の委員会が意外に早く終わったので、前から、書きたいなぁって思っていたテーマを書いてみちゃうことにします。
悩んでるわけでも、なんでもないので(笑)
時間ができたので、書いちゃいます。
久しぶりに、重たいテーマですよぉ~(そんなにでもないか・・・)
さてさて、僕が野球を始めたのは、小学校3年生の頃。
父親といつもキャッチボールをするのが日課で、そんな僕が「父さん、野球がやりたい!」なんて言ったものだから、親父も張り切っちゃって、
選んだチームが・・・
愛知県で一番強いリトルリーグ(硬式ですよ、硬いやつです。ボールが)
まさに、プロ野球選手養成所みたいなとこでした(泣)
来る日も来る日も練習で、好きを通り越して、途中から辛かったです(笑)
そんな努力もあってか、小学校も、中学もさすがに選手としては主力でやらせていただいていました(あれだけ練習すれば誰でもそうなります)
でも、17歳の時に、肘がパンクしました。
「肘の軟骨の剥離」でした。
プロスポーツ選手がくるような、超有名なスポーツ医科学研究所で診てもらって、
「残念だけど、本気の野球はもう無理だよ」
って、言われた時は、さすがにショックでした。(子供ながらに・・・)
しかし、軽めなら野球は続けれると説明されて、なんだかよくわからないうちに、僕の本気の野球は終わりました。
診察を受ける前は、投げるたびに、肘に激痛が走るんです。
例えるなら、肘の内部に、「ちっちゃいおじさん」がいっぱいいて、僕がボールを投げるたびに針でチクチク、チクチクさすんです。(笑)
全力で投げると、痛みで握力がなくなって、ボールを握るのも辛いぐらいに・・・
痛いのよ!
あれから、20年くらいはなんとなく過ぎましたけど、さすがに無理をしてこなかったので、今では、ほとんど痛くないです。
普通に投げると、結構いい球投げれます(笑)
でも、不思議なんですけど、試合中なんかに、全力でボールを投げると、5メートルくらい先に、ボールがバウンドしちゃうんです。
普通に投げると、何十メートルも投げれます。
まったく痛くなく。
でも、本気で投げると、
まったく投げれないんです。
スポーツ業界ではこのことを、「イップス」といいます。
過去の辛い痛みや、故障をした経験から、頭よりも、体が先にセーブしてしまう現象です。
きっと、体が痛みを覚えているんでしょうね。
残念ながら、僕もそう。
今ではからだもほとんど治っているのに、意識ではビュンって投げてるのに、体がストップをかけちゃう。
自分がそういう状態だから、なんだかわかるような気がするんですけど、スポーツだけじゃなくて、日常の生活の中でもそういうところってあるかもしれない。
「自分ではこうしたい!」
「このように行動したい!」
「このように発言したい!」
でも、ひょっとして、過去の辛い経験。
他人には、たいしたことがないと思われがちなんだけど、自分にとっては、思い出したくもない、消し去りたい辛い経験。
そんな経験がある人は、何年経ったって、それと似たような状況になった時に、頭では「こうしないと!」と思っていても、体が守ってしまうのかもしれない。
「真昼の月」
月は、夜にしか、僕たちには見えません。
夜には煌々と夜空を照らしてくれます。
でも、昼間は太陽が出ているので、僕たちには見えません。
でも、それは見えていない(意識していない)だけで、そこに「月」はあるんです。
見えていないだけで・・・
だから、早朝。
澄んだ青空に、輝きのない月がたまに見えることがあります。
そんな時には、「あっ、月はここにいたんだな」って不意に思ってしまう。
僕は、今現在、全力でボールが投げれないことは自分でもわかっているし、その原因についてもわかっている。
でも、ひょっとして、僕が人に何かを伝えるときに、
例えとして、「なぜ、君は全力で投げないんだ!」
って、言っているような場面があるとしたら、それはとても怖いことだと思う。
意識では、「変わりたい」と思っていても、心がその動きをセーブしてしまう。
あの時と同じ思いをさせないようにと、勝手に心が守っちゃうのかもしれない・・・
これはかなりやっかいだ。
果たして、人は、すべてを克服できるのだろうか?
そんな疑問もふと、頭をよぎったりする。
みえていないだけで、実は、本当は、そこにあるもの・・・
消し去ったようで、でも、実は、消えていないもの・・・
そう。真昼の月のように・・・
答えなんて、わからないし、あるのかどうかも定かではない。
でも、うまいこと共存することはできるのではないだろうか。
そう信じてる。
だって、人間は変われるもん。
(注釈)以前、織田裕二さん主演のドラマで、このような題材のドラマがありましたが、今回のブログはあくまで僕の拡大解釈ですので、ご了承ください)