みなさんこんばんは!
岡崎市・豊田市の歯医者 すまいる歯科の山村でございます。
いよいよ10月も終盤ですね!
お天気同様に、すかっといきたいものですね!
そんなこんなでレッツゴー!
最近、テレビで中島みゆきさんの名曲「糸」をとりあげていました。
言わずと知れた本当の名曲ですよね。この曲は。
♪縦の糸はあなた
横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない
いつ聴いても、いい曲であり、いい歌詞です。
「現在の唄の歌詞は、昔の唄に比べて・・・」
なんて、言い出すと、きりがないですが(おやじくさいですもんね)
でも、やっぱり歌詞がすごすぎます。
なんというか、
情緒があるんですよね。
日本人の心を揺さぶるというのでしょうか。
だって、先ほど書いた歌詞は、
「あなたと私が出会って、将来二人の間にできた子供を愛するのですね」
ということですよね。きっと。
それを、糸に例えて、それが交わって、布(愛)になって、その布(愛)が子供の体を暖めるという、こんな情緒あふれる言葉になって、しかもそれがメロディーにのるんですもの。
芸術としか言いようがないです。
あくまでも僕の解釈だったのですが、おそらく、この曲を聴いた人の数だけ解釈がある(解釈は同じでも、頭の中に描く風景はそれぞれでしょう)
そんな唄って、なかなかないですよね。
だから、時代が過ぎても語り継がれる名曲なんでしょうね。
僕は実は中学・高校生時代は、「フォークおたく」でして(笑)、周りの仲間がバンドブームに熱中していたころ、「さだまさし」さんや「井上陽水」さんにはまっていました。
このお二人もやっぱり、歌詞に情緒があるんですよね。
陽水さんの「白い一日」の出だしなんてすごいですよ(笑)
♪真っ白な陶磁器を
眺めてはあきもせず
かといって、ふれもせず
そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎていく
ですよ!
もちろん陶磁器は女性のことで、おそらく肌の白い奇麗な女性なんでしょう。
この芸術表現の素晴らしさはどう伝えればいいのか!(驚)
もちろん当時は、意味なんかわかってなかったわけですから、コード進行が(ギターのね)簡単だったので、弾き語りをしていただけなんですが、大人になってから、そのすごさにあらためて気づいて、感動しております。
そう考えると、今のはやりの唄というのは、表現がストレートすぎるのかなぁって、素人の分際で思うわけなんです。
言葉というのは難しいもので、人に伝えるためには、もちろん簡潔で明瞭の方がいいわけです。
でも、あえて、例にあげさせていただいたお二人のように、情緒的な表現を用いることで、その言葉を聴いている人に解釈を委ねるようなそんな素晴らしい「言葉の伝え方」になるんですね。
スケールの大きさを感じます。
僕も最近、自分の思いを人にお話しさせていただく機会もあるのですが、なんか考えさせられちゃいます。
その瞬間だけみれば、簡潔で明瞭な方がいいんです。
瞬間だけみるなら。
でも、その聞いている人のそれからの長い人生を考えたときに、果たしてそのような伝え方だけでいいのかどうか?
多少時間がかかっても、すべての人が自分に置き換えて考えられるそんな伝え方の方がいいのではないのか?
その瞬間では伝えられないかもしれないけど、何年か経って、「あっ!このことなのか!」という風に感じてもらえる言葉の伝え方もあるのかもしれない。
のたうちまわっております(笑)
一生かけて答えを出していきたいと思います。
♪縦の糸はあなた
横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は仕合わせと呼びます
感動です。
追伸)「言葉を伝えることの大切さ」を伝えたかったので、「中島みゆき」さん「井上陽水」さんの曲を例に出させていただきましたが、さまざまなファンの方で、さまざまな解釈があると思います。不快な表現がございましたら、どうぞお許しください。