『それでも来た道』 柴田 淳
充ち足りた しあわせなら この世界にはきっと無いもの
それでもいつかたどり着くと すがる何か信じていた
「もうがんばらなくていいのよ」って言ってくれないか
振り返るなと、立ち止まるなと歩き続けて
この道の果ては いまだになにひとつ 見えやしない
あの人の見た夢を見れば
あの人のかざす日を仰げば
自分もあの人になれるとひとつひとつ真似していた
「もう泣いたってかまわないのよ」って抱いてくれないか
『見えないもの』を『見える』と言える 強さがあった
何故か 涙があふれても 『それでも来た道』
振り返るなと、立ち止まるなと歩き続けても
この世に果てなど無いと 本当はとっくに気づいてたさ
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シンガーソングライターの「柴田淳」さんとの出会いは、今から3年位前、
「ため息」という曲でした。
透明感のある歌声(聞いていると心が癒されるような)でありながら、その歌詞は、多くはネガティブなものが多い。
最初はそのギャップが、奇妙に感じていた。
でも、聞けば聞くほど、逆に透明感のある声だからこそ、ネガティブな内容の歌詞が僕の心にすっと入ってくるのです。
この世の中というのは、こういった相反するものが共存している方が、逆にその真実を明確にしてくれることも多い。
例えば、薔薇の花がそうだ。
染めぬいたような見事な赤が、見る人の心を釘付けにする。
さらに、その香りがその見事な赤をひきたたせる。
しかし、薔薇にはとげがある。
うかつに触れれば、傷つくこともある。
薔薇の美しさは、無条件ではないのである。
そのあやうさを持ちながら、でもその美しさに触れてみたい。
心を決めて、触れた薔薇の花から得られる感動は言葉で言いあらわせるものではない。
僕にとっての「柴田淳」もそのような存在である。
美しい声を無条件で手に入れようとすれば、そこにはネガティブな歌が待っていて、うかつに手をだせば、内容を理解しきれず、悩んでしまう。
しかし、その相反するものを受け入れて、触れることができれば、今まで理解し切れなかったものが見えてくるのである。
この歌詞を伝えるためには、逆に透明感のある歌声が必要なのである。
それに最近やっと気づき始めた。
3年前はこの「それでも来た道」があまり好きではなかった。
唄のなかにあるように、
「見えないものを 見えると言える強さがあった」
まさにその状態だったと思う。
夢がまさに夢であり、現実的ではないときは、根拠の無い自信があるものである。
まさに僕もそうだった。
自分でゴールを設定し、そのゴールにたどり着くための方法を必死になって探していた(今もそうなのだが・・・)
「充ち足りた しあわせなら この世界にはきっと無いもの
それでもいつかたどり着くと すがる何か信じていた」
そして最後のフレーズがこうである・・・
「振り返るなと、立ち止まるなと歩き続けても
この世に果てなど無いと 本当はとっくに気づいてたさ」
時間が経てば経つほど、そんな簡単なゴールなんて、この世に無いことを最近になって気づき始めてしまった。
「あの人の見た夢を見れば
あの人のかざす日を仰げば
自分もあの人になれるとひとつひとつ真似していた」
本当に兄のように親しくしてもらっているある先生の生き方の真似をして、
日本各地で地域一番歯科医院として成功している先生たちの方法を真似して
でもある程度くると、限界がある。
それは、僕がその先生ではないということだ。
コピーは所詮、コピーだからである。
そこから先は、自分の色をだしていかなければ先には行けないのである。
そうすると猛烈に不安と孤独にさいなまれる。
自分が進んでいる方向が、本当に正しいのかどうかを迷うこともある。
でも、小さいが組織のトップにいる人間が弱音を吐くことはできないと、我慢して生きていることもまた事実だ。
そんな時に、このフレーズが心に響く・・・
「もうがんばらなくていいのよ って言ってくれないか」
「もう泣いたってかまわないのよ って抱いてくれないか」
僕の心の内は、本当はこんな風に叫びたいのかもしれない。
本当にそう思っているのかは、当の本人でさえもわからない。
でも、一瞬、弱くなりたい、素の自分に戻りたいと思う瞬間があることも本当だ。
だから、この唄で僕の心を代弁してくれていると思うと、正直、心が楽になる。
『よし!がんばろう!』という気持ちになるのである。
だって、
「何故か 涙があふれても 『それでも来た道』」
だから・・・
将来への不安、自分の健康への不安、世界情勢の不安・・・
数え上げればきりがない。
でも、間違いなく言えるのが、
「それでも来た道」ということなのである。
それは、他の誰にも理解や共感を得ることができないかもしれない。
でも、それでも「僕が生きてきた道」だから。
これからも不安や焦りに日々さいなまれることだろう。
泣きたいくらいの夜もあるかもしれない。
自暴自棄になることもあるのかもしれない。
でも、でも、
「それでも来た道」を信じて歩くしかない。
そうすれば、自分の納得のいく人生がおくれるような、そんな根拠の無い自信がすこし生まれてきている。
それでいい。
僕はそれでいい。
迷い、
失敗、
後悔、
感動、
愛情、
いろんなことがあると思う。
一番大切なのは、「生きている」ということだ。
生きていれば、失敗することも成功することも、後悔することも、人を愛することもできる。
「生きてこそ・・・」
選択に迷い、あの時あちらを選択しておけば・・・
と思うときもいつの日か来るかもしれない。
でも、遠い未来に、自分を振り返った時、力強く、自信を持って言えるように・・・
「いろいろあったけど、それでも僕が来た道だから」
と・・・