もーすぐボジョレーヌーボー解禁!ということで、知り合いに誘ってもらいワイン試飲会に行く事に。
別にワイン好きじゃないけど、舌は敏感な方なので、なんとか大丈夫でしょう。日々発見と出会いがないと人生はつまらないしね。

大使館の多い場所柄、国際色豊かな集まりらしいので英語圏の新しい友だちができるといいな。

場所は麻布のカフェ デ プレ らしいです。

オープンカフェでゴッホの絵の「夜のカフェ」のような雰囲気。

実際パリのサンジェルマンデプレをイメージして建てられたカフェらしい。

ちょうどこの日はパリ帰りのMさんとお会いする日でもあり、なんとな~くパリな一日となりそう。

まー試飲会の方はカジュアルな集まりになるんでしょうねー

$とある中学教師(志望)のダメダメな日々-ワイン試飲会
いよいよ週末に大学入学の説明会があります。
楽しみ~
池袋にある大学なのですが、通信制にするつもりなのでスクーリングで仲間に会える事を楽しみにしています。
人生の楽しみは人に出会う事。
そこに幸せも不幸も含まれています。
出会いなくして不幸も幸せもなし。
自分が持ってる周波数アンテナが三本経つ方へと歩いていけば、そのときどきに必要な出会いって必ずある。
でも出会ったときに自分が何者でもなかったら。
相手にあげる物を何も持っていなかったら。
それがちょっと不安ではあるけれど。

日本はまだまだ資格社会なので、教員免許を持ってない事でつらい思いをしたことが何回もあります。
土曜日の課外授業を共にしている同業者にでさえ、「小学校のも中学校の免許も持ってないの?」と詰問された事があるし。
問題は授業メソッドの引き出しが多い事と、生徒の話を同じ目線で聞けるかどうかでしょ、といいたかったけど
そのときは黙っていました。
こういう質問をしてくる人って、必ず物事の本質が見えてない人。
頭と心が柔らかくなければ、子供相手のお仕事なんてちゃんとできません。

教員免許を持っているからって、「先生」とは限らない。
「先生」は生徒が認めないとなれないから。
だけど教員免許を持ってないと入れない場所も確かにある。
少しでも多くの子供たちと出会うために。
少しでもご両親に安心してもらうために。

この国で子供に携わる仕事をするためのパスポートともいえる教員免許を、二年かかって取ろうと思います。

私がとるのは中学英語教師の免状です。
今週末はどんな話が聞けるのか、今から楽しみ。
世界中で有名な絵本、といえばシルヴァスタインの「tree」は間違いなく五本の指に入るだろう
(あとはエリック.カールとかかな)
あらすじはAmazonに譲るとして、基本的に登場人物は少年と木だけ。
文章も絵本だから一行ずつか長くても数行くらいだし、そもそも中学英語レベルの単語数。
なので、却って訳すのが難しい。

少年はともかく、たった数行で木の性格を表さなければならない。

このお話は愛する事の切なさを語るものなので、切なさを日本語に変換するにあたって
村上春樹を選択してきたのは正しい。と思っていた。

絵本のページをめくるまでは。

絵本の訳の要となるのは後半部分の少年と木の会話のやりとり。

これまで少年、今は老年にさしかかった「彼」への思いをを自らの持つ者を差し出す事で表現してきた木が、初めて思いを言葉にして
少年に伝えるのだ。

この伝え方によって木の少年に対する「形のない思い」がどういった種類に属するのものなのかが
はっきりしてしまう。

村上春樹は原本に忠実に従い、「she」で表される木の性格を女性的なものにしあげた。

それも少年と年上とはいえそれほど年齢の差がないであろう女性風の語り口に。

こうなると木の抱える思いは「恋愛」というカテゴリーに寄せられてしまい、切なさは狭義的なものに
限定されてしまう。

つまり、「愛すれど振り向かず」の歌謡曲的もしくは演歌的な女性の切なさにすり替わってしまう。

木を女性とするのならば、年齢こそが重要だったのではないか。

少年が少年だったその時代に、まさに木として生い茂っていた彼女は、人間とは違う長い時間を森のなかで生きてきたに違いない。

「いらっしゃい、ぼうや」

という口ぶりは、せいぜい10歳かそこらの差である年上の女性が年下の愛人に声をかける声音を換起させる。

樹齢100年ほどの木としての口ぶりであれば、木の愛は恒久的な祖先の愛を表現できたかもしれない。
わたしたちの細胞の奥に眠る脈々と受け継がれてきた血の歴史に思いを馳せる事ができたかも知れない。

少年と木の物語を相対的な愛の物語に収縮させてしまった村上春樹の罪は重い。

みづからがぼろぼろになるほど与え続けかつ愛を受け止めてもらえなかった、女郎のような木の愛の物語を

わたしは愛をこれから経験する小さな甥や姪に読ませたくはない。