俳優のJUNです。
J'S STUDIO【俳優のためのトレーニングルーム】の主催と
太田実映画監督とのコラボレーションクラス
【ACTOR PLANT】の専任講師をしてます。

さて今回は
「秀才の悲しさと天才の力、そして凡人の出来ること」
「想像上の世界で真実に生きる」
「演技じないで、ただそこに居てください」とは?

今日は先日話をした会話の一節です。

天才は世の中にいる。
そして、天才は世の中から放っておかれることはまずないという。
また、天才はふと現れその才能を発揮する。
その人の出現で、血を吐くような努力でのし上がった秀才は打ちのめされてしまう。
しかも自分には真似のできない天性が秀才にはわかってしまう。
それを目の当たりにした時の失望感といったら想像を絶する。
その世界にとどまるどころか、生きることすら放棄してしまいたいくらいの絶望感。

また、秀才は凡人が見る天才の凄さを、違うところに見出だす事ができる。
それは、努力で越えられる部分ではないのを身をもって知っているからだ。
また、秀才は努力を知っている。誰よりも努力しているのだから。
芸術家、作家の中にはその差に打ちのめされて、自殺した人も多い。

一方凡人は、2種類いるようだ。
自分を凡人だと思っている、が、自分を世界で一人の存在であると考える者と
自分を凡人だと思っている、故に皆と同じ、皆が作り上げた常識に従う者。
前者は、凡人だが自分の目を持っているし信じている。
かといって、目立とう、見てくれ!と主張はしていない。
大衆の中に居て、自身の眼を持っているだけなのだ。
稀にそれが人の目を惹くことがある。

さて、私たちが演じたい人間とは天才なのか?秀才なのか?はたまた凡人なのか?
大半の作品は、演じるべきは「凡人」であると思う。

ではなぜ「凡人」を描くのか?
それは、我々の大半が言葉は悪いが「凡人」である。
だが、人それぞれが「唯一の存在」で、長い歴史を重ね毎日生きている。
それぞれが「美しさ、醜さ、悲しみ、喜び、怒り...」を持っている。
その色はその人でしか表せないし、厚みも違う。
そこに共感、反感を抱く。
そこに、その人のその瞬間出す色に、我々は感動する。
私達の演じている演劇作品の中に必要なのはそこだ。
では、それはどうやって表現するのか?
それは、その人になる。しかないよね。
ではどうやれば、その人になれるのか?
大まかに言えば、「その人として生きる」こと。
見た目も重要である。声の質、動き、その人のアイデンティティも重要だ。
それが見た人に与える情報だからだ。
だから、出来る役、できない役はある。
演出家はそれを知っている。
ある人は
「私は、それを見越して配役しているのだから、役を見せつけないでくれ」という。
例えば、貧乏の生まれで、お金に困っていて、でも喧嘩だけは強い。
こんな役が来たら、配役の時点でその人は、演出家からそう見える見越しはついている。
後は、台本を覚えて、その人生を生きる。
決して、貧しそうに、強そうに、お客様に見せない。
極力、普通に何事もないように存在すること。
その役の歴史の厚みだって、俳優は己の歴史の厚みが大半はカバーしてくれる。
後は台詞が、相手役があなたをそう見せてくれる。
だから、
自分の役からプランをたてて演技したり
台詞のここで印象付けようとしたり
存在感を出そうとしたりしないことです。
それを私は、簡潔に
「想像上の世界で真実に生きる」
「演じないで、ただそこに居てください」
と言っています。
この言葉は具体的だと思っていました。でも、まだ抽象的だったようです。
俳優の世界は色々なテクニックが紹介されるが、
大前提はこの事だと、お伝えておきたいです。