対談52『日本の原発だけ世界一安全(←)でもしょうがない』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談52 『日本の原発だけ世界一安全(←)でもしょうがない』
七雲: 九州や山陰の人達にとっては、韓国東海岸の原発のほうが、
東北地方の原発よりも距離的に近かったりします。
ところが中韓を始めとする、日本近隣の原発の安全性を問う声は、ほとんど上がってません。
緑子: あははは。
嫌中・嫌韓・嫌朝の原発推進連中にとっては
「半島は犯罪者天国だが、原発技術者だけは超優秀」
ということになるのかの(笑
相変わらず理屈が我田引水針小棒大支離滅裂じゃな。
七雲: もし他国の原発を危険視したら、
それはそっくりそのまま同じ理由で、日本の原発にハネ返ってきてしまいますからね。
緑子: だから、たとえそれ以外のあらゆる面で韓国を誹謗中傷しようとも、
韓国の原発技術だけは非難するわけにいかぬか。
なんというか、実に身勝手で一貫性を欠く態度じゃのう。
七雲: 私たちは日本に限らず、どこの国の原発にも反対です。
日本の原発による被曝は安全だが、他国による被曝は危険だ!
などという、 不可思議な理論も言い出しません。
緑子: とにかくどっちが優秀でも安全でもいい、
何か言うなら一貫させろ。
それが言論界の最低限のマナーだろ。
七雲: あの手の方々がなさっているのは、見かけは「議論」のような皮をかぶっていますが、
本質は限りなく「罵倒」「言いがかり」に近いものなのでしょうね。
緑子: だから連中は「表現の自由」が大嫌いなのじゃよ。
自らの詭弁の穴を的確に突いて来られるからの。
対談51『多様性のない社会は、一本桜のように美しいが脆い』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談51 『多様性のない社会は、一本桜のように美しいが脆い』
七雲: 日本人が桜を大好きなのは、その美しさや開花時期への思い入れだけでなく、
「パッと一斉に咲いて、パッと一斉に散る」
その集団性に自分の生き様を投影しているからだ、という説があります。
緑子: そう言えば3・11以降、
「個性が大事」というフレーズをあまり聞かなくなったのー。
七雲: 「個」より「全体」を優先する時代に、
一瞬で様変わりしましたからね。 ちょっと桜の美学に近いです。
「絆」 「つながろう」
はリアルでは美しいキャッチフレーズですが、
ネット界の一部ではすでに、
「周囲に従え」 「一人だけワガママは許さない」 「皆と違う事を言うな」と
街宣(笑)ネットパトロールが徘徊する、
開戦前夜みたいな状況になってます。
これでも酷かった一時よりは、だいぶマシになりましたけど。
緑子: 新鮮組が闊歩してた、 幕末の京都 みたいじゃな(笑)
職もない農民出が幕府の意向を代弁し、
一時的にお武士様になったような高揚感に酔う……か。
いつの時代も、弱い孤立者の求めるモノは同じ。
要するに 「お上との一体感」 じゃよ。
皆、虎の威を借りたくてたまらない。
今も「会社」や「学校」というすぐ上の共同体から切り離された孤立者が、
さらに上の「国家」という巨大な存在とつながろうとして、
自分の存在意義をアピールすべく懸命な努力を続けている。
七雲: 精神的支柱を国家に求めなくても、考え方次第で
人は十分豊かに幸せに生きてゆけますよ。
国家という大輪だけど一輪のみの花ではなく、
一人一人が一つ一つの個性的な花を、それぞれに美しく咲かせませんか?
緑子: それでもどうしても 「自立は無理。何かにすがりたい」と言うのなら、
国家にすがるのではなく、
「絆」をまず会社か家庭に求めるべきじゃろ。
「つながり」や「一体感」などは、国家などよりよほど簡単に手に入るぞ。
七雲: ちなみに北海道では、桜開花はまだまだ先の話でーす。
緑子: ……遅っ。
対談50『あれから70年が経ち、日本人は3歳だけ加齢した』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談50 『あれから70年が経ち、日本人は3歳だけ加齢した』
七雲: 「日本人の精神年齢は12歳」
終戦後にGHQの司令官となったマッカーサー元帥の有名な言葉です。
緑子: あの頃の民草は「お上に逆らうな」 「軍人サンは絶対」
その程度の見識しか持ちえなかったからのー。
七雲: 実際の発言では「だからまだ日本の民主主義は始まったばかりで将来性がある」
という趣旨で、非難ではなかったそうです。
緑子: でも日本人の民度を、
「先生の言うことは絶対に正しい」という小学生程度のレベルだと、
認識していたのは事実じゃろ。
七雲: あれから70年近くが経ち、我々はどれくらい成長できたのでしょうか。
緑子: 「お上に逆らうな」「お国は絶対」と公言するのは
さすがに恥ずかしい、
という程度には成長したようじゃ。
だが、「お上に逆らわない」という結論は今も昔も変わらない。
じゃあどうするかと言うと、
「それが経済だから」 「それが科学だから」 「それが人道的だから」
等々の後付けの理由を、
テレビなどから聞きかじってきて、理論武装するようになったのじゃ。
七雲: それで、12歳から15歳に成長した、と(笑)
緑子: 後付けというのは、支離滅裂な理由の羅列を見ればよくわかる。
「どうせ皆助からないのだから反対してもしょうがない。だから原発容認」
「原発は絶対安全で放射能は浴びても大丈夫。だから原発容認」
この二者は原発の安全性の評価という点では
180度真逆の立場に立っているにもかかわらず、
両者が合い争うことは決してない。
なぜなら、 「理由など実はどうでもいい」からじゃ。
「お上の言う通り原発容認」という結論がまずありき、なのじゃよ。
「震災瓦礫は被曝安全面で問題はない。だから日本中で受け入れよう」
「震災瓦礫は被曝安全面に不安はある。だが、だからこそ日本中で痛みを分かち合おう」
も同じこと。
この二者は決して衝突しない。
この二者が瓦礫は安全か危険かを議論することも絶対にない。
なぜなら「瓦礫拡散の国策に逆らわない」という結論が最重要なのであって、
その前提理由である「瓦礫が安全かどうか」は実はさして問題視してないからじゃ。
こいつら二者にとって憎むべき敵は、「国策に逆らってる脱原発」ただ一点。
原発容認派と何日議論しようが時間が無駄な理由はここにある。
たとえ容認理由や反対理由で いかに論破しよう が、
連中の「お上が絶対」の結論は決して変わらないからじゃ。
七雲: 戦前の軍国少年的な絶対服従の姿勢が、
民度や文明の成熟度の点で恥ずかしいことだという認識は、
戦後70年近くも経ってさすがに生まれてきたのでしょう。
そういう意味では、12歳程度の精神構造は脱したと言えます。
ですが、お国や上司や会社などのいわゆる「お上」の意向にとらわれず、
真に正しいものを自分の価値尺度で判断するという、
20歳以上のオトナの精神には
残念ながらいまだ到達できていないようです。
緑子: つまりこういうことじゃろ。
先生の言う事には絶対に逆らわないのが12歳。
先生の言う事には絶対に逆らわないが、
そう公言するのはさすがに恥ずかしいと思うのが15歳。
先生の言う事でも正しくないと思えば、堂々と逆らえるのが20歳以上。
はやく皆オトナになって、私と旨い酒を酌み交わそう。
待っておるぞ。
七雲: だから私たちは未成年設定ですってば。
対談49『この御時世に、大志を抱けとまでは言わないが』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談49 『この御時世に、大志を抱けとまでは言わないが』
緑子: 3・11以降、誰も正面切って理想を説かなくなったな。
七雲: そりゃぁーあれだけ
「それは理想だ」
「正論を言うな」
「これが現実だ」
「やむをえない」
「しかたがない」
と連呼され続ければ、誰だってそうなるでしょう。
緑子: まあな。
だいたい年寄りはいつの時代も、
伝統的に罪を認めたがらんもんなのじゃよ。
なぜって、奴らにはもう「次の試合」が残されておらんからの。
半生賭けて追従してきたゲームが負けと言われて、
ハイそうですかと引き下がる余力と時間がもう無いのじゃ。
七雲: 「原子力は次世代へと繋ぐ夢のエネルギー」
昭和30年代の理想から卒業し切れてない感じですね。
緑子: 年寄りが自分のイエスマン人生を美化したがるのは勝手だ。
だが子供や若者までもが、
老人の幻想に律儀に付き合う必要は無い。
七雲: ここの管理人も充分年寄りですが(笑)
今の負けゲームに殉ずる気 はあんまり無いみたいですよ。
緑子: 原発なんて無くたって、実際はほとんど誰も困らんよ。
今もたった2基しか動いてないが、破綻も滅亡もしておらん。
「困ると主張したほうが世俗的にトクだ」 と勘違いしてるだけじゃ。
放射性廃棄物を出し続けてまで、稼動しなきゃならんシロモノとは到底思えん。
対談48 『ロックとはジャンルではなく生き方である』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談48 『ロックとはジャンルではなく生き方である』
七雲: ちょっと前の話になりますが、
紅白での斉藤和義さんのギターストラップは良かったですねー。
緑子: 「ロックとは、音楽ジャンルの一種ではなく生きザマのことである」
それを体現してるよーな硬骨漢ぶりだったのー。
七雲: 山本太郎サンみたいにずっと戦い続けてホサレちゃうのも漢ですが、
ホサレない程度に沈黙を続けて、肝心要でビシッと決めるのも、
斉藤さん流の戦い方なんだなー、と感心しました。
緑子: 我々もこの揺り戻し現象に負けず、
ボチボチ言い続けていくしかないのー。
七雲: ボチボチとね!
緑子: なんで突然緑色なんじゃ。
七雲の髪は赤だったろ。
七雲: なんとなくイメージで(笑
このほうが環境にも優しいっぽいかなぁ、と。




