対談50『あれから70年が経ち、日本人は3歳だけ加齢した』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談50 『あれから70年が経ち、日本人は3歳だけ加齢した』
七雲: 「日本人の精神年齢は12歳」
終戦後にGHQの司令官となったマッカーサー元帥の有名な言葉です。
緑子: あの頃の民草は「お上に逆らうな」 「軍人サンは絶対」
その程度の見識しか持ちえなかったからのー。
七雲: 実際の発言では「だからまだ日本の民主主義は始まったばかりで将来性がある」
という趣旨で、非難ではなかったそうです。
緑子: でも日本人の民度を、
「先生の言うことは絶対に正しい」という小学生程度のレベルだと、
認識していたのは事実じゃろ。
七雲: あれから70年近くが経ち、我々はどれくらい成長できたのでしょうか。
緑子: 「お上に逆らうな」「お国は絶対」と公言するのは
さすがに恥ずかしい、
という程度には成長したようじゃ。
だが、「お上に逆らわない」という結論は今も昔も変わらない。
じゃあどうするかと言うと、
「それが経済だから」 「それが科学だから」 「それが人道的だから」
等々の後付けの理由を、
テレビなどから聞きかじってきて、理論武装するようになったのじゃ。
七雲: それで、12歳から15歳に成長した、と(笑)
緑子: 後付けというのは、支離滅裂な理由の羅列を見ればよくわかる。
「どうせ皆助からないのだから反対してもしょうがない。だから原発容認」
「原発は絶対安全で放射能は浴びても大丈夫。だから原発容認」
この二者は原発の安全性の評価という点では
180度真逆の立場に立っているにもかかわらず、
両者が合い争うことは決してない。
なぜなら、 「理由など実はどうでもいい」からじゃ。
「お上の言う通り原発容認」という結論がまずありき、なのじゃよ。
「震災瓦礫は被曝安全面で問題はない。だから日本中で受け入れよう」
「震災瓦礫は被曝安全面に不安はある。だが、だからこそ日本中で痛みを分かち合おう」
も同じこと。
この二者は決して衝突しない。
この二者が瓦礫は安全か危険かを議論することも絶対にない。
なぜなら「瓦礫拡散の国策に逆らわない」という結論が最重要なのであって、
その前提理由である「瓦礫が安全かどうか」は実はさして問題視してないからじゃ。
こいつら二者にとって憎むべき敵は、「国策に逆らってる脱原発」ただ一点。
原発容認派と何日議論しようが時間が無駄な理由はここにある。
たとえ容認理由や反対理由で いかに論破しよう が、
連中の「お上が絶対」の結論は決して変わらないからじゃ。
七雲: 戦前の軍国少年的な絶対服従の姿勢が、
民度や文明の成熟度の点で恥ずかしいことだという認識は、
戦後70年近くも経ってさすがに生まれてきたのでしょう。
そういう意味では、12歳程度の精神構造は脱したと言えます。
ですが、お国や上司や会社などのいわゆる「お上」の意向にとらわれず、
真に正しいものを自分の価値尺度で判断するという、
20歳以上のオトナの精神には
残念ながらいまだ到達できていないようです。
緑子: つまりこういうことじゃろ。
先生の言う事には絶対に逆らわないのが12歳。
先生の言う事には絶対に逆らわないが、
そう公言するのはさすがに恥ずかしいと思うのが15歳。
先生の言う事でも正しくないと思えば、堂々と逆らえるのが20歳以上。
はやく皆オトナになって、私と旨い酒を酌み交わそう。
待っておるぞ。
七雲: だから私たちは未成年設定ですってば。
