1998年2月9日FMW深谷市民体育館 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

9月に入りました。

今月は2度ゴルフの予定が入っています。
野球観戦も1回。
今から非常に楽しみです。

ご無沙汰してます。
久しぶりの更新です。

98年のお話です。

FMW1998年2月シリーズ
『クラスターバトル′98』

6日(金)  後楽園ホール

8日(日)  いすゞ自動車大和体育館

9日(月)  深谷市民体育館

10日(火)  越谷・GAZAホール

11日(水=祝)  神栖町民体育館

12日(木)  ひたちなか市松戸体育館

13日(金)  千葉公園体育館

後楽園の開幕戦~最終戦の千葉、全7戦。


高校2年生の淳一少年が観戦に訪れた会場

6日(金)後楽園
8日(日)大和
9日(月)深谷
13日(金)千葉

の4大会。

平日の3大会は学校を休んで観戦しています。
(この頃は、プロレスの試合やアルバイトがあれば学校を休むか早退していました。後に3年生の進路を決めるときに苦労するとは知らずに…。)



後楽園大会のカードは vsグラジエーター。
全日本プロレス東京ドーム大会に出場が決定して波に乗っているグラジがスーパーアッサムボムでリッキーに勝利。



続く大和大会では、
田中&ハヤブサvs大矢&リッキーのFMW正規軍純血タッグマッチ。ローリングエルボーでピンフォール負け。



深谷大会は置いておいて、最終戦千葉公園体育館大会。



リッキー選手の地元凱旋興行。

田中&大矢vsハヤブサ&リッキー
大和大会に続いて純血タッグマッチ。
地元の声援を受け奮闘。
あわやという場面も何度も作るが田中選手のローリングエルボーでピン。
地元凱旋を勝利で飾ることはできませんでした。
この千葉大会は、リッキー選手の凱旋興行ということもあり、前日と試合当日、千葉のビジネスホテルに宿泊するという気合いの入れよう。
別に前日入りしても何もすることがないのに…。

今考えてみても謎の行動です。


そして話が前後しますが深谷大会!!

実は、前年12月よりポケットベルのやり取りをしていた女の子と初めて会う約束をしていました。

きっかけは、テキトーな番号を打ってたまたま繋がってやり取り。

自分はすぐにポケベルを解約してPHSを購入しましたのでお互いにポケベルでやり取りをしたのは1ヶ月くらい。

それでも授業が終わり休み時間になるとダッシュで1階の公衆電話に並びメッセージを打ち込み、また電話の列に並び直す。
以下繰り返し。

ここで簡単にポケベルの説明しますと、
確か16文字か18文字のカタカナ及び数字が送れました。(当時、自分が使用していたものです。)
1回10円を公衆電話に入れ相手の番号をダイヤル。

次に送信内容を数字で入力すると相手にはカタカナ(数字)に変換されメッセージが遅れるというサービス。

11=あ
12=い
13=う
14=え
15=お

21=か
22=き
23=く
24=け
25=こ

といった具合に…。

『11  12  32  44  93』と入力すると

『アイシテル(=愛してる)』

と表示されます。

広末涼子さんがCMをしており、高校生に絶大な人気を博していました。

疑問だったのは、
自分は横浜市在住。
相手は埼玉県在住。

でも、どちらもポケベルの番号は03から始まる東京の市外局番でした。

高校生の淳一少年は、日本史や世界史の年号または、英単語等は頭に入らないのにポケベルの暗号はスラスラと出てきました。


ポケベルの出会いがきっかけの女の子は埼玉県深谷市在住。

淳一少年の横浜市戸塚区からは電車で約2時間半の距離。
(電車賃は片道2000円弱くらいしたのではないでしょうか?)

たまたま、FMWの深谷大会が開催されるということで強引に会う約束をとりました。

工業高校ということで女の子に飢えていましたし、何より彼女を作ることに必死でした。


期待に胸を膨らませ東戸塚駅から何度か乗り換え、上野駅へ。
高崎線に揺られ深谷駅を目指しました。
(上野からは約1時間20分。)

ポケベルと電話でのやり取りのみで顔を会わせるのは初めて。


ドキドキしながら待ち合わせの
『キンカ堂』で彼女と初対面。

キター!!

いわゆる『一目惚れ』で後日、猛アタックの末にお付き合いをすることなるのですが…。


初めて会った女の子と行った場所が
深谷市民体育館でプロレス観戦。
彼女はプロレスにまったく興味が無いのに…。


女の子の気持ちもわからない自分勝手な行動。(よくお付き合いできたと思います。)

当時のセンスはどうかしています(恥)


リッキー選手の試合はメインイベント

ハヤブサ
大矢剛功
リッキー・フジ

vs

冬木弘道
外道
非道

『リッキー!!今日だけは絶対に負けないでくれ~!!
彼女にカッコ悪い姿を見せないでくれ~!!』

↑当時の淳一少年の心の声です。
(不純なお願い(汗))

願いが通じたのか?
ハヤブサ選手が旋回式ファルコンアローで非道選手に勝利。

応援しているリッキー選手組が勝利したことで鼻が高かったのを憶えています。
必死にリッキーのファンクラブ会長をしていると彼女にアピール!!
(だから~彼女は興味ないって(恥))


楽しい時間は早いものであっという間に
終電の時間に。


淳一少年は、別れを惜しみ泣く泣く最終電車へ。


プロレスを観に行くのを口実にして行った深谷大会。

この大会がきっかけで約1年間お付き合いをしました。


淳一少年17才。ゆうちゃん16才。


【追記】

今回、最後まで淳一のノロケ話にお付き合いいただきありがとうございます。

次回からは普段のブログに戻ります。