1996年5月5日FMW川崎球場 その1 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

大仁田厚引退試合から1年が経過した川崎球場大会。

大会発表は3カ月前という強きの
新生FMW。

会場は満員の観客で埋めつくされました。

横断幕が張れないということで、淳一少年はA3サイズの黄色の色紙を貼り合わせた応援ボードを作成し会場へ向かいました。

一緒に観戦したのは妹。


(大仁田選手の引退試合の時よりも安い価格設定でした。
アリーナSS席が10000円→8000円)

初観戦の妹はメインイベントに出場した
ハヤブサ選手と田中正人選手のファイトにファンになり、その後は一緒に観戦する機会が増えました。

リッキー・フジ選手の対戦カードは、
“ロックンロール・エキスプレス”の
ロバート・ギブソン選手&
リック・モートン選手とタッグを組み、
W★INGで活躍した怪奇派、
ブギーマン選手&
フレディ・クルーガー選手&
クリプト・キーパー選手と対戦。
(怪奇派の中身はクリプト・キーパー選手
のみオリジナルです。)


リッキー選手の入場時に手作り応援ボードを掲げました。

警備係の人に“入場だけ”と、何度も頼み込み、空いているパイプイスの上に立ち、少しでも目立つようにしました。

リッキー選手が姿を現し、一瞬目が合いました。(自分は目が合った気がしました。)

この時、リッキー選手は、かけていたサングラスを外し、客席に投げ入れます。

予想もしなかった出来事に戸惑いました。

走って追いかければ大好きなリッキー選手のサングラスをキャッチできたかもしれません。
実際にサングラスをキャッチしようとする人はいませんでした。
しかし、淳一少年の両手は応援ボードで塞がっていたために泣く泣く諦めました。

この時は、ファンクラブ募集のチラシは完成していましたが、まだ配っておらず、
一人ファンクラブ状態でした。

続く第5試合は、
1995年4月2日
ベースボール・マガジン社主催
『夢の懸け橋』東京ドーム大会で
ブレイクした冴夢来プロジェクト
剛竜馬選手が登場。

テレビ朝日系『リングの魂』でも毎回テレビに出ていたので知名度は抜群でした。

『Eye of the Tiger』の曲に乗って川崎球場のリングに上がった剛選手。

剛選手が攻撃すると会場は一体となり
『ショア!!』のかけ声。

今度は、忌神選手が攻撃すると
『いまじん!!』のかけ声。

会場は冷やかし半分でしたが剛選手は、
くそ真面目。

そんな姿が逆に格好良く見えました。

以前、当ブログで石川敬士選手が
新日本プロレス東京ドーム大会で
約6万人のブーイングを浴びたことを書きましたが、剛選手も6万人の『ショア!!』で会場を一体にしていました。

昔と今は時代が違うと言われますが、
それでも6万人の『ショア!!』は紛れもない事実で、自分の尊敬するレスラーの一人でもあります。