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(回顧録:2007年11月7日(2)の出来事)
ここまでのあらすじ。
ガンは、6カ月に及ぶ手術、抗がん剤治療、手術の後、めでたく治療終了となり、弱り切った身体の回復に努めていた。
しかし9ヶ月目、合併症の間質性肺炎に急性増悪が生じ、再び、命が危険な状態になる。片肺状態で酸素の取り込みが十分できず、薬量を増やすが症状に改善が見られない。14日が経過し、ついに「大量ステロイド・パルス療法」が始まる。
2007年11月7日(2)
大学病院 入院病棟
先輩看護師は、私の右腕に針を刺し、採血を始めた。
最近の採血は、注射器なんか使わない。
10円玉くらいの大きさのつまみに針がついていて、その針から細長いチューブが10cm伸びている。
チューブの先は、シリンダーで、そこに中指くらいの大きさの試験管がついている。
その試験管に血液が溜まると、新しい試験管と入れ替えて、何本も、何本も、採取していく。
その一部始終を、新人看護師は見ていて、いつか実践する参考にしていた。
「はーい、大久保さん、手を楽にして下さい。針を抜きますよー」
この会話は、100回以上聞いた。
既に、200回以上、注射針を打たれた身体だ。
「今年、こんなことになるとは、思いもしなかったな…」
この身体は、本当に頑張ってくれていると思う。
看護師たちは、試験管をワゴンに乗せ、カタカタと病室から出て行った。
すでに午前7時を回っていた。
10時の「大量・ステロイドパルス療法」開始までは、時間がある。
パジャマにスリッパ姿で、トボトボと、同じ17階のフロアにあるラウンジに向かった。
新しい治療が始まる時は、いつもラウンジに行き、窓の外から見える空に向かって、「効きますように」とお願いすることにしていた。