"蝕"初潜入と悲報に際して
こんにちはJUN-Gです。ただいま外は雨。
いよいよ黄金週間も終わりだね。みんなはどんなかな?渋滞に巻き込まれていませんか?
そう、きのうは五月五日、こどもの日、端午の節句、つまり男の子の日。
愛知県の瀬戸市に住んでた子供の頃、まだ家も広かったので、客間にけっこう立派な鎧兜が飾られていた。それを見て胸躍らされて、かっこいいって素直に思ってた。武者人形についてた刀を振りまわしては興奮してた記憶がある。侍になりてぇって本気で思って(笑)。
時がすぎ、かっこいいと思うものは音楽に変わっていった。ギターの歪んだ音や、歌い手の生々しいメッセージに興奮した。何よりも夢中になれた。憧れのあの人みたいになりたいって思ってさ。
先人達の創った音楽に刺激を受け、愛を貰い、時に圧倒された。その人たちのマネをして、ケツを追っかけて、いつしか自分も音楽をやるほうにまわってた。
お金で買えないものを貰ったんだ。
少年だった俺は、気がつきゃ三十をこえた。しかし年甲斐もなく、今でも音楽、HIPHOP、日本語ラップにどっぷりだ。他は何もない。ただの社会不適合者だ。
こんな日本語ラップ大好きな俺が、気になって気になってしょうがなかったイベントがある。
そう、渋谷のGAMEで毎月第一土曜日にやってる”蝕”です。
このパーティー知ってる人も多いでしょ。ダースレイダー氏など手がける、オープンから最後まで日本語ラップしか流れない希有なイベント。昔から存在は知っていたのだけど、タイミング合わず顔出せず。
しかし今回は四周年で、ライブにICE BAHNやステルス、しかもピグとものあの方もGUEST DJとして登場とのことなので、去る5月2日ブログの更新を終えてから、ツレと八王子を出て渋谷へ向かった。
やっぱりもたもたして午前2時過ぎ渋谷到着。駐車場からゲームへ向かうと、前方から汗だくの男2人がこちらへ向かってくる。なるべく見ないようにしてたら「あっ」と声が。よく見るとアイスバーンの玉露くんとKIT君だった(笑)。
ゲームの入り口では、アメブレイク伊藤氏に遭遇。四周年のお祝いと挨拶を交わし中へ。
ぐわっ
すげぇ混んでる。この夜5月のわりに外は寒かったけど、中は南国だった。むせ返る熱気、湿度がやたら高い。
まずビールを手に入れるべくフロアへ。……何とかたどり着く。
カウンター前で並びながらステルスのライブを鑑賞。
乾いたのどを潤し、いろんな方とご挨拶。
やっと落ち着いてきたのであたりを見渡す。するとかわいい女の子がけっこういる。もちろん男も多いが、思ってたより女の子も多くしかも粒ぞろい。しかもみんな日本語ラップで踊ってる。日本語も捨てたもんじゃない。
CONNECTIONに出てくれたパンフェラの幸田李梨さんにも遭遇。
で楽屋へ潜入し御大DJ DIRTYKRATES氏に挨拶。
氏は
「ピグともちぇい」
そういうと優しく微笑んでくれた。
実はこの方も、俺に激しい影響を及ぼしてくれた先人の一人である。
再びフロアへ
ダース氏のライブが始まる。
しっかり見たのは、はじめてに近かったけど、凄かった。一言で表すと熱くたぎったとんこつスープみたいなライブだった。曲前に熱い喋りが入るのだけど、それもちゃんと計算されたもので、無駄のないMCと、歌が相乗効果を生み出してる。実にコクがある。けど油断してるとヤケドする。好きなスタイルだ。この人も本気で音楽で愛を伝えようとしてる。行動力も凄いよね。そのバイブスに触発される後輩たちも多いでしょ。
さらにトッピングというか、フィーチャリング勢も味わい深く、ガマさん、SITE、ステルス、などなど、いいショウだ。
途中DIORI氏にも遭遇。話し込む。
そしてダース君のライブが終わり、ついにジブ…いやDJ DIRTYKRATES氏の登場。場内の熱気は更に上昇。
どっかーん
美女ダンサーズを引き連れゴージャスだった。
そのうち一人二人と美女ダンサーズが増えていき
気がつくとステージ上は女の子で溢れ、とても楽しそうなことになっていた。この日も酔っぱらってて、写真撮るの全然忘れてたので残念。
この写真はダース君のブログ から拝借。
選曲は日本語中心で、最新のものから昔のものまで。いろんな日本語ラップが流れた。中でもギドラメドレーのときは盛り上がりもはんぱなかった。
その後も次々と日本語がかかる。TARO SOULやダース君などがサイドでマイクを握リ客を煽る。すると聞き覚えのある曲がかかった、アイスバーンの「あの時」だ。ふと隣を見るとDJボルゾイくんがいて、俺を見るなり嬉しそうにこう呟いた。
「オレたちの曲かけてくれてる」
正直俺は、いいなぁと思ってしまった。
すると次の瞬間、嫌ってほど聴きまくったイントロが流れた。
なんとRISINGSUNだ。
おぉなんだこの感動は、どっから湧いてくるんだ。曲中ダース君が俺の名前をコールしてくれたが呆然としていて反応が遅れた。なんか聞き込んでしまった(笑)。でもこんなふうに自分の歌がかかるってすげぇいいな。もっと日本語が現場で普及すればいいのにな、その想いが更に加速した。
でやっと我にかえってステージに上がってみた。ライジングサンは終わっていたが、この前藤沢でリンクしたサイプレス上野くんがマイクをくれたので、しばらくサイドMCをやらしてもらう。
その後BES君などもステージ上に。で怒濤のDJタイムは終わりを告げたが、こんどは楽屋でフリースタイルがはじまった。俺が確認しただけで参戦したのはBES、漢、ギネス、ONE-LAW、KING104、卍(SDP)と俺。DIRTY氏は自分に向けられた熱っぽいフリースタイルも一つ一つ丁寧に返し、俺の下ネタライムにもつき合ってくれた。
こういう所や、俺の曲なんかをPCにいれてくれてる所に、氏のHIPHOP日本語ラップに対しての深い造詣と愛を感じる。
その後再びフロアへいきDIORI氏と乾杯。あとSTERUSSにもあえた。実はステルスはだーいぶ前から知ってるんだけど、かなり合ってなかった。そうMCも今の倍くらいいる時で、約8、9年前だからかなり時間が経つ。今はなき聖蹟桜ヶ丘のマウスで俺らのパーティーに何回も出てもらってたのだ。俺もやり初めの頃だった。
そうこうしてると、ツレが飲み過ぎのせいか具合悪そうにしてたので、早めに退散した。
なんかこの日は得たものが大きかった。勉強にもなった。と同時に懐かしさにも出会った。日本語オンリーのパーティーもいい感じだったし、音楽の持つ力と楽しさを再認識させられた日だった。
いい気分で帰宅。
PCを立ち上げブログをチェック、するとオアさんのブログ に更新が。しかもタイトルは「悲しい」だ。急いで確認するとやはり誰かが亡くなったような内容だ?
だれだ?近い人か?
不安がよぎる。
そして急いで他の人のブログを確認。それらしいものは見つからない。
その時だ、YOUさんのブログで忌野清志郎さんの他界を知った。
これか!衝撃が走る。さっきまでも気分が嘘のようだ。
尾崎豊、渥美清、2PAC、ビギー、いつでも俺のヒーローたちは急にこの世から姿を消す。何の前触れもなく。偉大な才能は惜しまれながら天に召される。
普段くだらないことさんざん喋り倒して、かっこつけて言葉の力なんかを力説してる俺だけど、情けないことにこういうとき何も言えなくなる。言葉が見つからない。そう俺が何を言っても、絶対的な悲しみや死を超越する力にはなりはしないのだ。言葉は無力だと感じる。こんなこと書くことすら情けない。
だけど、こんな情けない気分の時にこそ、また音楽が勇気づけてくれる。音や言葉が力をくれる。そして作品はいつまでも生き続ける。誰かの生きる支えになる。
俺も頑張ろう。
たくさんお金で買えないものを貰いました。ありがとうございました。
ただ生涯現役にこだわり続けた姿勢に尊敬と、早すぎた死にお悔やみを。ご冥福をお祈りします。
ほんと何ひとつ上手く書くことができず申し訳ないですが、過去にタイマーズを扱った記事(表現の自由その2 ) 書かせていただいたので、素通りするわけにはいきませんでした。
それとコメントやメッセージで励ましの声頂戴しました。ありがとうございます。音楽やっててよかった。
清志郎さんから貰ったもの、人それぞれあると思うけど、それは自分の中で生き続けていくことでしょう。
ともかく悲しいときは思いっきり悲しめばいいじゃないかな。必ず雨が上がる時が来るからね。そんときまでは濡れてても。
これからMIXCD用の最後のRECしてきます。
五月六日。外は雨です。
いよいよ黄金週間も終わりだね。みんなはどんなかな?渋滞に巻き込まれていませんか?
そう、きのうは五月五日、こどもの日、端午の節句、つまり男の子の日。
愛知県の瀬戸市に住んでた子供の頃、まだ家も広かったので、客間にけっこう立派な鎧兜が飾られていた。それを見て胸躍らされて、かっこいいって素直に思ってた。武者人形についてた刀を振りまわしては興奮してた記憶がある。侍になりてぇって本気で思って(笑)。
時がすぎ、かっこいいと思うものは音楽に変わっていった。ギターの歪んだ音や、歌い手の生々しいメッセージに興奮した。何よりも夢中になれた。憧れのあの人みたいになりたいって思ってさ。
先人達の創った音楽に刺激を受け、愛を貰い、時に圧倒された。その人たちのマネをして、ケツを追っかけて、いつしか自分も音楽をやるほうにまわってた。
お金で買えないものを貰ったんだ。
少年だった俺は、気がつきゃ三十をこえた。しかし年甲斐もなく、今でも音楽、HIPHOP、日本語ラップにどっぷりだ。他は何もない。ただの社会不適合者だ。
こんな日本語ラップ大好きな俺が、気になって気になってしょうがなかったイベントがある。
そう、渋谷のGAMEで毎月第一土曜日にやってる”蝕”です。
このパーティー知ってる人も多いでしょ。ダースレイダー氏など手がける、オープンから最後まで日本語ラップしか流れない希有なイベント。昔から存在は知っていたのだけど、タイミング合わず顔出せず。
しかし今回は四周年で、ライブにICE BAHNやステルス、しかもピグとものあの方もGUEST DJとして登場とのことなので、去る5月2日ブログの更新を終えてから、ツレと八王子を出て渋谷へ向かった。
やっぱりもたもたして午前2時過ぎ渋谷到着。駐車場からゲームへ向かうと、前方から汗だくの男2人がこちらへ向かってくる。なるべく見ないようにしてたら「あっ」と声が。よく見るとアイスバーンの玉露くんとKIT君だった(笑)。
ゲームの入り口では、アメブレイク伊藤氏に遭遇。四周年のお祝いと挨拶を交わし中へ。
ぐわっ
すげぇ混んでる。この夜5月のわりに外は寒かったけど、中は南国だった。むせ返る熱気、湿度がやたら高い。
まずビールを手に入れるべくフロアへ。……何とかたどり着く。
カウンター前で並びながらステルスのライブを鑑賞。
乾いたのどを潤し、いろんな方とご挨拶。
やっと落ち着いてきたのであたりを見渡す。するとかわいい女の子がけっこういる。もちろん男も多いが、思ってたより女の子も多くしかも粒ぞろい。しかもみんな日本語ラップで踊ってる。日本語も捨てたもんじゃない。
CONNECTIONに出てくれたパンフェラの幸田李梨さんにも遭遇。
で楽屋へ潜入し御大DJ DIRTYKRATES氏に挨拶。
氏は
「ピグともちぇい」
そういうと優しく微笑んでくれた。
実はこの方も、俺に激しい影響を及ぼしてくれた先人の一人である。
再びフロアへ
ダース氏のライブが始まる。
しっかり見たのは、はじめてに近かったけど、凄かった。一言で表すと熱くたぎったとんこつスープみたいなライブだった。曲前に熱い喋りが入るのだけど、それもちゃんと計算されたもので、無駄のないMCと、歌が相乗効果を生み出してる。実にコクがある。けど油断してるとヤケドする。好きなスタイルだ。この人も本気で音楽で愛を伝えようとしてる。行動力も凄いよね。そのバイブスに触発される後輩たちも多いでしょ。
さらにトッピングというか、フィーチャリング勢も味わい深く、ガマさん、SITE、ステルス、などなど、いいショウだ。
途中DIORI氏にも遭遇。話し込む。
そしてダース君のライブが終わり、ついにジブ…いやDJ DIRTYKRATES氏の登場。場内の熱気は更に上昇。
どっかーん
美女ダンサーズを引き連れゴージャスだった。
そのうち一人二人と美女ダンサーズが増えていき
気がつくとステージ上は女の子で溢れ、とても楽しそうなことになっていた。この日も酔っぱらってて、写真撮るの全然忘れてたので残念。
この写真はダース君のブログ から拝借。
選曲は日本語中心で、最新のものから昔のものまで。いろんな日本語ラップが流れた。中でもギドラメドレーのときは盛り上がりもはんぱなかった。
その後も次々と日本語がかかる。TARO SOULやダース君などがサイドでマイクを握リ客を煽る。すると聞き覚えのある曲がかかった、アイスバーンの「あの時」だ。ふと隣を見るとDJボルゾイくんがいて、俺を見るなり嬉しそうにこう呟いた。
「オレたちの曲かけてくれてる」
正直俺は、いいなぁと思ってしまった。
すると次の瞬間、嫌ってほど聴きまくったイントロが流れた。
なんとRISINGSUNだ。
おぉなんだこの感動は、どっから湧いてくるんだ。曲中ダース君が俺の名前をコールしてくれたが呆然としていて反応が遅れた。なんか聞き込んでしまった(笑)。でもこんなふうに自分の歌がかかるってすげぇいいな。もっと日本語が現場で普及すればいいのにな、その想いが更に加速した。
でやっと我にかえってステージに上がってみた。ライジングサンは終わっていたが、この前藤沢でリンクしたサイプレス上野くんがマイクをくれたので、しばらくサイドMCをやらしてもらう。
その後BES君などもステージ上に。で怒濤のDJタイムは終わりを告げたが、こんどは楽屋でフリースタイルがはじまった。俺が確認しただけで参戦したのはBES、漢、ギネス、ONE-LAW、KING104、卍(SDP)と俺。DIRTY氏は自分に向けられた熱っぽいフリースタイルも一つ一つ丁寧に返し、俺の下ネタライムにもつき合ってくれた。
こういう所や、俺の曲なんかをPCにいれてくれてる所に、氏のHIPHOP日本語ラップに対しての深い造詣と愛を感じる。
その後再びフロアへいきDIORI氏と乾杯。あとSTERUSSにもあえた。実はステルスはだーいぶ前から知ってるんだけど、かなり合ってなかった。そうMCも今の倍くらいいる時で、約8、9年前だからかなり時間が経つ。今はなき聖蹟桜ヶ丘のマウスで俺らのパーティーに何回も出てもらってたのだ。俺もやり初めの頃だった。
そうこうしてると、ツレが飲み過ぎのせいか具合悪そうにしてたので、早めに退散した。
なんかこの日は得たものが大きかった。勉強にもなった。と同時に懐かしさにも出会った。日本語オンリーのパーティーもいい感じだったし、音楽の持つ力と楽しさを再認識させられた日だった。
いい気分で帰宅。
PCを立ち上げブログをチェック、するとオアさんのブログ に更新が。しかもタイトルは「悲しい」だ。急いで確認するとやはり誰かが亡くなったような内容だ?
だれだ?近い人か?
不安がよぎる。
そして急いで他の人のブログを確認。それらしいものは見つからない。
その時だ、YOUさんのブログで忌野清志郎さんの他界を知った。
これか!衝撃が走る。さっきまでも気分が嘘のようだ。
尾崎豊、渥美清、2PAC、ビギー、いつでも俺のヒーローたちは急にこの世から姿を消す。何の前触れもなく。偉大な才能は惜しまれながら天に召される。
普段くだらないことさんざん喋り倒して、かっこつけて言葉の力なんかを力説してる俺だけど、情けないことにこういうとき何も言えなくなる。言葉が見つからない。そう俺が何を言っても、絶対的な悲しみや死を超越する力にはなりはしないのだ。言葉は無力だと感じる。こんなこと書くことすら情けない。
だけど、こんな情けない気分の時にこそ、また音楽が勇気づけてくれる。音や言葉が力をくれる。そして作品はいつまでも生き続ける。誰かの生きる支えになる。
俺も頑張ろう。
たくさんお金で買えないものを貰いました。ありがとうございました。
ただ生涯現役にこだわり続けた姿勢に尊敬と、早すぎた死にお悔やみを。ご冥福をお祈りします。
ほんと何ひとつ上手く書くことができず申し訳ないですが、過去にタイマーズを扱った記事(表現の自由その2 ) 書かせていただいたので、素通りするわけにはいきませんでした。
それとコメントやメッセージで励ましの声頂戴しました。ありがとうございます。音楽やっててよかった。
清志郎さんから貰ったもの、人それぞれあると思うけど、それは自分の中で生き続けていくことでしょう。
ともかく悲しいときは思いっきり悲しめばいいじゃないかな。必ず雨が上がる時が来るからね。そんときまでは濡れてても。
これからMIXCD用の最後のRECしてきます。
五月六日。外は雨です。