天国から来た大投手 四、佐々木裕香 37 | 六月の虫のブログ

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 彼のチームのキャッチャーには、いきなり森次郎の球を受けろと言っても無理なので、野島自らがキャッチャーを務めることにした。選手たちも監督自らがキャッチャーをするくらい凄いピッチャーなのかと、気を引き締めた。森次郎がマウンドに上がり、野島相手に練習投球を始めた。選手のみんなは、この時点で、森次郎がただ者ではないことに気づいた。球の伸びが違う。野島はレギュラー選手たちに、一人一打席ずつ森次郎と対戦するよう命じた。
 浩輔が森次郎に乗り移った。最初は小柄な右バッターだ。第一球、浩輔は内角いっぱいにムービングファーストボールを投げた。見逃しストライク。バッターはバットを短く握りなおした。二球目は、外角に外れるスライダー。バットは全然ボールに届かず、空振り。最後はカットボールに手も足も出ず、三振。大学生にも浩輔の球は打てない。続くバッターたちも三振に抑えた。五番目に打席に立ったのは、早慶大学野球部の四番バッターだ。初球のスライダーに空振りしたが、次のムービングファーストボールをバットに当てた。ファウルチップで野島のひざにバウンドして当たった。森次郎は野島に「大丈夫ですか」と尋ねた。野島は顔をしかめながら「大丈夫」と答えた。バッターは、打つのに精一杯でボールの行方にまで、気が回らなかったようだ。バッターは野島の方に振り向くと、「当たったんですか」と訊いた。野島は「大丈夫」と繰り返すと、森次郎に新しいボールを投げ返した。ボールを捕ると、浩輔が「『サークルチェンジ』に挑戦してみようかな」と森次郎に尋ねたので、森次郎は「少し高めを狙えば丁度いいですよ」と答えた。浩輔は、『サークルチェンジ』のサインを野島に示し、意を決して投げた。ボールはバッターの頭の遥か上を通過した。大暴投だ。森次郎はバッターに頭を下げた後、浩輔に「手首を使ったら駄目ですよ。手首は真っ直ぐ固定したままでないと」とアドバイスした。四番バッターをカットボールで三振にとった後、次のバッターもツーストライクと追い込んだ。浩輔はもう一度『サークルチェンジ』に挑戦することにした。今度はうまく決まり、バッターは空振り三振。次の四人のバッターも『サークルチェンジ』を多投して三振に仕留めた。
 大学生たちは、森次郎に脱帽だ。野島も森次郎の想像以上のピッチングに、言葉を失っていた。浩輔は大学生相手に手を抜かなかった。よくプロ野球では有名打者と投手の対戦を「力と力の直球勝負」と言って喜ぶ輩がいるが、浩輔は日本シリーズの最後のバッターと同様、そのような勝負は邪道だと思っている。「力と力の直球勝負」で球種が相手にわかっていれば、三割バッターなら四割以上の確率でヒットを打つだろう。浩輔は「野球はピッチャーとバッターの馬鹿し合いだ」と思っている。森次郎も今のところ浩輔のその考え方に賛同している。森次郎がマウンドを降りると、大学生たちは彼に握手を求めて、「来年はうちの野球部に来るんだろ」と口々に言った。野島は彼らに「来年はどうかわからないけど、うちの野球部に来るのは間違いないよ」と宣言した。森次郎も「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。浩輔も森次郎も野島に感謝していた。ムービングファーストボールに加え、『サークルチェンジ』まで伝授してくれたのだから。


              サークルチェンジの握り