十六歳のアメリカ 1977年 夏 三四、シルビア 143 | 六月の虫のブログ

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 翌日、我々はペトスキーのロータリー・クラブのミーティングに出席した。ミーティングには、ゲスト・スピーカーとして、文豪、ヘミングウエイの息子が招待されていて、彼は父親であるヘミングウエイについて語った。ヘミングウエイの息子の貴重な話しも、当時のボクには馬の耳に念仏だった。この時ボクの頭の中には、シルビアのことしかなかった。この旅行が終わると、彼女ともう会えないことは判っていたが、とにかく早く仲良くなりたいと思っていた。ヘミングウエイさんのスピーチが終わると、留学生を代表して、ピーターが挨拶した。留学生はみんな、いろいろなミーティングに出席させられるため、スピーチをすることには慣れていた。ピーターも慣れたオーストラリア訛りで、ユーモアを交えながら挨拶した。この時はシルビアのことも一時忘れて、彼のスピーチに聞き入った。彼のスピーチのうまさには感心させられた。ボクの当時の英語力では、彼のようにユーモアの利いたスピーチはできないと思ったからだ。話術で人を笑わせるには、一年間の留学経験だけでは難しいということを痛感した。ユーモアは、その国の言語だけでなく、文化を十分理解していないと表現できない。これらのことを理解するには、一年はあまりにも短すぎた。
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     ロータリー・クラブのミーティング後に撮った記念写真