十六歳のアメリカ ハイスクールの一日 一四、数学ー微分・積分 32 | 六月の虫のブログ

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一四、数学 - 微分・積分 (Calculus) 


 日本の高校では当たり前の微分・積分だが、アメリカの公立高校では教えてないところがほとんどで、マクナマラ高校の中でも一クラスしかない。アメリカでは高校数学の最高峰がこの微分・積分のクラスだ。友達にボクが微分・積分のクラスを取っていると言うとみんなびっくりする。また、友達の家に遊びにいくと彼らは家の人にボクが微分・積分を取っていることを話す。家の人に賢い奴とも付き合っていることを知らせるためらしい。微分・積分のクラス、イコール、ブレイン (Brain) 、つまり、超賢いという方程式があるらしい。確かに十一年生になると同じ高校内でも、できる生徒とそうでない生徒の学力の差は歴然としてくる。この学力の差は日本の高校では考えられないくらい大きなものだった。これが、公立の高校ではこの差はさらに大きくなるらしい。同じ学校の同じ学年に大学生と小学四年生の学力を持つ者がいるのがアメリカだ。

 極端な話、アメリカでは出る杭が出ることをどんどん奨励し、出ることを手助けする。しかし、出ない杭は放って置かれる。アメリカ人は、物事に対してフェア (fair) 、アンフェア (unfair) という言葉を良く使う。これは、日本でいう公平または善、不公平または悪に当たると考える。アメリカ人の言うフェアとはスタート地点を同じにすることだ。マラソンに例えるとスタート地点に同じ条件でみんなを立たせるようにするのがフェアであり、公平だ。つまり、みんなに同じラインから同時にレースをスタートさせるのが善だ。だから、当然二時間十分でゴールする者もいれば、八時間経ってもゴールできない者もいる。何時間でゴールするかは、個々の人達の能力と努力次第ということだ。一方、日本における公平(平等)とは、ゴールを同じにすることだと思う。みんなが四時間くらいでゴールできるよう、速い人にはゆっくり走らせ、遅い人はみんなで助け、励ます。同じ民主主義でもアメリカと日本とは根本的な考え方が違う。機会均等主義のアメリカに対し、結果平等主義の日本。これだけ考え方の違う者同士が世界でうまくやっていくのは、至難の技だ。また、このアメリカの考え方が、アメリカの教育制度に反映されているのは、言うまでもない。



           ”平等な機会”、NOT ”同じ結果”

ただ、格差が広がると”平等な機会”を得るのが難しくなると思います。