マネーボール アメフト編 〔中〕 | 六月の虫のブログ

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前回は、レミングの情報収集及び情報分析能力について書きました。


今回は、アメフトの戦術を根底から変えたビル・ウォルシュについて書きます。


2番目のイノベーション:パス・システムの構築


1968年、ビル・ウォルシュが37歳の時にシンシナティ・ベンガルズのパス・オフェンスのコーチに就任しました。当時のシンシナティ・ベンガルズはAFLのチーム数拡張のために新しくできたばかりのチームでした。戦力は整わず、苦戦は必至でした。


チームのクォーターバックは、ヴァージル・カーターでした。そのカーターの肩は弱く、20ヤードのパスを通すのがやっとでした。ウォルシュは、肩の弱いクォーターバックに合う戦術を考える必要があったのです。そう、能力の不備を補うためのイノベーションが必要だったのです。


ウォルシュはフィールドを水平(サイドラインからサイドライン)に使うことにしました。短いパスを左右にいるレシーバーに投げるのです。この戦術はパスを投げるターゲット(レシーバー)を5人から3人に減らしました。第一候補のレシーバーが塞がっていたら、2番か3番のレシーバーに投げればいいのです。これによってクォーターバックが誰にパスするのかを考える時間を減らしたのです。


パスの距離を短くし、投げるまでの時間を短縮することで、インターセプション(敵にパスを取られること)とインコンプリーション(パスが届かず完結しないこと)の二つのリスクを大幅に軽減しました。そして、パスの距離を10ヤードまでにして、パスした半分の距離をレシーバーがランで稼ぐという方程式を作ったのです。


これにより、1971年、クォーターバック、カーターのパス成功率はリーグ最高を記録し、パスの平均距離も5.9から7.3ヤードに伸びました。ウォルシュのシステムの下、次のクォーターバックでも成功を収め、1979年に49歳でNFLで選手の年俸予算が最低で勝率も最低のサンフランシスコ・49ersのヘッドコーチ(監督)に就任します。ウォルシュのパス・システムは、前シーズン最悪のクォーターバックといわれたスティーブ・デバーグをNFL史上一番パスを成功させたクォーターバックにしてしまったのです。


1980年には小さくてひ弱いと言われたクォーターバック、ジョー・モンタナをドラフト第三巡目で指名しました。


ここからサンフランシスコ・49ersの黄金期が始まります。モンタナは49ersを4度スーパーボウル・チャンピオンに導きます。もちろん、それもウォルシュのパス・システムのおかげです。



ジョー・モンタナ(フリー画像より)、彼の背番号16は永久欠番になっています。モンタナは、同世代のクォーターバック、ジム・ケリーやウォーレン・ムーンに比べて肩が弱く、派手さもなかったが、チームは強かった。


ビル・ウォルシュが起こしたイノベーションは、低予算のチームにおいて肩の弱い二線級のクォーターバックでも機能してしっかり勝てるパス・システムを構築したことです。


次回はウォルシュのパス・システムに必要なもう一つのピース、ルイスの小説の題名になっている『ザ・ブラインド・サイド』について書きます。


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