失われた10年 元証券マンが思う原因 〔中〕 | 六月の虫のブログ

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 バブル崩壊後の『失われた10年』の要因はデフレとバランスシートの調整(企業の過剰債務、銀行の不良債権問題)だと前回書きました。


 確かに不動産や株価の上昇の資産インフレ(バブル)とその後の資産デフレ(バブル崩壊)を日銀や大蔵省(現財務省)もしっかり認識しきれていなかったと思います。日銀は消費者物価が落ち着いていることで、資産インフレが起きていてもインフレではないといい続けていました。バブルがはじけたときに、上げた金利をすぐに下げなかったのも、資産デフレという認識ができていなかったからでしょう。


 でも、私は『失われた10年』の要因はバランスシートの調整が主因だと思います。


 どうして、このバランスシートの調整が長引いたのか?


 このことを物語風に解説します。


 ある朝、私が電話を取ると外国人の機関投資家からの注文でした。私はその注文を聞き、大きな声で叫びました。


 「○○銀行、10万株売り!」(銘柄は忘れましたが、大手銀行株でした)


 その私の声を聞いた国際営業部部長は、「その売り待った」と叫びました。私はその部長の指示に少し驚きました。部長は電話を二本持って、どこかに電話しているようです(当時は、電話を二本持って、注文を受けたりすることはよくありました)。

 

 数分後、部長は「○○銀行、10万株売りOK」と私に言いました。私は顧客の外国人の機関投資家に電話して、売買完了を伝えました。


 この後、部長に待ったをかけた理由を尋ねました。部長が言うには、「大蔵省の指導で、銀行株は売れないんだ」ということでした。だから、部長は事業法人(事法)部や金融法人(金法)部に電話して、「○○銀行、10万株」の買い手を探していたのです。



 この場面は何を表しているのか?


 そう、当時、俗に言われたPKOです。PKOといっても、国連の平和維持活動ではありません。価格維持活動(Price Keeping Operation)です。簡単に言うと、「売りの禁止」です。バブル崩壊後は、証券会社の自己勘定で買い支えるのは無理でした。だから、大蔵省は「売り禁止令」を出したのです。もちろん、明示的にそんな指導はしません。あくまでも、暗示的に指導するのです。


 私は、この大蔵省(現財務省)のPKOが、バランスシートの調整を遅らせた元凶だと思います。


 次回は、このPKOでなぜバランスシートの調整が遅れたのか、それと、その後に起きた証券会社の損失補てん問題について、実話を交えて書きたいと思います。



 つづく・・・