酔いどれ介護録 爺婆糞戦記 -5ページ目

週刊美代ちゃん(13ー1)

 美代ちゃんには、君子さんという姉と精一という弟がいた。いたという過去形を使ったのは、二人ともこの世を去っていることを示している。


 弟のほうには、徹子という娘がいる。いるという現在形を使ったのは、まだ存命中であることを示している。
 私にとっては従姉だ。従姉という字を使ったのは、私より年上だということを示している。2歳の年の差がある。


 ずっと長いことご無沙汰だったのだが、突然美代ちゃんと会って、昔の話などしたいと言い出した。


「会うといったって、施設に入ってるよ」


「連れ出して、どこかで食事しましょうよ、できるんでしょ?」


「そりゃできるよ。でも車椅子だよ」


「じゃ、車椅子で食べられるところ探しておいてね」


「……」


 どこか車椅子でもダイジョウブなところあったかなあ、と頭を巡らす。


「でも、いいところじゃなきゃダメよ、いいところじゃなきゃ。特別いいところ」


 従姉はけっこう贅沢で高級志向だから、彼女の言う「いいところ」とは、相当のもんじゃなくてはならない。私は巡らした頭を抱え込んだ。

 小高い丘の上にある、けっこう雑誌に載ったりして人気のある、私も何度か行ったことのあるイタリアレストランを予約して、ほっと吐息をついていると、


「うちのお母さんも連れて行くから、よろしく」


 えっ、えっ、早く言ってくれよ。


「叔母さん、チーズ食べられなかったよね」


「そうよ」


「予約したのイタリアレストランだよ」


 イタリア料理のチーズ抜きなんか考えられない。



chizu


「なんとかなるわよ」


 なんとかなるわよとは、なんとかしろ、と従姉には同義語だった。
 慌ててレストランに電話すると、


「私どもでは、お客様が苦手な食材がありましたら、それを除いたものをお出しするようにしております」


 やれやれと胸を撫で下ろしたのもつかの間……。

 当日、従姉の運転してきた車には、叔母さんのほかに、なんと、叔母さんの飼っているトイプードルが二匹同乗しているではないか!



inu


 犬?犬が一緒とはきいてないよ~~。しかも、二匹とは~~。
 
 次回へ続く~。


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酔いどれ交遊録(4)N氏のこと③

 N氏には、死んでもやめないものが二つ、やらないものが一つ、かねてからあった。
 やめないものが酒とタバコ。やらないものが健康診断。なんともかんとも、命知らずと言うしかない。
 
 しかし、これらが時の経過とともに、かなりぐらついてきている。
 まず、タバコはとっくのとうにやめている。もうやめて10年は経つだろうか。
 久しぶりに会ったら、身辺からタバコの姿が消えていたのだ。



tabako


「やめると決めた日から、スパッとやめたねえ。なんにも苦労しなかった」


 と胸を張るが私の禁煙格闘時代に比べ、周囲の環境がはるかによくなってきていた。タバコを吸っている人間の数が格段に違っているのだ。


 禁煙なんか簡単だ、俺なんか何十回もやった。
 とは誰が言ったのやら。
 至言である。


 タバコをやめるのはたやすい。問題はそれをいかに持続するかなのだ。
 私の頃は、まわりじゅうほとんどが喫煙者だった。喫茶店で駄弁ったり、飲み屋でイッパイやるときは、必ず灰皿に吸殻の山ができた。駅で線路やホームにポイ、なんてのは常識だった。
 
 私が禁煙を宣言すると、決まってジャマするのはN氏だった。
 タバコを一口吸っては、火がついたまま灰皿におく。


「やっぱり食後の一服は美味いねえ」


 などとニタニタ笑いながら、さらに2本3本と加えていく。


「どう?もう一本吸ってからやめるってことにしたら?」


 とさらに4本5本と加えて、あまつさえ手で仰いで煙をこちらに流す。


「うーん、いい匂いだねえ。こういうものをやめる奴の気が知れない」


 かくかくさようで、私の禁煙回数は増える一方だったのだ。


 
 そのN氏がタバコをやめるなんて信じられないことだが、本人が言うとおりいとも簡単にやめてしまったのだ。
 もっとも、私はずっと前にやめていたから、N氏のやったようなジャマの仕方はできなかったけど。
 口惜しい~~~!



kanzo


 酒と健康診断がどうなったかというと……、それは次回のお楽しみ。


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ショートショートその11

 またまたショートショートでお楽しみを。


「悪友」


             作/junchan-kk


 ケータイの向こう側の声はかなり切迫していた。


「頼む、昨夜一晩俺はお前といたことにしてくれ」


 なんだ、なにがあったというのだ。


「これから女房がそっちへ行く。行ったらそう言ってくれ」


 まったく、イッタラソウイッテクレなんて、耳できいたんじゃわからないじゃないか。


「頼むよ、頼む、一生のお願いだ」


 また若い女と浮気でもしていたのか。


「ま、そんなところだ、よろしくな」


 ケータイを切ると、またケータイが鳴った。
 今度は別のやつだ。前のやつに勝るとも劣らぬ悪友で、テイという仇名だ。
 こいつの声も切迫していた。


「こ、殺される!俺、殺されちゃう」


 もともとオーバーなやつなのだ。


「チャコにばれそうなんだ、チャコがそっち行ったら言ってくれ」


 またイッタライッテクレかよ。
 チャコというのはこいつの婚約者で、またチャコ以外の女と火遊びをしたのだろう。


「昨日の夜、俺はお前と一緒にいたよな」


 ああ、ヤスも一緒にな。ヤスというのは、先に電話してきたやつだ。


「ヤスくても高くてもなんでもいい、一緒いっしょ、みんな一緒だ」


 人相の悪い男が二人、ドアを開けてどうもと頭を下げたところへ、ヤスのカミサンが物凄い勢いで飛び込んできた。



yasu


「ねえ、ねえ、昨日一晩、うちのヤッちゃん、あんたと一緒にいたって言うけど、本当なの?


 彼女のでかい胸と尻に圧倒されたように小さくなる男二人。


「ああホントだよ」


「嘘、嘘。また口を合わせてるんでしょ」


 それを言うなら、口裏を合わせるだ。日本語知らないな~。口を合わせるではキスじゃないかよ。


「嘘なもんか、テイと三人、ずっとここで酒飲んでた」


「テイって誰よ」


「俺の小学校の同級生だ。嘘だと思ったら、きいてみるがいい」


「怪しいもんだわ」


「怪しくなんかない。ちょうどいい、テイの彼女が来た」


 チャコが負けず劣らずの突進力で突っ込んできた。その目は、殺意にギラギラと燃えている。男二人はさらに身を縮めた。



tei


「ちょっとちょっと~!嘘言ったら針千本飲ますからね。昨日の晩、テイがあんたと一緒にいたなんて嘘でしょ」


「嘘じゃないよ。明け方まで酒飲んでたさ、グデングデンになるまでね。そこにいる彼女の彼も一緒さ」


 あんた何者!という目で睨みあう二人。一瞬火花が飛んだように見える。頭のてっぺんから足の先まで、瞬時に値踏みをして、自分のほうが勝ったとお互いが信じたようだ。


「なによ!」


「なにさ!」


 なんとか丸く治めて、嵐のような騒ぎを残した女二人が去ると、ようやく立ち直りかけた男二人に、声をかけた。


「お見苦しいところをお見せしまして失礼いたしました。ところで、ご用件はなんでしょう」


 年配のほうの、蛙を踏み潰したような不細工な顔の男がこたえた。きわめて不機嫌な声だ。


「ここから車で3時間ほどのところで、奥さんの他殺死体が発見されまして……」


 こみ上げてくる笑いを堪える私。
 アリバイ工作をどうしようか悩んでいたところに、向こうからアリバイが転がり込んできたのだ。
 まったく運が良いというのか。悪友というのはホントに有難い。持つべきものは悪友だ。


                了


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週刊美代ちゃん(12)

 美代ちゃんのところに行こうとしたら、いつの間にか私の車の左前車輪がパンクしていて、仕方ないので、奥方の車に乗せてもらった。



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 奥方にとっては、久しぶりの美代ちゃん訪問である。舅逝き、姑施設で、介護の必要がなくなったら、仕事をやめて家にいるというとんでもない嫁。


「またそれを言う。たまたま、偶然が重なっただけよ」


 それじゃまるで、できの悪い2時間推理ドラマだ。おいおい、そんなんで犯人にされちゃ、犯人が可哀想だってやつ。もちろん犯人役は私ね。
 おまけに、息子はこの4月に就職していて、もう家にいない。犬も猫も小鳥も金魚もなんにも飼っていないから、世話を焼く必要のある生き物は、我が家には皆無なのだ。


 あんたがいるじゃない、という目で私を見るが、私は炊事洗濯掃除なんでもやる、いわゆる主夫でもあったから、全然世話はいらない。


「ちゃんと最近は毎日、御飯作ってやってるじゃないの」


 偉そうに~。いかに以前作らなかったか、って証拠だ。
 などと言い合ってるうちに、美代ちゃんの施設に着く。

 美代ちゃん、また居眠りしてござっしゃった。



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 こんちわ、久しぶり、と声をかけると、涎を拭いながら、


「あっ、いいとこへ来た」


「なによ」


「風邪引いちゃって、熱が出てさっきまでベッドで寝てたのよ」


 見交わす、奥方と私。ホントかねえ、という奥方の目。私も同じ目をしていたに違いない。


「今やっと、朝ごはん食べたとこ。それもほんのちょっぴり。ここんとこ具合が悪くて、ずっと食べられなかったのよ」


 ホントかねえ~?
 通りかかった介護士さん、にっこり笑って、記録簿を開き、


「熱、ずっと平熱ですよ。今朝も平熱。食事は毎食完食してますねえ。美代さんが食事残したのなんか見たこともないですよ」


 やっぱり「嘘つき美代ちゃん」健在だ。
 苦笑混じりに睨みつける二人に、どこ吹く風の美代ちゃん、


「ところで、なんか美味いもん持ってきたかなあ~。なにせここじゃロクなもん食べられないから」


 美代ちゃんの施設を辞したあと、どこへ向かったかというと、奥方の実家
 1週間ほど前、奥方の母親が左の二の腕を骨折していた。頭をずっと洗ってないので、洗ってくれと奥方に言ってきたのだ。
 そら見たことか、そう簡単に楽にはしてくれないのだ、とほくそ笑む私。


「私腰が痛いんだから、あなた運転して行ってね」


 私の運転技術をまるっきり信用していないで、ずっと自分の車を私に運転させなかったのだが、つい先日自分で車体後部をガリッと擦ったもんだから、もういいやと思ったのだろう。


 なんという嫁だ!


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ショートショートその10

 結末がわかってしまうと面白くない。でも結末が想像できる手がかり(伏線)がないと、不愉快になる。
 なかなか難しいものです。
 
「父来たる」
             作/junchan-kk


 陽子ちゃんを探してるって、あんたかい?
 昔の歌の科白じゃないけど、もうここにはいないよ。
 あたしが誰だって?
 この店じゃママって言われてるよ。まあ、陰じゃ鬼婆って言ってる娘もいるけどね。


 鬼婆にでもならないと、何人もいる従業員を使いこなせないからねえ、なに言われたって平気。
 鬼婆だなんてとんでもない、すごくお綺麗です~?そんな見え透いたお世辞使ったってだめだよ。
 さっきまで画面見ながら、柄にもなく涙なんか流していたから、化粧も剥げちゃって見られたもんじゃないはず。


 なんで泣いてたんですかって、そりゃ、世の中地震の津波で死んだり、テロで殺されたり、悲しいことばっかりあるからよ。
 それより、あんたあの娘のなんなのさ
 アハハ、これも昔の歌の科白だねえ。あたしも古いねえ。
 まさかあの娘のオヤジじゃないだろうねえ。まあ、あんたじゃ、年恰好からいって老け過ぎているけど。



chichi


 なんだかずいぶんやつれた顔をしているじゃないの。顔色も悪いし、今にも倒れそうだわ。病気かい?
 その通りです~、だって。病院から脱け出してきました~、だって!
 冗談じゃないねえ。
 まあお座りよ。こんなところで倒れられたら、いい迷惑だからさ。
 さあさお座り。


 コーヒーでもどうだい。水でいい?あっそ。
 ほらほらそんなに急いで飲んじゃ口から溢れちゃうじゃないか。
 ん?なに泣いてんのさ、急に。ビックリするじゃないの。
 そのまさかです、って?どのまさかさ?
 まさかあの娘のオヤジのまさかだって!


 おーい、誰か持ってきておくれ~!なんに使うんだって?決まってるじゃないか、このナメクジオヤジにぶん撒いて溶かしてやるのさ。
 ええ、どの面下げてやってきたんだよ、このくそオヤジ。


 あたしは聞いてるよ。あんた十年前に女こさえて逃げちゃったっていうじゃないか。家のローンも何もかもほったらかして、おまけにたくさんサラ金で借金作ってさ。
 それから陽子ちゃん母子がどれだけ苦労したかしれやしないんだよ。陽子ちゃんだって高校もろくすっぽ行かないで、水商売転々。最後はこんな店よ。


 どんな店かって?見りゃわかるじゃないのさ。
 裏でなにやってるかわからない店だときいてきた。ふん、言いたい奴には言わせておきゃいいさ。
 でも、あたしゃ、陽子ちゃんにはいっさいそんなことはさせなかったよ。指一本男にゃ触れさせなかった……、なんて言えば嘘になるけどさ、そのくらい大事にしてた。


 陽子ちゃんはいい娘だった。こんなゴミ溜めみたいなところに置いておくには、もったいない娘だった。でもねえ、あんたが残した借金背負わされちゃってたから、どうしようもない。
 なんだよ、今さらそんな頭下げられたって、くその役にも立たないから、やめておくれ。あたしは仏様じゃないんだから、拝まないでおくれ。


 もうあと一ヶ月の命なんです、どうか一目でいいから娘に会わせてくれ。ふーん、あんた死ぬのか、いい気味だ。
 そんなひどいこと言わないで、か。ひどいのはどっちさ。やだねえ、そんなところに土下座して。わかった、わかった、わかったってば。
 いいからそのテレビのリモコンつけてみて。テレビなんか見る気になりません?当たり前じゃないの。誰がくだらないバラエティーなんか見せる。


 ほら映った。三日前にとったビデオ
 その白いウエディングドレスの子、あんたの娘だよ。綺麗だろう。あんたにはちっとも似てないけどさ。私だって昔はいい男だったんです~!そりゃそうだろうさ、女と逃げちゃうような男なんだからさ。



hanayome


 その隣のタキシード姿の男が陽子ちゃんの旦那さん。感じいいだろう。玉の輿だなんて皆んな言うけど、なんもかんも承知で結婚してくれたんだよ。あんたのこともさ。もっとも、お父さんを絶対に許せない、会ったら何するかわからない、とは言ってたけどね。


 なにモゴモゴ言ってんの。
 それでも会いたい、何されても会いたい、どうしても会いたいって。
 ふん、会えるでしょうよ、一ヵ月後に。
 なに不思議そうな顔してんのよ。


 さっき言わなかったかい?地震の津波のこと。新婚旅行先がそこなんだよ。
 なんで鬼婆のあたしが泣いてたかわかるだろ。なんて運の悪い娘なんだろうねえ、陽子ちゃんは。


                  了


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敏ちゃん糞戦記 序章(4)

 この稿を書くにあたって、リューマチという病気を少し調べてみた。
 ところが、これがよくわからない。
 いや、妙な表現なのだが、なんとなくわかったような気になるのだが、やっぱりよくわからないのだ。



ryumachi


 「リューマチ」とか「リョーマチ」とか「リウマチ」とか、古くは「ロイマチス」なんて一般的に言われている病気は、どうやら正式な病名ではないようだ。
 広い意味での膠原病で、その多くは「慢性関節リウマチ」なのだそうだ。(注1)


 なんてことを言われると、膠原病ってなんだ、ってことになる。
 これがまたよくわからない。そもそも膠原病の「膠」という字自体、書いてみろと言われて、おいそれと書ける字ではない。


 その意味にいたっては、知っている人はきわめて稀だろう。
 「」を訓読みすると「にかわ」。ああ、あのことか、とすぐにピンとくる方は、かなりの年配の人だろう。
 「にかわ」?なんのこと~?「にかわけんいち」って歌手ならいるなあ?それを言うなら、美川憲一!あんたなに言ってんのよ~、おどき!



mikawa

 
 大辞泉によると、「」は、
「獣や魚の皮・骨などを水で煮沸し、その溶液からコラーゲンやゼラチンなどを抽出し、濃縮・冷却し凝固させたもの。接着剤・写真乳剤・染色などに用いる」とある。


 おー、コラーゲンなら知ってる。毎日飲んでる、なんて人も最近は多いかもしれない。
 コラーゲンを日本語では「膠原質」という。
 おおそうか、膠原病とはコラーゲンの異常か。こら~元気じゃなくなる病気だな。なんてのは早とちり。


 「膠原病」という名前をはじめて使用したのは、米国の病理学者クレンペラーだという。
 1942年に「血管および結合組織にフィブリノイド変性のみられる疾患」を、膠原病と呼ぶことを提唱した。
 なんだますますチンプンカンプンだぞ。
 フィブリノイド変性なんて、舌を噛みそうなものはいったいなんぞや?
 
 フィブリノイド変性(ふぃぶりのいどへんせい)・・・血管炎による血管壁の透過性の更新によって、血液を凝固させるフィブリンなどが、血管外へ遊出、沈着することで壊死を伴います。膠原病に共通の所見です。(好きになる病理学 るみと健太の病理学教室訪問期/早川欽哉/講談社サイエンティフィクより)


 さあ、ますます訳わかんなくなってきたぞ~。
 ってところで次回に続く~。
 
 
 注1
 この慢性関節リューマチ(リウマチ)。2006年には、厚生労働省の特定疾患としての名称は「関節リウマチ」に変更された。何でも、急性のものもあるので、慢性をとってしまったらしい。つい最近、そう去年のことで、そんなこと今頃やってるんだから、素人には、さっぱりわかんないよ~、でいいのだ~!


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人物列伝(4)君子さん③

 材木屋という商売が、進取の気性に富んでいたのだろうか、君子さんの家は下町のくせにハイカラな家だった。
 ハイカラという言葉自体が、現代では「ハイカラ」じゃなくなってしまっているが、ハイカラという表現がピッタリとはまるのだ。


 なにせ、トイレが水洗だった。
 今でこそ水洗じゃないトイレを探すのも難しくなってきているが、当時(昭和30年代はじめ)としては非常に珍しかった。
 なにせ昭和36年の時点で、首都東京の真ん中23区の下水道普及率でさえ、たったの22%という時代だった。


 もう今ではすっかり見ることもなくなった、上のほうに貯水槽があって、チェーンを引っ張ると、ざっと水が流れ落ちるという方式。
 便器から噴き出してしまいそうな勢いで、物凄い水量だった。音も轟々とうるさく、まだ幼かった私は、便器の奥に吸い込まれてしまいそうな恐怖を覚えて、チェーンを引っ張るやいなや、脱兎のごとくトイレから逃げ出したものだった。



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 トイレで怖いといったら、房総半島の先っぽのほうの家に行ったときのことも忘れられない。そこはとんでもない田舎だった。
 夏休みになると、君子さんは二人の息子を連れて、2週間ほど海辺の民宿で過ごした。店も家事も旦那もほっぽり出してなのだから、優雅なものだ。


 子供たちを勝手に浜で遊ばせ、自分は風通しのよい民宿の部屋で、日がな一日のんびりと過ごす。別荘こそ持っていなかったが、これも当時としてはハイカラな生活と言ってよいだろう。



kimiko


 私の家は夏場は商売が忙しく、君子さんの家のような余裕はなかった。それでも、夏休みの間、どこへも連れていってやれないのは可哀想だと思ったのか、いつの頃からか、私もその「夏休み民宿避暑生活」の一員になっていた。


 2週間もずっと同じ生活ではさすがに飽きるので、何日かは別の場所へ行く。そのうちの一つが、房総半島の先っぽの田舎の家だった。
 君子さん美代ちゃん姉妹のどうやら従兄弟の家だったらしい。


 こちらのほうはもちろん水洗ではなく、いわゆるポットン便所、汲み取り式の便所だった。しかも、母屋ではなく、別の棟にあった。
 夜になると、真っ暗な中を便所まで歩かなくてはならなかった。便所には小さな豆電球しかなく、自分の影も含めて、すべての影が大きく、本物の幽霊が出そうだった。



makkura


 大きな肥溜めの甕の上に板を渡しただけの簡素な作りだった。その隙間から肥溜めの中がよく見え、ひどく臭うひんやりとした風が舞い上がってきた。
 板は乗るとミシミシとたわみ、もうそれだけで足が震えた。


 その便所に入るのがどうにもいやで、夜にならないうちに帰りたいなあ、といつも思うのだが、君子さんはその家の人たちと機嫌よくいつまでも喋っていて、


「あら、こんな時間。どうせだから晩御飯ご馳走になってっちゃおうか」


 顔を見合わせ、やっぱりねえと目配せし合い、渋々「うん」と頷くしかない私と従兄弟たち三人であった。
 そして夕食の後、次の言葉が出ないことを切に願った。


「どうせだから、泊まってっちゃおうか」


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ショートショートその9

 ショートショートをまた一つどうぞ。
 あんまり上品な話じゃないけれど、「糞戦記」ということでお許しを。


「隣人愛ーー臭い仲」


             作/junchan-kk


「忘れ物しちゃったあ~」


 女房のやけに明るい声が玄関ドアの外からきこえてきた。
 私は隣の家の奥さんと思わず顔を見合わせた。
 驚いて眉根を顰めた顔がなんとも愛らしい。


「どうしましょう……」


 思わずギュッと抱きしめてしまいたくなるが、そんなことをしている場合ではない。
 トイレをお借りしてよろしいですか、壊れてしまったんです、と駆け込んできて、ちょうどいまジャッと流して出てきたところだった。



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 こんな美人でも、するものはするんだ、と妙に感心したのだが、なんというタイミングの悪さだろう。


「こんなところを奥様に見られたら、どう誤解されるか……」


 よよと泣き崩れ落ちそうな姿に、またギュギュッと抱きしめてやりたくなるが、辛うじて踏みとどまる。


「奥様にはご納得いただけたとしても、隣の家で、隣のご主人と二人っきりでいたなんて、うちの主人に知れたら、もう……」


 隣の旦那がものすごいやきもち焼きであることは、町内で知らないものもないくらいだった。こんな美人で歳の離れた奥さんなら無理もないなあと思うが、ただトイレを貸しただけです、これがホントの隣人愛です、なんて冗談言っても通じそうもない相手だ。


 途方に暮れたような、潤んだ大きな瞳に見つめられると、またまたギュギュギュのギュッと抱きしめたくなるが、最後に残された理性の一かけらと、


「何してんのよ、早く開けてよ」


 という女房のキンキラ声がそれを押しとどめてくれた。


「裏口から早く出て、あとはなんとかゴマカスから」


 スミマセン、スミマセンと何度も謝りながら、隣の奥さんは勝手口から出て行った。
 ドアの鍵をはずすと、オッカナイ顔の女房が飛び込んできた。


「何してたのよ!」


「寝てた」


「昼寝?いいご身分ねえ。それよりなんか匂うわね」


 匂う?隣の奥さん、香水はつけていなかったはずだ。
 女房は鼻をクンクンさせた。


「臭いわね」


 臭い?私は悪いことはなにもしていない。ただの「隣人愛」だ。もっともそれが、違うより深い愛に発展してくれてもいいなあ、とひそかに思わぬことはないが。


「それより、オシッコ洩っちゃう」


 と女房が股間を押さえて、バタバタとトイレに走ってゆく。隣の奥さんに比べてなんという下品さだ。
 待てよ、トイレ?隣の奥さんがいた証拠がなにか残っているかもしれない。いやいや、ダイジョウブ、ちゃんと流す音が聞こえていた。


 だが、トイレのドアを開けたとたんに、


「なによこれ~!」


 という女房の叫び声。
 慌てて駆け寄って、目に飛び込んできたものに、私は息を飲んだ。
 直径4センチ、長さは15センチはあろうかという、巨大な大便が、便器の底にどっしりと横たわっているではないか。
 あまりの巨大さに一度流したくらいでは流れなかったのに違いない。



unko1


 あの隣の奥さんがこんなものを!シンジラレナイ~!
 目の前が真黄色になってしまった。隣人愛どころか、百年の恋も冷めてしまいそうな大便だ。


「これ、あなたのじゃないわよね」


 そうだ、私は腸があまり強いぼうではないので、生まれてこの方、こんな立派なものをしたことがない。


「じゃ、誰のなの?」


 女房の目が厳しく尖がる。
 返答に窮した私の頭に再び「隣人愛」という言葉が浮かぶ。


「隣の旦那が、トイレが壊れてしまったってさっきしにきてね。うっかり流し忘れてしまったんだよ、きっと」


 女房の目がさらにさらに尖がり、口も尖がった。


「嘘おっしゃい!あの人のウンコ、こんなにぶっ太くなんかないわよ!」


 喚き終え、一瞬の間をおいて思わず口を押さえる女房。
 どうしてそんなことを知っているんだあ、という目で睨む私。
 隣人愛は私だけではなかったのだ。私よりももっと深い隣人愛かもしれない。


                  了

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週刊美代ちゃん(11)

 実は……、


 と切り出すほど大げさな話ではないのだが、3月のはじめから、ほぼ1ヶ月近く、美代ちゃんとの面会が不可能になってしまった。

 といって、美代ちゃんの身に、たとえばまた、人事不省に陥って救急車で運ばれたとか、なにか重大なことが起こったわけではない。


 以前に書いたと思うが、美代ちゃんの施設は、特別養護老人ホーム、老人保健施設、ケアハウスなどの施設が隣り合って存在する、いわゆる「ケアタウン」なる一角にある。
 その施設のどこかで「伝染性胃腸炎」が発生してしまったのだ。



dokuro


「感染の怖れがありますので、2週間ほどご家族様の面会を控えていただきたいのです」


 という連絡が入ったのが、この前会いに行ってから1週間になるなあ、そろそろ行かなくては、と思っていた矢先だった。
 あらら、それじゃ20日間も会えなくなっちゃうじゃないか。美代ちゃんになに言われるかわからないなあ~。


「あんた誰?」


 なんて皮肉たっぷりに言われてしまうかもしれない。


「義理の弟」


 なんてわけのわからない紹介をされてしまうかもしれない。
 2週間後、恐る恐る施設に電話すると、


「申し訳ありません。保健所と相談いたしまして、完全に感染の怖れがなくなるまで、ご面会をご遠慮していただこうということになりまして」


 あらあら、まだダメなのかね。


「今月の終わりまで……」


「終わりって、3月31日ってこと?」


「ま、それまでにはということで、また決まりましたらご連絡をさしあげますので」


 またずいぶん神経質だなあ。伝染性の胃腸炎というから、たぶんノロウイルスかなんかだろうけど、そうそう簡単にはうつらないよ。
 なんて思ったが、行かなくてすめばそれに越したことはないと、ひそかにほくそ笑む私でもあった。


 ようやく解禁になって、おっかなびっくり行くと、車椅子から崩れ落ちそうな格好で、居眠りしていらっしゃる。
 ふっと薄目を開けたところに、


「こんにちわ。お久しぶり~」


 しばらく焦点の合わない目をしていたが、脳の回路がパシッと繋がると、


「ああ、いらっしゃい。よく来たねえ」


 とやけに機嫌がいい。
 それから猛烈な勢いで、


「タイヘンだったんだよ~、ここ。すごい病気が流行っちゃって、そりゃもうスッタモンダ……」


 と、施設内でのあることないことをクッチャベリ始めた。


「救急車が5台も来たり、白い服を着た人が何人も消毒薬をシューシュー撒いたり、食べ物を全部電子レンジでチンしたり……」



furosiki


 と美代ちゃんが言うたびに、ヘルパーさんが私に向かって、違う違う、そんなことはないと手を横にふる。
 私も、ハイハイわかってますよ~、と何度も頷く。
 ヘルパーさんは手、私は首がやけにだるくなる一日でありました。


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敏ちゃん糞戦記 序章(3)

 箸も持てないようでは、さすがに困る。
 しぶしぶ隣の駅からバスで10分ほどのところにある、国立病院まで出向いていった。 

そこでリューマチという診断が下っていたら、敏ちゃんのその後の人生も違ったものになっていたかもしれない。


 それが良かったのか悪かったのか、人生は一度しかなく、やり直しがきかない以上、なんとも言えぬ。
 ただ、当時のリューマチ治療の実態を推測するに、敏ちゃんが実際に生きた人生より、はるかに早く終焉を迎えていたのではないだろうか、とは思う。
 もちろんそれは、神のみぞ知るなのだが。
 診断は、


「歳なんだから、しょうがあんめ」


 というものだった。かなり年配の医師で、あんたに言われたくないよ、という感じだったらしい。

 痛み止めの薬と、湿布の貼り薬と、ビタミン剤のようなものをもらってきたが、そんなものは一時しのぎになるだけで、治るはずがなかった。


 では、敏ちゃんどうしたかというと、なんのことはない、以前と同じ生活を続けた。
 このリューマチという病気、やっかいなことに、痛いときはやたら痛いのだが、その時期を過ぎると嘘のように痛みが消えうせてしまう。医学的には、「緩解(かんかい)」と「悪(ぞうあく)」を繰り返す、と言うらしい。

だから、本人は「なんだ治っちゃったじゃないか、一時的なものなんだ」などと錯覚してしまう。

 箸も持てなかったのが、ちゃんと持てるようになる。もちろん盃だって持てる。盃さえ持てればこっちのもんだ。
 昼間は適当に仕事をする。夕方になると、なんかまた関節が痛くなったような気がして、慌てて酒を飲む。飲めばそんなことは忘れられる。そして、いつものように行きつけの居酒屋に飲みに行き、酔っ払って家に戻り、酒の勢いで寝てしまう。



sake


 そんなことを繰り返しているうちに、またある日突然激痛に襲われる。慌てて近所の医者に行き、消炎鎮痛剤の座薬をもらってきて、尻の穴に差し込む。あるいは美代ちゃんに差し込んでもらう。
 で、またそのうちになんとなく痛みが薄らいでしまう。
 



zayaku


 ……という毎日だったらしい。
 らしい、というのは当時、私は家にはほとんど寝に帰るだけで、自分が遊ぶのに忙しく、オヤジがどうだろうと、知ったこっちゃなかったからだ。


 なんという親不孝者!
 その祟りが、後年私の上にバサッと降りかかってくるとは、夢にも思わぬ、若く、若いが
ゆえに当然愚かな私であった。

                 つづく


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